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 質問させていただきます。
 なぜ学校の校則には生徒の格好(髪型や服装など)に関する規定が決められているのでしょうか??

 ジェンダーフリー教育(社会的・文化的に作られた性差に捕らわれず、個人を尊重した教育)という言葉もありますし、学校行事で保護者の方を見ると髪の毛を染めている人が非常に多いです。また、国際化・情報化にともないファッションについての様々な情報が手に入るようになったため、その在り方も多様になってきています。若者から高齢者にいたるまで年齢層は幅広く、染めている人が多いわけですから「髪の毛を染める=不良」ということにはつながらないと思いますし、親は子供が髪の毛を染めることについて認めていたりもします。

 学校においては、教師は「校則だからしょうがないだろう!」と生徒にきちんとした説明がなく適切な指導をしなかったり、定期検査で「なんだその髪型は?服装は?直さないければ、学校に来なくていい」と生徒の人権や個性を無視して罵倒する教師がいます。

 こうした状況の中で、生徒の格好(髪型や服装など)が定められた学校の校則は、本当に必要なもの(意義あるもの)なのでしょうか??みなさんの意見をぜひ聞きたいです。よろしくお願い致します。

A 回答 (13件中1~10件)

日本の教育において、個人の尊重というものがチキンと教えられていないため、個人の権利を濫用する風潮があり、それを過剰に非難する風潮もありますね。



個人の尊重や権利はとても重要です。
しかし、自分の権利を訴えている人に限って、他人の権利を尊重していない人が多いようにも、感じます。
(あくまで、私の感じです。)

学校が校則の必要性を語らずに、生徒に一方的に押し付けることが、良い事だとは思いません。
先生に、校則の必要性を理解するスキルがないのでしょう。
先生が教えられないのであれば、代わりに親が教えるべきではありませんか?

学校は勉強を教えるだけの場所ではないですよね。
今の学校は勉強を教えているかも疑問ですが・・・。
社会に出た時に、子供が対応できる能力を養う場でもあります。

会社に入れば、それぞれ就業規則があり、いろいろな制約を受けたり、規則に従わなければなりません。
一般の生活を送っていても、法律という制約に常に縛られています。
決められたルールには従わなければならない。
その事を学ぶ必要があるのではないですか?
既存のルールがおかしければ、それを変えるよう努力すれば良いのです。
その努力もせずに、ルールがおかしいからルールを守らない。
そんなことが、一般社会で通るとは思えません。

髪の毛の色や、服装については、校則で規制する必要はないと、私も感じます。
あなたもそう感じるのであれば、あなた方保護者や、生徒で校則を変えるような運動をすれば良いのです。
おかしいと思うから、校則を守らない。
では、大人として間違っていませんか?
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この回答へのお礼

ご回答していただき、ありがとうございます。

>学校が校則の必要性を語らずに、生徒に一方的に押し付けることが、良い事だとは思いません。
私も本当にそうだと思います。学校の校則について生徒に説明したり、なぜ髪型や服装を規制しなければならないのか話す必要があると思います。

>会社に入れば、それぞれ就業規則があり、いろいろな制約を受けたり、規則に従わなければなりません。
そうなんです。生徒が社会人になり会社などで働いた時のことを考えて、教師は生徒指導をするべきなんです。しかし、教師は「校則で決まっているからダメなんだ」と一貫して主張するばかりで、生徒は疑問を持っているのに関わらず教師は解答しないから、生徒からの反発が起きたりもするのです。

>髪の毛の色や、服装については、校則で規制する必要はない

私の考えとしては、校則で髪や服装を規制するのではなく、授業という形で「髪や服装」についての指導をして、生徒に教授して理解させていくことが大切なのではないかと思います。教師は校則によって生徒を縛りつけるのではなく、教えることで生徒を育てるのが仕事だと思います。

とても参考になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2005/03/15 14:35

No5の者です。

再度失礼します。

>そして話し合いの結果、改善された校則について理由や内容を説明し、
>生徒に守ってもらうように指導していく。こうした流れが適切ではないかと思います。

手順としては、私もそれが適切だと思います。
ただ・・・実際の判断は難しいですね。
これだけ価値観が多様化した社会になると、すべての生徒、その親が納得する決まりなんかは
無いと思いますし。
また、うちはまだ子供は幼稚園ですが、運動会などにいくと、信じられないマナー違反の言動を
とる親がたくさんいます。そんな親が要望・納得するような校則などいりません。

>激動する社会や各学校の児童の実態に合わせて・・・

質問者さんが望むのはどんな校則ですか?
子供達が将来まっとうな大人になるためのものですか?
(この際“まっとう”の定義はおいておきますが・・・)
それとも、学生時代を伸びやかに過ごすためのものですか?

こと、教育に関してはその成果が本当に現れるのは十数年後だったりするんですよね。
校則一つがどこまで影響力があるかは分かりませんが、その校則の元で育った子供は
10年後の「激動した社会」には相応しくないかもしれないし・・・

もっとも、迷ってばかりいても仕方がないので、
 ・納得できないルールもあると割り切る
   →変えられるのであれば、変える手続きをとる(一方的な反抗・ルール違反はしない)
 ・親がしっかり信条を持って、子育てをする
   →信条にあわないルールがあってもしっかり守らせて、そのフォローは親がやる。
    (大人になっても不合理で、反抗できないルールはありますし)
と、いったところでしょうか。

あと、質問者さん、他の回答者さんのやりとりで気になったところがありますので、
生意気ながらちょっと意見(?)させていただきます。

>「男らしさ」「女らしさ」を強調し、男子学生として望ましい髪型や服装、
>女子学生として望ましい服装や髪型を学校が規定して、それを生徒に押し付ける校則です。

ジェンダーフリーや、ダイバーシティといった考え方は、差異をなくすものではなく、
相違点・多様性を認め、尊重するものだと思います。
性差、国籍、文化、宗教それらは、どんなに頑張ったって、その違いは無くなりません。
「男らしさ」「女らしさ」があることは、日本の文化としてかならずしも悪いことだとは
思いません。問題は、それを優劣として捉える考え方なのではないでしょうか?
これも校則と同じで、残すべきもの、打破すべきものそれぞれだと思いますが、
目標となる、憧れる対象となる「男らしさ」「女らしさ」はあっていいと思います。
うちの子は女の子です。言葉遣いは事ある毎に注意します。おそらく、男の子だったら、
ここまでやっていないでしょうね。
恐らく、ここで仰られるのは、「男のくせに・・・」「女だから・・・」といわれる様な、
否定的な事柄を指摘されているのでしょうが、差はあるものとして認め、差による優位性を
延ばすためには、子供時代は多少なりとも強調した「男らしさ」「女らしさ」を意識させても
いいのかもしれません。
後は本人がしっかりした意志を持った時点で、決めていけばよいことです。
ジェンダーフリー、ダイバーシティを身につける教育は大人にこそ、必要なのかもしれません。

またまた長文失礼しました。
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この回答へのお礼

ご回答してくださり、ありがとうございます。

>実際の判断は難しいですね。
たしかに難しいと私も思います。しかし、難しいからといって、何もしないのは進展しません。難しいからこそ議論をして考えを深めていくことが大切だと思います。また、すべての人を納得させることができないかもしれませんが、きちんと説明しなければならないと思います。

>質問者さんが望むのはどんな校則ですか?
校則は「学校生活の秩序を維持するためのもの」というのが私の解釈です。
子供達が将来まっとうな大人になるために、あるいは、生徒が学生時代を伸びやかに過ごすためには、校則によってなされるものでなく、学校の授業や行事によってなされるものであると思います。

>目標となる、憧れる対象となる「男らしさ」「女らしさ」はあっていいと思います。
私も「男らしさ」「女らしさ」はあって良いと思いますが、それを校則によって「男子ならこの格好でなければならない!」「女子ならこの格好でなければならない!」と決め付けて、それを守らなければ罰則を与えるなど、生徒を強制的にさせるのは問題であると感じます。しかも、規定されている格好が髪はmm単位で測り、服装についてはシャツ・下着・靴下までも決めているのは、理解できませんね。

とても参考になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2005/03/16 21:56

教師による自己中心的な考え方や独自の世界観だけで、物事を判断してしまう、一般常識が分からなかったり、社会の変化に対応できないで現状維持を貫いている教師がいます。



このようなことをいえる大人がいるから子どもにそのことが伝わり、教師を馬鹿にする。そのためにルールが必要になるのではないでしょうか?
私も、「社会の変化に取り残された」教師はいると思います。ただ、教師のルールだとかそういったことでは解決できませんよね?なぜ平気で回答できるのか信じられません。教師を経験した人がいえるのであれば別ですが教師の世界を知らない人間はそういうことをいってはだめです。
第三者が勝手に感じたことだけじゃないですか。

私は企業から教員になりましたが、世間一般の常識のない先生もいます。これは事実です。しかし数人です。これぐらいの人数どこの会社いってもありますよね。現に私の企業でも数人います。どこにいったって同じなんです。それを報道や一部の人によって決め付けることはよくないと思います。
私から見れば大人のルールができていないからであって、そのルールを守れない人間になってほしくない。そういった願いでルールはやはり大切だと思います。それが規則であっても。

質問から離れた回答になりましたが一言いっておきたかったのですいません。
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この回答へのお礼

貴重なご意見をしていただき、ありがとうございます。

私は、教師が自己中心的な考え方や独自の世界観を持っていても良いと思います。教師も人間ですから様々な個性や考え方があるはずです。

プライベートで持ち込むのはいいですが、それを教師の仕事場(学校)に持ち込んで、生徒に自分の主観的な思いや願いだけを教えるのは非常に良くない、というのが私の考えです。

また、教師が生徒の模範あるいは人間としての模範となって、世間一般の常識を教えなければならないのですから、世間一般の常識のない教師がいるのは大変問題がありますし、早急に解決しなければならないことだと思います。

さらに、世間一般の常識のない教師が非常識な校則をつくった場合は、校則を改善すべきです。

生徒・保護者・教師・教育機関等が議論を積み重ねて望ましい校則をつくり、その校則(ルール)を生徒に守ってもらうために、教師は適切に指導していくことが大切ではないでしょうか!?

とても参考になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2005/03/16 21:21

校則はどこの学校でもあります。


ただ、すべての校則が悪いというわけではありません。児童、生徒にとって必要なものもあります。ご質問の意味があまりよく理解できないのですが、たとえば、どのような校則がジェンダーフリーの教育にそわないのでしょうか?

この回答への補足

補足をいたします。

>どのような校則がジェンダーフリーの教育にそわないのでしょうか?

「男らしさ」「女らしさ」を強調し、男子学生として望ましい髪型や服装、女子学生として望ましい服装や髪型を学校が規定して、それを生徒に押し付ける校則です。

補足日時:2005/03/16 18:33
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憲法だって 法律だって 校則だって その改正についての事項があるはずです。



それに則って 良い方向に変えましょう!!
============
民主主義は 原則 単純多数決ですね!
議案に 校則改正をあげられないななら、質問者さんが先頭に立ちましょう。
生徒会長になるのも良いと思います。
もちろん、保護者たちも 仲間にしましょう!
そして、議員も仲間にしましょう!

学校側が 抽象的な「文化論」で きているのに惑わされず、「正当な手段」で対抗することをお勧めします。(学校で 質問者さんが不利な立場になるかもしれませんが それは ご自分や 保護者の方と 想定をしておき 事前に対処してください。)
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この回答へのお礼

ご回答していただき、ありがとうございます。

はい。学校には働きかけていくつもりです。

>その改正についての事項があるはずです。
なるほど…そうですよね!?
今、某学校の生徒手帳を見てみましたが、校則の改正については何も書かれていませんでした。

改正の項目をつくるべきですね。

とても参考になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2005/03/16 20:47

私は公立ではなく私立の学校に進みました。


学校は結構進学校で当然校則もありましたが、先生は必要以上に注意はしませんでした。制服でなく私服の学校だったので個人の尊重を大事にしていたようです。服装は自由で髪型も自由でした。私立は公立より厳しいという考えが一般的かもしれませんが、公立よりやさしかったかも?
学校にはやれば出来る人やもともと出来る人が多かったので、学業に差支えがなければOKっていう感じでした。
公立の中学校はピンからキリまでいますし、いい人もいれば悪い人もいるので校則で縛り付けることがやむを得ないのではないでしょうか?もちろん私立では犯罪行為などした場合は退学でした。公立でも上の学校に行くほど校則が緩いような気がします。
私的な考えでは、茶髪にして何がダメ?靴下まで指定して意味あるのか?って感じでしたね。そこまで縛らなくても悪いことは悪いって人はわかるはずです。
校則があるから反抗したくなるのではないでしょうか?公立に行ってた友人は最初、校則を破り先生にもずっと注意されていたようですが、最終的には注意されなくなり見放されたようです。そこから友人は自分の非に気づきある程度更正したようです。見放されたら更正するか破り続けるかのどっちかでしょうね。
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この回答へのお礼

>私的な考えでは、茶髪にして何がダメ?靴下まで指定して意味あるのか?って感じでしたね。そこまで縛らなくても悪いことは悪いって人はわかるはずです。
>そこから友人は自分の非に気づきある程度更正したようです。

そう思います。なんでもダメと言って、生徒を校則で縛りつけるのは良くないですね。学校生活の秩序を乱さないためにルールを守ることは大切ですが、髪型や靴下までルール化する必要性はないです。

教育上では、「生徒に気づかせる」ことが重要なんです。「気づき」によって学ぶという観点から考察すると、校則によって制約させるのではなく、授業で学習指導を行い生徒に気づかせることが求められるわけです。自分の非に気づくことによって更正できるのです。

とても参考になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2005/03/16 20:35

校則は誰のためのものでしょうか?


当然、生徒のためのものです。
時代にそぐわない校則やおかしいと思う校則は生徒自身が変えていく努力をすれば良い事です。

僕の高校時代の同級生にちょっと変わった(個性的な)男の子がいました。
普段は目立たない子でしたが、1年生の時から生徒会に入って学校側に根気よく働きかけ、3年生になる頃までに学年をまとめ上げて校則を1つ変えてしまいました。
たった1つですが、彼の意見に賛同した全員が動いて校則を変えるところまでに至ったという彼の功績は未だに語り草です。

文句を言っていても実際に動かなければ、その校則を暗に認めてしまっているも同然です。
集団生活上の最低限の決まり事である校則は必要だと思いますが、おかしいと思ったら納得のいくまで学校側と交渉を続けるという過程も大切だと思います。
そのような議論を生むという大切な要素も、理不尽な校則には含まれているのではないかと今では思います。
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この回答へのお礼

すばらしいエピソードを教えてくださり、ありがとうございます。

>時代にそぐわない校則やおかしいと思う校則は生徒自身が変えていく努力をすれば良い事です。
そうですよね。生徒の意見を反映させ、教師と共に議論を積み重ねて、学校の校則を作り出していくことは、とても大切なことです。しかし、これが実現できるのは、教師が生徒の聞く耳を持っているかどうかに、かかっていると思います。


私には、こんなエピソードがあります。

中学時代の話なのですが…
生徒会で「男子のみ、絶対に髪が耳にかかってはいけない」という校則は根拠がないとして改善すべきという議論が出ました。生徒会委員はアンケートをとったところ、全生徒が「少しくらいなら、髪が耳にかかっても良い」にするように改善すべきという意見で一致しました。生徒会委員は校長先生に対して「校則を改善すること」および「なぜ、絶対に耳に髪がかかってはいけないのか、その理由を説明してほしい」という文書を作成し、提出しました。ところが、校長先生は「生徒が校則を決める必要はない。生徒は素直に校則を守るだけで良い」として生徒の主張が棄却されました。それからも、生徒会だけでなく全生徒も主張してきましたが、校長・教頭・教員は聞く耳を全く持ってもらえませんでした。説明も無しです。
そうしていくうちに、中学を卒業してしまいましたけど…。

お礼日時:2005/03/16 19:35

#3です。



質問者様のお礼などを読んでいて ”??” と思ったのですが・・・。(^_^;)

子供の教育を学校に任せきりにしていませんか?
子供は学校と家庭、地域で育てるものではありませんか?

「先生」と、ひとくくりにせずに、A先生、B先生、C先生と生徒と同じく、先生にも個性があります。
教育熱心な先生、部活に熱心な先生、自分のことしか考えていない先生。
色々な先生がいると思います。
学校の方針も様々です。
出来の悪い先生がいる事も事実です。
その先生に、子供が傷つけられたら、「あなた」がフォローしてあげてください。
子供へのフォロー、学校への抗議です。

学校の足りない部分は親が補足する必要があると感じます。
最近の世の中を見ていると、家庭は学校に、学校は家庭に、一方的に責任を押し付けていると感じます。
学校の教育と同程度、あるいはそれ以上に家庭での教育が重要だと、私は考えています。

子供が、校則に納得できないのであれば、「あなた」が子供に納得できるように説明してあげてください。
あなたが、納得できないのであれば、あなたが学校に説明を求めて下さい。
それで納得できたなら、学校が生徒に十分な説明をするように、要望してください。
それでも、納得できないのであれば、校則を改正する運動を起こしてください。
あなたにも、子供を教育する責任はあるのですから。
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この回答へのお礼

アドバイスをしてくださり、ありがとうございます。
私はまだ修行中の身で力は無いかもしれませんが、不必要だと思われる校則を伝統であるかのように存続させている学校に、校則を改善してもらうよう働きかけていくつもりです。

お礼日時:2005/03/16 19:02

制服があるからじゃないですか?


一応、制服に同じ服を着ることで、一体感や団結力を高める、とか、家庭状況(貧富の差?)などで外見に差がつくことを避ける、などの意味があると仮定すれば、制服以外の容姿の部分でも、ある程度制約をかけないと、上記の意味がなくなるのでは?

また、学校だと校則というルールになっているので、明確に反論する人も多いですが、では大人のビジネススタイルが一般的にスーツ(最近はそうではない会社も多いですが)になっていることに、異議を唱える人は少ないですよね。
ド派手なネクタイなんかで個性を主張する人もいません(たまにいますけど、非常識のレッテルを貼られます)。
こちらは誰かが決めたわけでも、ルールがあるわけでもないのに・・・

学生の髪型・服装も本来は「暗黙の了解」なんじゃ内ですか?
一応大人は分別があるはずなので、明文化されていない、子供・学生は分別を身につけている・学んでいる最中なので分かりやすいようにルール化されている、という考え方はいかがでしょう?

あと質問とは直接関係ありませんが、個人的には服装や髪型でしか主張できない個性など、あってないようなものだと思うし、そんな表面的な個性なら、わざわざルールと対立しないで、他の所で主張してくれ、と思ってしまいます。
宗教・民族的なものに基づくものであれば話は別ですが、ただのファッションで個性だ、ましてや人権だと言われても・・・というのはあくまで個人的な意見ですけどね。

社会で暮らす以上、なんからのルール(法律などを含む)と無縁ではいられませんし、すべてが納得できるものではありません。
もちろん、不要なルールなら無くしてしまっても構わないとは思いますが、成立した時点ではそれなりの理由があったはず。
まずはその理由を理解して(今回のご質問はその部分かと思いますが)、現在の社会に合うのかどうか、必要なのかどうか、そして、それを否定するに足る理由があるのかどうかは、充分に吟味する必要はあるかと思います。

今の世の中、個人主義が行き過ぎていて、普通にみれば我が儘でも、本人にとっては個性のつもり、ということがよく見受けられるので・・・

話が逸れてしまったような気もします。長々と失礼しました。
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この回答へのお礼

ご回答していただき、ありがとうございます。

>意味があると仮定すれば、制服以外の容姿の部分でも、ある程度制約をかけないと、上記の意味がなくなるのでは?
>もちろん、不要なルールなら無くしてしまっても構わないとは思いますが、成立した時点ではそれなりの理由があったはず。

もし制約(校則)をかけることが意味あることならば、どの程度が適切なのか基準を明確に設ける必要があると私は思います。激動する社会や各学校の児童の実態に合わせて定期的に議論をしていくべきだと考えられますが、学校では校則を「伝統のようなもの」として捉えている所が多く存在し、10年経っていても何も基準が変わらず昔の校則を引き継いだままになっています。
学校、生徒、保護者、地域の教育機関等が協力しながら、どのように校則を改正・修正していけば良いのか、話し合いをしていくことが大切ではないでしょうか!?

そして話し合いの結果、改善された校則について理由や内容を説明し、生徒に守ってもらうように指導していく。こうした流れが適切ではないかと思います。

とても参考になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2005/03/16 16:20

 私は中学生の者ですが、髪型や服装についても私の学校にもたくさんいます。

髪型では女子で茶髪いるのですが、茶髪は黒色の髪よりも結構目立つので、すれ違ったりするとその茶髪の女子を見てヒソヒソと話します。私の学校には500人中8人ぐらい髪を染めている人がいます。
 服装に関しては男子のシャツ出し、腰パンなどの淫らな格好(だらしない)をしている人については男子が校内に約300人いるとすると、約200人の人がだらしない格好をしているのです。
>なぜ学校の校則には生徒の格好に関する規定が決められているのでしょうか??
それは将来社会人になって模範的な人になってほしいからです。例えば中学校→高校へ進学するときに試験が必要になりますから、その時点でだらしない格好をしていると試験を落とされてしまったりする可能性があり自分にとってもとても損だと思います。ですから先生は今のうちに是正を直しておいて、立派な社会人になってほしいために校則があるんではないでしょうか?また私見ですが、今が直し時で今直しておくと大人になってからすでに直ってますし、今頃が直すところがちょうどいいと思います。学校の校則は是非守るべきだと思います。
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この回答へのお礼

ご回答していただき、ありがとうございます。

>立派な社会人になってほしいために校則があるんではないでしょうか?
たしかに教師は生徒が立派な社会人になってくれるように教育することが大切だと私も感じております。それが目的で校則に規定されているのであれば、つまり校則に規定されるほど重要なことなのであれば、なぜ重点的に授業を使って指導をしないのかということです。

社会人としてどのような格好が望ましいのかを、教師は真剣になって生徒に教えていく必要があるのではないでしょうか!?教師が口頭で「そんな髪と服装は、校則に違反しているからダメだ」くらいでは、生徒は理解できないと思います。

とても参考になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2005/03/15 23:24

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