No.3ベストアンサー
- 回答日時:
戦国時代の対一向一揆は単に宗教弾圧の様に捉える本質がよく見えてこないかもしれません。
(信長に限らず)一揆というと江戸時代の農民一揆とダブってしまいあたかもか弱い農民が鋤や鍬、竹槍などの乏しい武器でも力を合わせ圧制者と戦うように思えますが一向一揆はそんなものではありません。
一向一揆は戦闘集団です。
もちろん一向一揆の主戦力は農民です。
ですが戦国時代の主戦力であった足軽の大半も農民です。
信長は農民と足軽とを分離して職業軍人である足軽集団を作り上げたわけですが、もとを正せば平時は農民で戦となれば徴収され戦うわけですから農民は皆戦闘経験を持っている集団と言えます。
豊臣秀吉だって百姓出の足軽でしたからね。
そしてここに職業軍人たる武士も大量に加わります。
後、徳川家康の片腕となる本多正信も一向一揆に加担していた一人です。
つまり一向一揆はプロの戦闘集団と言っても過言ではないと思います。
その戦闘集団が領内に立て籠もり領内を脅かしては領主はこれを叩くより他に道はありません。
加賀の一向一揆では領主まで追い払う力をもつ程、強大な勢力でしたから領内に一向一揆勢力を持つ領主たちは相当怯えていたに違いまりません。
比叡山はもっと古くから横暴を繰り返してきた事は歴史でも習われたかと思います。だいたい殺生をすべきでない僧侶が僧兵をもつ事からが不思議です。
さて、一向一揆を叩いて追い払う事に成功したら次にどうすればいいか?
一度叩いた一向一揆は時を変え場所を変え復活します。
たとえ赦して開放してもその翌日からまた改めて戦闘集団に返り咲きます。
ならば赦して開放してもまた領内が荒らされ多くの兵を失いこととなります。
だったら、再び戦闘集団とならぬよう全部潰してしまえばいいではないか。
これが信長の考えです。
ちなみに長島には女子供もいましたが女とて戦闘集団です。
か弱いお姫様なら槍も刀も握れなかったかもしれませんが、農民の女性はもっと逞しく男勝りです。男どもと白兵戦等はしないでしょうが支援部隊であり、時には前線にも出たでしょう。
子供も戦闘集団予備軍です。
武士とて10歳ともなれば元服して立派な武士として扱われます。
今日の小学生と同じ目で見るべきではないでしょう。
また一般に信長は宗教嫌いと言われていますが決してそうではありませんでした。
一向一揆を宗教と判断できなかったのでしょう。
これはあくまでも信長にたてつく戦闘集団だと。
一向一揆の母体たる浄土真宗も当時から一枚岩ではありません。
(のちに東西分かれる以前から派閥はありました)
一向一揆に加担しない浄土真宗の派もあり、信長はその寺に寄進すらしています。
また多くの僧侶も従えていましたし安土城にも宗教観が色濃く出ています。
平成の目で長島の大虐殺を見てしまうと単なる宗教弾圧による大虐殺ですが、戦国時代という時代背景を加えて眺めると決してそうではない。
一向一揆という宗教的戦闘集団と信長をはじめとする軍事政権との「戦争」でる。
捕虜虐殺は近代においては国際法違反ですが、当時は当たり前の事でした。
一向一揆の参加者は戦争捕虜として殺された。
私はそう思っています。
一向一揆を悪者の様に書いてしまいましたが決して事実無根ではないと思いますし
個人的に悪意を持ているわけではありません。
私の家は代々浄土真宗ですし古くから尾張に住んでいましたから、私のご先祖様も立て籠もっていたのかもしれません。
確かに一向一揆は戦闘集団で、名のある武将もこれに加担していたという話はよく聞きます。
>一向一揆の母体たる浄土真宗も当時から一枚岩ではありません。
1465年に本願寺第8世蓮如は、比叡山衆徒の反感を買い、京都大谷の本願寺を焼き払われていますね。そのあと加賀にて、一向宗高田派と対立して石山御坊に移っています。蓮如は暴走する衆徒を押さえていたようですが・・・
同じ一向宗でも対立が数々あったようですね。
回答ありがとうございました。
No.2
- 回答日時:
この前テレビ番組で言っていたことから、私のフィルターを通した記憶に残っていることだけ書きます。
信長の宗教に関する意識には、一種独特なものがあったそうです。
幼少時に見た、戦いに次ぐ戦い。その中で苦しむ人々や、身内。信仰など何の役にも立たず、何一つ救ってくれないくせに、やたらと力を持っている。特に都や政治、軍事に長じている。
戦乱を救うのは宗教ではない。弱い将軍でも、天皇でもない。この私が制圧することでのみ、戦いに荒れた世の中を終わらせることができるのだ。
これを、本気で考え、実行してしまったそうです。考えてみれば信長は、宣教師を招き、宗教についても学びはしたが、教義に心服し、改宗したという話はありません。
そのためには、邪魔なもの、今後邪魔になりそうなものは、徹底的につぶしていくべし。
他の人(武将含む)は、多少なりとも信仰心を持っていたし、いわゆる人間らしい哀れみの心もあったし、何より、比叡山のようなところは総本山として、誰にとっても聖域だったわけです。だから誰も攻撃しませんでした。それをいいことに、僧侶が我が物顔で振舞っていたことも事実だったようです。
特に京都を目指す信長には、これは大きな障害でした。しかし他の武将のように、彼には躊躇する理由が全く存在しませんでした。例え戦で、情勢的に勝ったとしても、信長は、戦に勝つことで目的が達成されたなどとは思わなかったのではないでしょうか。目的は、その宗教と勢力をつぶすこと。だから、懐柔策など持ちません。徹底的につぶして、やっと目的達成、なのです。
普通の人間らしさなど、持ち合わせていなかったからです。自分が頂点に立つことによってのみ、世の中は安定に向かうと信じて(笑、がつくほど)疑っていなかったからです。
とんでもない奇人、薄情者、人格破壊。しかし、それらは全て、今よりましな世の中を願って、わき目もふらず直進したがゆえ。本人に、虐殺、という意識は皆無であったと思われます。
確かに織田信長は周りの情勢を気にせず「天下武布」のために突き走った。三国志でいえば曹操の意志が強くなったバージョン、といったところですか。
それゆえに邪魔なものは徹底的に潰す。という思想を持っていたから、戦国時代で領土を広げ続けることができたのでしょうか。
回答ありがとうございました。
No.1
- 回答日時:
寺社勢力を嫌い、それと激しく対立した信長にとって、一向一揆はどうしても潰しておかなければならない勢力でした(あと、一向宗の総本山、石山寺は室町幕府将軍足利義昭から反信長勢力の結集による信長打倒をもちかけられていました)。
相手が打たれ強い宗教勢力でもあったため、反撃できる力すら残さないための虐殺も致し方なかったのではないでしょうか。お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!
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