ちょっと意地悪(だけど切実な)質問をさせて下さい.

国内において税金の使途が厳しく問われる昨今ですが,
果たして哲学者(ここでは国立大の哲学科の教官)は
納税者にどのようなメリットを還元しているのでしょうか?

ここでメリットとは
「病気が治る」「危険な作業から人を解放する」などの
「現時点で納税者の多くの人が期待すると思われる便益」であるとします.

私の仮説は
1)哲学者に具体的な何かを期待していると明言できる人がほとんどいないと思われる
2)過去(例えば戦後50年,あるいは,維新後130年)に哲学者がメリットをもたらした具体的実績がほとんどないと思われる(つまり,メリットを供給する能力が哲学者には備わっていない)
ゆえに,哲学者を税金でまかなう時代は過ぎた
というものです.哲学者の人件費を他分野の奨学金にまわしてはどうでしょう?

勿論,哲学自体は否定しません.色々反論があるかと思いますが,哲学の役割を「具体的に」説明できる能力を有す方のみ,ご返答おねがいします.

少々,過激かもしれませんが,お許しください.

A 回答 (13件中1~10件)

>哲学者のメリットは何か?


「ほんとにメリットがあるのかな?」と思いますが
そんなことを言ってしまったらこの世の中はどうなるのでしょうか。
例えば (1)〔漫画・アニメ・ドラマ・バラエティー〕 この辺はまず要らないでしょう。
他には (2)〔お金のかかる無駄な人口・資源を食い尽くす人間〕
はっきし言って無駄だらけです。
それでは、哲学者は要らないでしょうか。まず(1)をみてみましょう。
これは娯楽です、楽しむことにより気持ちが軽くなって落ち着きます。
そして次の仕事の意欲がわきます。こう考えると必要に見えますね。
しかし、仕事に必要なのか。職場に必要なのか。と考えると不必要
なんじゃないのかと考えることができます。
それでは(2)をみてみましょう、これは必要だと感じると
考える人が大半だと思います。。
なぜそう感じるのでしょうか。それは私達は人間であり人口の
一部だからそれを破壊されるのが怖いからです。
それでは哲学の問題です。
「この世の中に 必要・不必要 が存在するでしょうか?」
答えはNOです。
かつてのアルバートアインシュタインはバイオリンと哲学の話が
大好きだったそうです。
これは相対性理論を完成させるために無くてはならない存在だったのではな
いでしょうか。
つまり、哲学も情報の一部なのでこの世の中に何らかの影響を及ぼすのです。
例えば、哲学を読んで感動した。哲学のおかげで頭がすっきりした。
哲学のおかげでいろいろな考え方ができた。哲学的な考え方をしていたら
相対性理論ができた・・・などなどです。
では哲学を嫌うのはなぜでしょうか
それは哲学の重要性がいまだに理解されにくい部分で動いているからです。
人間は以外に名前に気を取られやすいので
哲学から思考学と名前を変えたら大衆が必要性を感じるのではないでしょうか。
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>国内において税金の使途が厳しく問われる昨今ですが,


>果たして哲学者(ここでは国立大の哲学科の教官)は
>納税者にどのようなメリットを還元しているのでしょうか?

>ここでメリットとは
>「病気が治る」「危険な作業から人を解放する」などの
>「現時点で納税者の多くの人が期待すると思われる便益」であるとします.

えーと、プラグマティブムの観点から「哲学者は有益であるかどうか」を質問して
いると解釈します。

では哲学はどういった時に、社会に対して有益となるのでしょうか。
ある一人の精神的な悩みを持つ人がいるとします。宗教に救いを求めるには
理性的すぎる場合、哲学の分野に問題解決を求める可能性があります。

この時、国立大の哲学科の教官自身が彼の悩みを解いてあげる可能性は非常に
低いです。中には学生の悩みに答える立派な方もおられるかもしれませんが。

しかし、彼が教える哲学の中に、悩める人への回答が潜んでいるかもしれません。
その時、その知識を学生に授ける教官がいたとしたら、そこで始めて教官の価値
が発揮されるものと考えられます。

また、ごく少数ですが社会に対して有益な意見・情報を発しておられる一流の
哲学者も存在します。梅原猛先生は、そういう数少ない学者の一人であると
個人的には感じています。(反論のある方もおられるかもしれませんが)
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 意地悪な質問から意地悪な回答に変わり、これで最後になるでしょう。


1.国立大学の予算付けの問題は、当然パーフェクトではありません。現在、妥当だと思われる制度によって運用されているだけです。それが、結果として、国民全員の合意の形をとっているだけです。しかし、これが現在のところもっとも民主的な方法であることも事実でしょう。
2.何故、国民合意の形をとって、国立大学に哲学科を存在させているのか。これは、納税者の立場に立って答えれば、「必要と認める人が多く存在する」からです。受験生はいやいや哲学科を志望はしておりません。そのために門戸を広げることは、国民の便益にかなっています。
3.哲学者はこの130年何をしてきたか。答えは簡単です。「哲学をしてきました」これが、納税義務を果たす、ということです。6,7割の哲学者に、それくらいの信頼をおいても良いと思いますよ。
4.哲学に期待すべきことは何か?「すべてです」
5.哲学の具体的実績は?日本の西洋化、近代化、爛熟の資本主義化、つまり130年の歴史と文化そのものです。誰がなしたということではなく、全員で、それに荷担してきました。
6.哲学者は存在させず、哲学という学問だけ残し、哲学者に支払う人件費を他分野の奨学金にまわす。 その大学に「哲学者」の需要がなければ、そうすれば良い、と思います。哲学者を必要とする大学もあれば、不必要な大学もあります。それらは、それなりのバランスを保って、日本に散らばっていることでしょう。

 そして、最後の難問への回答です。「哲学は具体的に何を生み出しているか」です。そして、これが、「病気が治る」「危険な作業から人を解放する」というような即効的なものかどうか、です。昔は、そうしたことは、「諸学の根拠としての哲学」が一手に引き受けて委細面談すべからく解決、と哲学者が胸をはっていました。しかし、今は、「学問」に棲み分けが発生しましたので、心を悩ますことはあっても、こうした「応用科学」の分野は、それなりの実験施設や機械の備わったところで、これに即効的に対応できる職業者がいることから、そちらに解決をゆだねることになってきたのです。ですから、これに対する回答としては、哲学は、「残念ですが、歯科医師のところに行って胃ガンを治せ、と言っているようなもんですから、来た場所が違います」と言う程度のものです。それでいて、哲学は「諸学の根拠たる学問である」と主張します、哲学のヘンなところ、その1です。求める解決の方法が違うだけなのですが、ね。
 
 では、何故、哲学には即効性はないのでしょうか?いえ、私は、元来学問というのは即効性はないと思うのです。今払った税金2万5千円を形にして戻せ、と迫られたら、国立大学のすべての教官が、「それは無理です」というのではないでしょうか?即効性、便益、功利、機能からは、ややへだたったところにあるから、私はニヤニヤ笑って、そんなもの最初からありませんよ、とイヤミを言ったのです。これは、誠実な学究の徒であればあるほど、悩み深くなる問題です。自分の学問が国民の利益にかなっているのだろうか、誰かの役にたっているのだろうか、誰もがそうした悩みを抱えているはずです。
 時として、原爆が諸刃の刃であるように、便益にかなった結果ばかりが出るとは限りません。
 哲学は、そいういった意味では、ずいぶんと賢くなったために、現在の「人間中心主義」を否定しています。それで、税金を稼いでいるのですから、哲学のヘンなところその2です。

 このへんは、雰囲気で感じ取ってもらいたいところですね。

 そして、最後に。哲学の役割を具体的に語るべきだ、という意見について。
これの一番簡単な方法は、哲学の歴史を振り返ることです。これは、科学において実験方法を説明するのと同じです。それで、そこから何を感じ、何を考え、何を改めるかは、これは、科学と同じく、読んだその人が、その人の頭で考え、実行していくことです。
 哲学も科学も「学問」は説明ではありません。どちらかといえば、イヤミをいいあう「おれだけがいちばん正しい」の闘いです。ヘラクレイトスからジャック・デリダまで、様々な哲学者にあたり、その上で哲学の効用を、今度は、あなたが語ってみてはどうでしょうか?意外に即効性があるのがわかるでしょう。度ごとに世界観は万華鏡のように変わり、鬱病や離人症、神経症などには、薬より有効とすら言えるのですから。

 おつきあいいただきありがとうございました。
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この回答へのお礼

今まで有難うございました.

こちらこそお付き合い有難うございました.
sokura様のご意見は参考になりました.

どうやら私には「雰囲気で感じ取る」ことを「分かる」こととすることはできないようです.また存在意義を問われて,歴史を辿れという答えに納得する納税者も少ないでしょう.具体的に何かとお聞きし続けて,「歯医者と胃がん」の暗喩が最後のご回答だったのは,残念です.しかし,これが現状なのでしょう…か?

哲学者が様々な世界観を提示し,その世界観内,世界観間の分析をしてきているは分かります.しかし
(これまで提示された世界観の数)<<(納税者の数)
が成り立つでしょう.納税者の多くは全く同一ではないにしろ同じような日常的世界観を共有し,その世界観の中で悩み,苦しみ,不安を抱えています.
学者がそれ以外の世界観を研究することは否定しません.例えば数学者は虚数を導入した複素空間を調べました.しかしその後,そこで得られた知見を日常的世界観にフィードバックすることで様々な当初の目的を達成することに貢献しました.しかし哲学者には納税者の多くが共有する日常的世界観における解を導出した実績がないのです.

真に鬱病患者が至福になるならば,納税者の多くが一旦鬱病になったあとで,デリダの処方箋を所望する道を望むでしょうが,現実はそうではありません.鬱病患者の特異な世界観においても成功したといえるのでしょうか?

sokura様のアドバイスを受け止め,もう少し歴史の触れようかとは思いますが,先の例え話の「歯医者の治療対象(虫歯など)が具体的に何を指すか?」についてはsokura様も一度専門家におたづねになられてはと思います.

有難うございました.

お礼日時:2001/09/27 13:41

No.6,No.8の回答者です。


明日から、およそ哲学やネットとかいった文明とは無縁の世界に旅立つので最後にします。

>(1)哲学者には納税者への大きな具体的実績はない
>(2)哲学者には納税者からの具体的期待がほとんどない
>は認めるがこのとき「功利主義かつ民主主義」を前提としなければ,「哲学者の
>存在の否定」は言えないというご意見ですね.
違います。功利主義の論理を徹底されたとき(1),(2)の批判に答えにくいと言うだけです。

>しかし今現在が功利主義かつ民主主義なのですから,言い換えると「功利主義の
>否定または民主主義の否定」がちゃんと成立するときまで,哲学者は自己の存在
>を肯定できない日が続くということです.
今現在は功利主義かつ民主主義ではありません。単に主流派を形成しているだけです。功利主義批判の潮流は哲学上もありますし、一般人の生活感覚にも存在するでしょう。No.9の方も仰るように、哲学への税金は建前上は民主主義的に配分されています。つまり、功利主義の論理に上手く反論できなくても、少なくともNo1-No9の人々は、直感的に「哲学は必要だ」と感じるわけです。
そして、理論化された功利主義の直感と、未だ理論化されない功利主義批判の直感はどちらが正しいかは、直ちには決められないでしょう。

>哲学者は警鐘を鳴らすために…と仰ってますが,なんらかの具体的な破局(戦争
>や大事故や地球環境破壊)から社会を救うという目的を前提としている主張に思
>えます.これは先に仰られた個人の満足のためという主張とは明らかに異なって
>客観的な成果を目的と認めていると思うのですが.
そうです。それは何ら論理的な破綻を意味しません。ある一つの行為に、複数の目的(正確には「効果」)が混在しても問題はありません。
私が、NO.6とNO.8で論理を変えたのは「個人的な満足」はダメとしゃるのでおっしゃるので「社会的な便益」をも指摘しただけです。個人的には、小説家に公的な補助金を出したって良いと思います。小説に税金が使われないのは、歴史的な沿革と、優秀な小説家なら自力で飯が食える、という点にあるのでしょう。

>真に警鐘を鳴らしたいのならば,なぜ「哲学者は納税者のメリットの1つである戦
>争や大事故や地球環境破壊のリスク低下を目的としている」と最初から明示しな
>いのでしょうか?
研究者の主観的な「目的」と社会が期待する(期待し得る)客観的な「効果」は違います。数学者も科学者も、哲学者と同様、必ずしも社会の為に研究をしているわけではありません。単に「楽しいから」「生活の為」という人が沢山います。(もちろん、中には「人類の為」と言っている人もいます。しかし、哲学者にも同様に「功利主義批判」を高々と掲げる人もいます。)
そのような科学者・哲学者を一般国民が食わせているのは、社会的な「効果」を期待するからです。もちろん一般国民は、功利主義批判なんて考えてないでしょう。しかし、同様に科学者の社会的便益ということも、常に考えているわけではありません。突っ込まれたとき、科学者の便益はすぐ答えられるが、哲学者のそれは説明しにくいだけです。

>なぜ「納税者の具体的期待」を得ようとしないのでしょうか?
科学者だって、いつも「納税者の具体的期待」を得ようと宣伝しているわけではありません。研究者は半分変人ですから、あまり社会の目とかは意識しないのです。
ただ科学への期待は一般人にも分かり易いので勝手に目に付くだけです。哲学界では功利主義批判は非常にホットな話題です。ただ、それが国民に伝わってないだけです。新聞の学芸欄とか読んでみてください功利主義に限らず現代の思想に警鐘を発する思想家の主張はよく載っています。

>「現時点で納税者が期待していると思われる便益」∋「功利主義かつ民主主義の
>行き過ぎによる戦争や事故や地球破壊のリスク低下」 は既に成立しているように
>見えます.
ええ、ですから社会は哲学者に税金を払うのです。

>功利主義と民主主義を前提とした社会の構成員として生きるならば,これを前提
>と素直に認めた上で,「功利主義と民主主義を「行き過ぎない」ようにする」こ
>とを素直に目的として掲げればよいのに…と思うのですが.
つまり、skistrさんも「哲学者の便益」を認められたわけですか?だとしたら、問題は解決ですよね。哲学者自身の「目的」と社会が期待する「効果」は一致しないのはすでに説明しましたよね。
哲学者をはじめ研究者には、変人が多いのです(実感)。でも、社会は彼らのワガママを多少は我慢して、その社会的な「効果」を得ようとするのです。

>数学者が数学の自己進化を目的として許されているのは「具体的実績がある」か
>らでしょう.哲学者にはそれが無いのですから,警鐘を本当に鳴らしたいのなら
>ば,数学の真似など止めて「具体的期待がある」状況にもっていくしかないので
>はありませんか?
哲学に具体的実績はあります。例えば功利主義それ自体もその実績の一つです。功利主義、この当たり前の合理性さえ、誰も疑わなかった時代があるのです。民主主義、この当たり前の原理さえ、気がつかなかった人の方が多いのです。そして、これらの当たり前の民主主義や功利主義も、千年後の人々にとっては、嘲笑の対象になっているかもしれません。

ところで、私のこの哲学擁護論自体、功利主義批判のほうが便益あるという功利主義になっています。これは意識的です。功利主義のベースで功利主義批判をした方が功利主義の人には説得的だからです。私の思想自体は、もっと「非合理的」な淵源に発っします。

ところで、哲学の実績は探せば色々あります。確かに科学的な成果のみを「便益」とするなら限られるでしょうが、例えば実存主義なしに大江健三郎の小説は無かったでしょう。「パレート最適」という哲学上の概念を巡って先進国と発展途上国の外交が展開される事もあるといのもご存知ですか。

しかし、学問の権威性・研究者の独善性を掘り崩そうとするskistrさんの発想自体には共感する所があります。
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この回答へのお礼

いままで有難うございまいした.
とても参考になりました.

功利主義という実績は昔の話ですね.
またパレート最適は当初の目的を達成できたのでしょうか?提案手法を現実問題に適用すること自体は実績とは言いません.適用結果,当初の目的を達成したことをもって実績と称せられると思います.哲学者の合格ラインを科学者の合格ラインより低く設定するわけにはいかないと思います.

社会のために研究しない学者が許される場合は,彼らの副産物,副作用に実績や期待があるからでしょう.科学は無価値という常識は大きく疑われているようです.
「社会のため」とキチンと掲げない一方で,有用な副産物も副作用の実績も期待もない分野は存在意義を明確に説明しなくてはいけないと思うのです.「直感」だけでは「分かりにくい」ですね.

議論が循環しているのか,徐々には収束しているのか,
不明ですがもっとも誠意ある回答を頂いたと思っております.

本当に有難うございました.

お礼日時:2001/09/27 14:02

 国立大学の予算は、国会で承認を受け、国民に支持をされて消費されています。

したがって、たった一人の人間が「メリットはない」と感じるのは、感じ、であって、論理ではありません。多数決原理の民主主義、功利主義においては、少数意見です。ですから、必要なものへ必要に応じて分配される、民主主義、功利主義、機能主義に則った財政配分の結果が、現在の姿ですから、「国立大学の哲学屋」は、一国民の一職業として、これを全うしていますし、認知もされています。今後とも、これは続くと思います。ですから、一職業者として、彼らは、納税義務をりっぱに果たしているといえるでしょう。国立大学に哲学科は無意味である、犯罪者の更正に税金を使うことは無意味である、というなら、自分の学問を捨てて、国会の人となってください。哲学の無意味さを言い募ることは、それくらいムダが多く、経費のかさむ作業だと思いますが。

 さて、社会的認知において「哲学」が職業として成り立った原因は、「真理の探究」「神の存在証明」のため、「諸学の根拠としての学問」という点にあったと想像されます。ざっくばらんに言えば「人はパンのために生きるにあらず」ということで、この前提が真理だと勘違いしていたから、大学は栄え、諸学の探求の徒は、「真理探究に使える崇高な学問生」として、「働くこと」「兵役」を免除されても、モラトリアムな時間を過ごすことが出来たのです。
 今現在、かけ算も出来ない大学生が五万といる、言われ、象牙の塔は一大レジャー産業と化していますが、そうしたムダも良いものです。
 学問は、ある意味で大きな知の浪費の果てに、小さな一つの成果をしか生み出さないもので、きまじめな学生が、成果(=メリット)のみを求め、一つの研究にうちこみ、その果てに「…なんにもならなかった」と力つきても良い、と私は考えています。現実に、社会を激変させる成果など、そんなに簡単に生まれるはずもない、途中で倒れる探求の徒ばかりですしね。
 私が、女々しい、と茶化したのは、そういった姿は、実は、学問のピエロ状態ではあるが、それでも、人類のために「成果」を生み出したい、と努力する、成果ではなく、経過を愛する人になってほしい、ということなのです。
 メリットのために、確かに生真面目な人は「学問」に励みます。自分が愛する「学問」はきっと何か人類にプラスになるものを生み出す、という固い信念に燃えて研究に励んでいることでしょう。「哲学も科学」も学問はすべて同じです。背中が寒くなるかもしれませんが、主に哲学が「学問」とは、「今日のパンにはつながらないが、明日の人類にはつながるものなのだ、だから何一つムダはない」と言って、極端な経験主義者(世の中を知るためには、学問より汗まみれの労働であり、苦労だ、という論理です)から、象牙の塔を守ってきたのです。これからも、口のうまい「哲学者」によって「学問」の必要性は守られてゆくと思います。
 昔、キリストが、とうとうと持論を展開していると、父親が「そうはいっても人間というのは、今のパンのことしか考えないもんなんだよ」と言ったため、カッとなったキリストは「大工のあんたに何がわかるのか!」と怒ったとか怒らなかったとか、という噂話がありますが、「哲学や学問全般」はそのように、ある意味では、多くの人に「何の役にたつんだ!」と否定をされながら、生きていくことが似合っている商売で、「学問」に励む人は、こうした疑問を常に背中に感じながら生きているものです。それがまた、「哲学」を成長させてきたし、「学問」全体をかろうじて守ってきたのではないでしょうか?科学者であれ、哲学者であれ、自己を常に「反省する」人が、私たちに「人間としての親しみ」を覚えさせます。「今、俺の言ってることは本当に正しいのか?」と。

 メリットがあるから「学問」をする、というのは、「学問」の端緒ではありますが、結論にはなりません。いまこの研究によって人類が進歩してほしい、と七転八倒すること、こうした諸学の探求の徒を増やすことが文化の発達、メリットということではないでしょうか?

 文化という人間の歴史の堆積を認めないなら、話にならないのですが…。

この回答への補足

再びご回答有難う御座います.本当に感謝いたします.

>国立大学の予算は、国会で承認を受け、国民に支持
>をされて消費されています。したがって、たった一
>人の人間が「メリットはない」と感じるのは、感じ、
>であって、論理ではありません。
>多数決原理の民主主義、功利主義においては、少数意
>見です。
現在の多数意見の中には当初は少数意見だったものが沢山あると思います.

>ですから、必要なものへ必要に応じて分配
>される、民主主義、功利主義、機能主義に則った財政
>配分の結果が、現在の姿ですから、「国立大学の哲学
>屋」は、一国民の一職業として、これを全うしてい
>ますし、認知もされています。今後とも、これは続
>くと思います。ですから、一職業者として、彼らは、
>納税義務をりっぱに果たしているといえるでしょう。
ならばあらゆる現在の国立の制度は完璧という結論になります.これこそ「反省」のないナンセンスな議論だと思いますが.必要なものへ必要に応じてと仰ってますが,まさにそこで行う判断の論拠,哲学者の必要性の論拠を具体的にお聞きしているのです.しかも前回「必要ない」と仰ってますが….

誤解を放置しておりました.犯罪者の更正などがメリットではないと主張していません.納税者の多くが常に犯罪を犯し,障害者になり、植物人間になるリスクを持っているのですから,更正なども便益に含まれると思われます.

また哲学の無意味さを主張するのでもありません.今回の議論の発散を防止するべく哲学者とメリットは最初に定義しておいたのですが….
「学問」「文化」という哲学を要素とする集合自体を否定したりしていないです.私は
「「学問や文化」の否定」⇒「哲学の否定」
を言っているのではありません.仰られるところに一部共感する部分はありますが受け答えにすれ違いを感じるのですが.

補足日時:2001/09/23 19:20
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No.6で回答したものです。


「便益」というものをskistrさんのレベルで争っては確かに哲学の分は悪いですね。
一応、それなりの反論はできますが、それは「便益」ではないと言われたら終わりなので、No.7の方のご意見を敷衍して、

それでは、なぜ税金は国民のために使われるべきなのでしょう。なぜ、skistrさんの給料はskistrさんが自由に処分できるのでしょう。skistrさんより社会に役に立つ人のために寄付すべきではないですか。skistrさんより困っている人のために寄付すべきではないですか。
skistrさんの意見の正当性を支えるのは、現在最も有力な民主主義の一派の発想です。

NO.7の方も書いておられますが、いわば功利主義的な哲学に正当化された発想は、例えば法学さえも切り崩し「法と経済学」という一分野を築きました。
「法と経済学」の発想によれば、例えば交通事故において加害者に賠償させるのではなく被害者に自腹を切らせるのが最も経済合理的であるならば、加害者は賠償する必要はないのです。
もし、それを数学的に証明されてしまったとき、「それはあまりにも正義に反する」ということを上手く正当化できるでしょうか。

現代の哲学の課題の一つは功利主義批判ともいえます。一見、説得されてしまいそうだけど何とかして反論せねば、という思いを説得力をもって発言するための哲学が必要なのです。
そのためには、功利主義という思想の由来に遡って、何故そのような発想が生じたのか、功利主義以前はどのような発想があったのか、といったことを研究せねばなりません。

skistrさんの意見は非常に合理的なものです。しかし、それは「正義」に反すると感じるのがNo.1-No.7の人々なのです。
その「正義」は何がしかの哲学に触発されているでしょうし、その「正義」を効果的に主張するためには哲学が必要なのです。

いや実際のところ、まだ上手く反論できないんです。民主主義と功利主義にタッグを組まれると辛いんです。
功利主義だけなら、それでは弱者が切り捨てられるという民主主義的な反論ができるし、民主主義だけなら、社会の効率性という功利主義的な反論ができるのですが。

その当時には絶対の正義を持って主張された単純な社会主義や自由主義は現在では否定されています。
現在、全く以って正しいとされる功利主義&民主主義も、将来は否定されるかもしれません。
そういう、現代の主流の哲学を歴史的に相対化し、その行き過ぎに警鐘を鳴らすのが哲学の役目なのです。

日本の哲学はどうかなというところもあるのですが、ルソーの民主主義、アダム・スミスの自由主義、ベンサムの功利主義、ロールズの功利主義批判、旧来の体制するため、旧来の体制を守るため、その正当化の論拠を提出しようとした哲学者は枚挙に暇がありません。
現代でも哲学は、skistrさんの哲学不要論に代表される功利主義&民主主義の行き過ぎに警鐘を鳴らすため、研究を続けているのです。

ちなみに私がインド哲学の講義で学んだもののうちの一つも、単純化すれば、現代人には絶対説得不可能な論理でも説得される人がいた。つまり既に現代人には理解可能なロジックにつきバイアスがかかっていると言うことです。

この回答への補足

ご回答に感謝いたします.有難う御座います.
要するに
(1)哲学者には納税者への大きな具体的実績はない
(2)哲学者には納税者からの具体的期待がほとんどない
は認めるが,このとき「功利主義かつ民主主義」を前提としなければ,「哲学者の存在の否定」は言えないというご意見ですね.しかし今現在が功利主義かつ民主主義なのですから,言い換えると「功利主義の否定または民主主義の否定」がちゃんと成立するときまで,哲学者は自己の存在を肯定できない日が続くということです.
このような論理はそもそも哲学者の正当化,哲学の自己進化が最終目的になってしまっていませんか?

哲学者は警鐘を鳴らすために…と仰ってますが,なんらかの具体的な破局(戦争や大事故や地球環境破壊)から社会を救うという目的を前提としている主張に思えます.これは先に仰られた個人の満足のためという主張とは明らかに異なって客観的な成果を目的と認めていると思うのですが.

ならば
「哲学者には納税者への大きな具体的実績はない」かつ「哲学者には納税者からの具体的期待がほとんどない」と認めてしまってよいのでしょうか?

真に警鐘を鳴らしたいのならば,なぜ「哲学者は納税者のメリットの1つである戦争や大事故や地球環境破壊のリスク低下を目的としている」と最初から明示しないのでしょうか?なぜ「納税者の具体的期待」を得ようとしないのでしょうか?

「現時点で納税者が期待していると思われる便益」∋「功利主義かつ民主主義の行き過ぎによる戦争や事故や地球破壊のリスク低下」
は既に成立しているように見えます.

功利主義と民主主義を前提とした社会の構成員として生きるならば,これを前提と素直に認めた上で,「功利主義と民主主義を「行き過ぎない」ようにする」ことを素直に目的として掲げればよいのに…と思うのですが.

数学者が数学の自己進化を目的として許されているのは「具体的実績がある」からでしょう.哲学者にはそれが無いのですから,警鐘を本当に鳴らしたいのならば,数学の真似など止めて「具体的期待がある」状況にもっていくしかないのではありませんか?

補足日時:2001/09/22 23:11
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 税金は浪費されるために消費されます。

厳しく使途を定められた国は、いうまでもなく軍国主義です。メリットのためだけに追求されるもの、それは極端な合理主義の顔をしながら、メリット(結果)だけが主体となり、人間が影におちこむ、拝金思想です。
 たとえば、メリットを追求すれば、犯罪者の更正に税金をつぎ込むことは不必要です。病気で働けない人に税金をつぎ込み生活保護という制度で庇護することも、非生産主義で意味がありません。老人ホームなどを造って、非生産主体を保護することも反資本主義的考え、ということになります。障害者の方や、植物的に呼吸をしている何者かの延命措置……。
 今は、誰も「神の見えざる手」によって「自由競争」に励めば、社会はメリットばかり生み出して自由を満喫できる、などと、人間中心進化論を唱えてはいないでしょう。

 税金は使途が大事だ、という論点は、極めて今風の哲学思想です。功利主義、機能主義的な哲学思想といってもよいでしょう。ですから、経営者は、こうした哲学思想に便乗して、メリットのみを求める「機能主義的な哲学者」として「労働者」と相対し、「働けないものは不必要、年寄りは自発的にやめるべきだ」と自らの正義を主張しています。会社は残しても人は残したくないのです。昨今のリストラには、非常に大事な考え方です。どんどん首を切って会社から「ムダ」を省きましょう。学校も「ムダ」を省くため、「できないやつはイジメにあって学校に来なくても、勉強のできるやつのじゃまにならないから学校は本当の学問の場になる」。やはり、ムダはいらない、メリットのみ追求しよう、ということになります。

 税金は、世の中に利益をもたらすもののみに消費すべきである、という考え。
これもりっぱな哲学です。「でもさぁ、人間て遊んでテキトーでだらしなくて、ムダ口ばかりたたいて生きている、しょうがない動物だなー」と実態をフィールドワークするのも、また、哲学の得意技です。だらしないものを、だらしないものが調べるのですから、成果や実績なんかあるはずないじゃないですか。

 しかし、メリットだけが学問の主人公ではないですよね。「哲学」はテキトーでだらしなく、どうしようもない動物を「それでも戦争なんかで一人も死なせちゃいけないんだよ」と、酔っぱらいのようにぐだぐだ女々しく愚痴っている学問なんです。必要はありませんが、何故か、重たい存在感はあるようですね。

この回答への補足

ご回答有難うございます.

軍国主義,拝金思想,犯罪者更正中止,生活保護中止,無意味な延命措置…
納税者の多くはこれらをメリットとは現時点で考えていないと思います.
一方でリストラの例のように今の功利主義や機能主義が抱えている問題があるというは理解できます.
しかしこれらだけをもって功利主義や機能主義を否定する根拠にはならないと思います.今の功利主義や機能主義が単に未成熟なだけで,過渡的な被害が出ているだけという主張もできます.

いづれにせよ,社会に対して問題意識を持ちながら,結局は「成果や実績なんかない」「女々しく愚痴っている」「必要はない」と認めてしまってよいのですか?

「重たい存在感がある」というのも認めます.しかしたったこれだけで哲学者を支えるのは無理ではありませんか?

補足日時:2001/09/22 23:49
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(非常に実用的な意味)


 もし、日本の国立大学に哲学系の学科が無かったら、外国に馬鹿にされます。

(本題)
 私も、国立大学のお世話になった身ですが、哲学は専攻しませんでしたが、あるインド哲学の教授の講義を聴講し、パラダイム転換といって良いほどの衝撃を受けた覚えがあります。これは、少なくとも私の人格形成の上で非常に役に立ちました。
 たぶん、このようなことは私一人に限ることではないと思います。マルクス主義という哲学を多くの人が貪った時代もありました。それが、団塊の世代の人格形成に大きな影響を与えたことは確かです。
 哲学が何かの役に立つか立たないかは別にして、人間は誰しも多少は哲学的な問いを持つでしょう。そして、哲学はその問いに対し幾ばくかの指針を与えるのです。
 
 国民の役に立つというのは、国民のお金が増えるとか、国民が賢くなるとかいう意味では無いですよね。国民の要求に答えることが、国民の役に立つということのはずです。
 医療や科学に対する国民の要求があり、それに答える科学者・医者がいる。同様に、哲学に対する需要があり、それに答える哲学者がいる。
 
 医学に対する要求の具体的な内容は、健康です。健康になれない医学は無意味です。
 科学に対する要求の具体的な内容は、利便です。便利を提供しない科学は無意味です。
 哲学に対する要求の具体的な内容は、特にありません。具体的にどうしろという要求でないのだから、具体的な成果が無くても当然です。

 医学の成果は、個人の健康を通じて、社会に客観的な成果、例えば平均寿命の上昇、をもたらします。
 科学の成果は、個人の利便を通じて、社会に客観的な成果、例えば交通機関の発達、をもたらします。
 哲学の成果は、個人の満足で留まります。そして、社会に客観的な「便益」は現れません。しかし、個々の個人が主観的に満足であれば、社会なんて、客観的な成果なんて、どうだっていいんじゃないですか?

 まあ、納税者の多くは哲学なんか要求していない、と反論されるかもしれません。
 でも、わざといやらしい言い方をすると、頭の良い人ほど哲学を欲するんですよ。納税者の期待するような便益を提供してくれる頭の良い人のためになるんなら、それで良いんじゃないですか。
 (あと、将来の納税者である若者ほど哲学を欲しますよね)

この回答への補足

ご返答有難うございます.確かに外国に馬鹿にされるというのは困りますね.また哲学書が一部の人の人格形成に影響を与えるというのも分かります.しかし個人の満足で留まるならば小説だって同じでしょう.税金で小説を書く人はいますか?税金が絡む問題をないがしろにはできません.

残る論点は「メリットを供給できる人=頭の良い人⇒哲学を欲す」という命題が真か偽かですね.では過去130年に医学分野で功績を残したフレミング,レントゲンはどうでしょう?交通分野ならダイムラーやライト兄弟はどうでしょう?彼らのような人物はメリットの供給者である一方で残らず哲学に耽っていたと言えますか?ニュートンが方法序説を片手に物理学を作ったという話はありますが,今の時代とは制度が大きく違います.現代におけるそのような具体例(過去50年,130年における大きな具体的メリットの供給者自身が,ある哲学者の成果抜きではそのメリットの実現が難しかったと言っている事例)を挙げて頂けないと説得力がないのですが.やはり厳しすぎる問いなのでしょうか?

補足日時:2001/09/20 18:28
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哲学に公費をかけることは不当ではない、と考えます。



第1に、哲学も文化の一環であり、文化の振興のためにはお金をかけることも必要であると考えます。

第2に、哲学の役割として、他の実践的な学問に先立って、その足場を固めるという役割を挙げます。先の方々が例にあげていらしたように、生命倫理・環境倫理という「応用倫理学」の分野は、急速に変化する現代に対して、先行して舵取りすることは難しいけれども、慎重さを与えてくれるものです。

第3に、本来、論理学は哲学の一部であって、この論理力のトレーニングなどを、教育分野、教養分野、その他全ての分野において学際的にリードしていくのが哲学のこれからの一つの役割だと考えています。

ただし、私個人としては、趣味的に古来の哲学者の遺稿をああだ、こうだと解釈してばっかりの学習方法には疑問ですし、どのように社会に貢献していくか考えず、大学を離れては生きられないような教授が多くいらっしゃるような気はしてます。内部の人間が自覚を持って、「象牙の塔」にならないようしてほしい、というのが私の意見です。

この回答への補足

ご回答有難うございます.
第一に,文化としての価値はどの学問分野でもあると思います.
第二に,他の実践的な分野の足場を固めるとのご意見ですが,応用倫理学が成功したかどうかはまだまだ不明であると思われます.本当に現代社会は慎重になりましたか?僕にはそうは思えませんし,過去に,他分野の足固めをした結果,具体的なメリットが還元された例も知らないのです.
第三に,論理力のトレーニングならば数学分野の方が数段有力であると思われます.古典的な論理学の分野はともあれ,今後の論理学は数理論理学など数学系が発展を担うと思いますし,既にそのようになっていると私には思われます.

補足日時:2001/09/19 21:31
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1)哲学者に具体的な何かを期待していると明言できる人がほとんどいないと思われる


そうでもありません。例えば、各分野においても、その学問の方法論などは、その学問の「哲学者」が担っています。たとえば、会計学において、何をどのように認識するかという問題は、その基礎理論において検討されています。その意味では、期待している人がほとんどいないというのは、事実でないと思われます。法律でも法哲学があります。教育だと、教育学そのもの。
2)過去(例えば戦後50年,あるいは,維新後130年)に哲学者がメリットをもたらした具体的実績がほとんどないと思われる(つまり,メリットを供給する能力が哲学者には備わっていない)
確かに、書物という実績をみれば、他分野よりも数は少ないかもしれません。しかし、それは、経済学のように、そのときどきの経済情勢などの動きの早い事象を相手にしている学問でないので仕方のないことです。それに、大学の先生には、哲学を教えるという実際的な活動もあります。つまり、少なくとも高校の倫理社会の先生ぐらいの役割はあるでしょう。

問題なのは、片方で「哲学者」を問題にしているのに、もう一方で「哲学は否定しない」とか「哲学の役割を具体的に説明」とかいうように、別のテーマで回答者をセレクトしようとするところです。

なお、税金の使途は問題もありますが、哲学者以外でもたいした研究業績のない学者はいるでしょう。問題にするなら、それらも含めるべきだろうと思われます。

この回答への補足

1)会計,法律,教育の話題はあまり知りません.できたらもう少し詳述していただけませんか?
会計士,裁判官や弁護士,小中高教師のどれだけ多くの人が哲学者の今後の仕事にメリットを期待しているのでしょうか?確かに末端(差別のつもりなし)に行くほど,上位の源泉が見えなくなる傾向はありますが,数学の発展を期待するエンジニア,化学の発展を期待する医師はゴマンといると思われます.従って,哲学者に何かを期待している人というのは極限られた少数者であると言えませんか?

2)に関してですが,動きの早い事象を相手にしないからといって書物が少ないことの理由にはならないと思います.普遍的な事象を相手に書物が多くでている分野もあります.また教育に関しては,納税者にメリットがあるコンテンツという前提でこそ意味があるのであって,
もし1)が崩れているならば,教育の価値も主張できないと思います.

回答者のセレクトでご気分を害されたかたには申し訳ありません.多数の回答があると予測したためでした.

補足日時:2001/09/19 21:45
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