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現在日本でも欧米でも日曜日には休みますね.ふと思ったのですが、なんらかの意味があるのではないか、と.そこで質問です.

Q1)日本古来、あるいはアジア古来の伝統では休暇の概念はどうなっていたか?
別の周期ではあるが、やはり一定周期で休むという概念があったのか.
それとも「盆と正月以外は働きつづける、その間にたまに準規則的な祭りが挿入される」という感じか?

Q2)欧米などでは、日曜日などは宗教上の安息日が起源だと思う.そもそも安息日という周期的休暇の概念はなぜ必要だったのだろうか? 今の私には厳しい個の確立を要請される社会構造において、個の癒しに必要な「周期的な引きこもり」期間が社会慣習にうまく取り入れられた制度、とも見える. どうだろうか.そういう見方の論がすでにあったら教えてほしい.

ただ聖書に神は7日目に休まれた、と書いてあるから、というようなありきたりの論を超えて、なんらかの具体的な意味があったのではないか、と考え始めています.

A 回答 (4件)

・日本の伝統的休暇について


江戸時代、商家の奉公人には「やぶ入り」という習慣があり、年に2回だけ休日をもらえたそうです。

そもそも農耕・漁労の生活をしていると、機械的に何日かごとに休むより、気候や天候に応じて休みをとるほうが合理的だと思われます。私の地方では、田植え・稲刈りの大仕事のあとで「野休み」という休みをとる習慣があったと聞きます。

女性の場合、月経期間「ヒマヤ」と呼ばれる別棟の建物に篭もる習慣もあり、これが一種の休日の役割を果たしていたのかもしれません。
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 それなりの権威が言っていた話ですが、大分単純化している上、うろ覚えです。



 日曜日という概念はキリスト教圏では古くからあったが、確かに午前中に教会へ行く日ではあったものの、決して仕事をしない日ではなかった。
 なぜなら、当時の仕事は自宅で行うものであり、家では何曜日であれするべきことに事欠かないからである。
 つまり、現代でも、農家に日曜日はなく、主婦に日曜日はないのである。

 産業革命後、「工場・会社で働く」という労働形態が出現して、はじめて日曜日が意味を持つようになった。
 なぜなら、工場にいる時間(働く時間)と工場外にいる時間(余暇・休息の時間)が区別されるようになったからである。
 日本における日曜日の定着もこの文脈で理解できる。すなわち、日曜日が法定休日とされたのは官庁においてであり、官庁と取引のある会社・工場がそれに倣い、資本主義の発展とともに定着したのである。

 この意味で日曜日の成立は資本主義と深く関連しており、finetoothcombさんが個人主義との関わりを考えられたのは慧眼と言えましょう。
 ところで、前近代にあっても王朝の官僚組織は「働く時間」と「働かない時間」を区別できましたが、休暇事情はどうなっていたのでしょう。
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どこまで時代を溯るかによって考え方が変りますね。

私は以前暦のことを調べたとき、週の概念の発生について面白い説を見つけました(後述)

1.古代人の休息は週に一回(そもそも週の概念がない)はありえないと思います。毎日の労働の中に自然と体が求める休息、食事、睡眠時間があったはずです。
2.人類が定住し文化が生まれてくると祭祀が発生し、祭祀に従事する間は一種の休息だったのでは・・少なくとも働いてはいない時間です。
3.時間の観念(原始的な暦の誕生)
バビロニアの遊牧民が最初ではないかと言われています。彼らは毎晩星を観察して
いるうちに恒星とは異なる強く輝く星に気がつき5つの星に神の名前をつけました。
(火星、水星、木星、金星、土星)これに太陽と月を加え7つの星の運行を観察して
ひとつの星が一日の運命を司ると考え7日周期の考えが生まれたという。

月の満ち欠けから7日周期の考え方が生まれたとする説もあります。
月の動きから一周約29日ということは早くから知られていたようですが、月の満ち欠けは新月から上弦まで7日、上弦から満月まで7日、満月から下弦まで7日、下弦から新月まで7日かかることから古代人は7日間をひとつの区切りと考えたという説です。

従って7日説は現在の宗教とは直接の関係はありません。キリスト教がユダヤ教の中から分派して生まれたのははるかに後代であり、キリスト教がユダヤ教の習慣(金曜の日没から土曜の日没までが安息日)を捨てキリストが復活した土曜の翌日を主の日と定めたのは4世紀ごろです。主の日、すなわち日曜日が重要な意味を持ったのは7日周期の考えが生まれてから少なくとも2千年は経過していたと思われます。

日本へ現代の週の概念が持ち込まれたのは16世紀にやってきたポルトガル人を通じてでしょう。しかし、キリスト教禁止のため定着しなかったので、本格的普及は明治維新後です。それまでの日本人は、仏教上の祭日と日本古来の原始宗教、中国の習慣などがミックスされ季節ごとの休息の習慣はあっても制度化された休暇は盆暮れ以外にはなかったのではないでしょうか。封建時代の休暇は与えるものと受けるものの立場で、理解が異なったと思います。例えば、兵役に従事しているものが田植えや刈り入れで休暇を貰った場合、本人にとっては休暇ではありません。異なる労働に従事するだけですから。
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こんばんは


全くの確証無し、当て推量ですが、周期的な休みというのは案外根本は生活習慣に根ざしたものなのでは、という気がします。
たとえば
日本人が古来農耕民族だったことを考えると、農閑期が休日にあてられたのでは。
田植えの後や収穫の後等。さらに農民がその土地の豪族の所有物と考えられていたなら、定期的に休みを与える(長く労働させられるように)というのも重要なファクターだったのでは?

西洋(ではないかもしれませんが、聖書の地、中近東を念頭に置くと)人が古来、遊牧民族であったことを考えると、定期的に遊牧地を移動するごとに人、家畜ともに休息が必要だったとも考えられますが、いかがでしょう。
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