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現在、電話帳などでも掲載は「あ行、か行…」と50音順ですが、何時ごろからこのような仕組みが出来たのでしょうか?
また50音順が出来る前は何か表などを作るとき「いろはにほへと…」の順で作っていたのでしょうか?

A 回答 (6件)

すいません、誤字です。


>母音の数が現在よりの五も多く
「母音の数が現在の五よりも三つ多く」

下のURLは日本語についてのHPです。「日本語の音」のところに五十音について書かれています。

参考URL:http://homepage1.nifty.com/forty-sixer/kotoba.htm
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電話帳に関して。



明治23年(1890)
 東京と横浜で電話交換サービス開始。
 「東京・横濱電話加入者人名表」発行。
 1枚物の縦書き、漢数字使用。
 東京155人・横浜42人を電話番号順に記載。

明治30年(1897)
 名称を「電話番号簿」に変更。
 東京の電話番号簿がイロハ順になる。東京の加入者数は3370人。
 縦書き・漢数字は変更なし。

大正14年(1925)
 電話番号簿の様式を大改正。全国の加入者数は84000件。
 横書き・アイウエオ順・アラビア数字に変更。

…ということになっています。
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この回答へのお礼

電話帳は最初番号順だったのですか!驚きです。
人数が少なかったとはいえ、調べるのが大変そうです。

お礼日時:2005/04/18 09:31

明治以降、外国人が日本語を覚えるのに、「いろは」では難しいということで、50音順が一般的になったと聞いたことがあります。

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下のサイトにあるように、両方が併用されていた時代が長かったようです。


ほんとうの意味での国語辞典の最初のものは、1180年ころ(平安時代のすえ)にできたといわれる「色葉字類抄(いろはじるいしょう)」だと言われますし、「いろは歌」が幅を利かしていた時代は、「いろは歌留多」が存在したり、江戸の火消しの組名が「い組」から始まっていました。何でも最初のものを「いの1番」といったように、「いろは順が優勢だったようです。また、寺子屋の手習いも「いろは」から習っていたようで、赤穂浪士をモデルにした「仮名手本忠臣蔵」もそれに関係あったでしょう。
 「アイウエオ順」が圧倒的に優勢になったのは、数十年前からでしょうか。辞書がすでにそれを使用していたし、名簿を作るのにはこちらの方が便利だったのでしょう。JISコードが作られたことが決定的な影響を与えたと思います。
 これは余談かも知れませんが、「アイウエオ順」といっても実は名簿を作るにあたってはちょっと問題があります。それは濁音・半濁音のついた文字を、どこに置くかということです。辞書順というのが使われたり、コンピュータでソートするには、名前の読み仮名をJISコード順に操作する方法が使われたりしますが、今はやはり後者でしょうか。

参考URL:http://www.web-nihongo.com/dictionary/dic_his/di …
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この回答へのお礼

確かに濁音などの問題はありますね。
参考になりました、ありがとうございます。

お礼日時:2005/04/18 09:29

50音が定着しだしたのは明治以降で


それまでは、いろは順が使われていました。

50音順は室町時代にはすでに存在しておりますが
(温故知新書)
江戸時代の辞書などは いろは順です。
なぜ明治に入って、取って代わられたのでしょう

文明開化の波にのって
新しもの好きの心を捉えたのでしょうか

イロハなんか古い!
これからは50音順の時代だっ!
みたいな移り変わりがあったのでしょうね。
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五十音順の成立はいろは歌よりも先で、平安時代にできたとされています。

インドの、サンスクリット語をあらわす梵字の配列が元になったといわれています。

ちなみに奈良時代以前は母音の数が現在よりの五も多く八つあったとされているので、五十音順もいろは順も通用しないと思われます。
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この回答へのお礼

いろはよりも50音順が先にあったとは、
しかもサンスクリット語が元とはぜんぜん質ませんでした。ありがとうございます。

お礼日時:2005/04/18 09:27

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