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お世話になります。最近、江原啓之さんの本を読んでいるのですが、宿命は変えられないけど運命は変えられるとありました。いろんな経験をして魂を磨く為にこの世に存在することも・・・。でも何故魂を磨く必要があるのでしょう??何回も人間界に生まれてきて磨くことに何の意味があるのでしょうか?また、縁があるとか、ないとか言いますけど縁は自分の力ではどうすることもできないのでしょうか?会う人とは会うし別れる人とは別れるようになっているみたいです。切れてしまった縁さえも自分ではどうにもならないのでしょうか?何だか人間って辛いですね。自殺してしまう方もいますが自殺することも学びなのでしょうか?沢山の?をを書いてしまいましたが、1つの?でも分かる方がいらっしゃいましたらご回答を宜しくお願いいたします。

A 回答 (4件)

はじめまして。


宿命とは、人の運命は前世から定まっていて現世ではどうすることもできないという考え方を言います。
これに対して、単に「運命」という場合は、現世で出会うところの吉凶禍福つまり廻り合わせのことを言います。
「宿命」では、生きているうちに出あう様々な出来事(よいことも悪いことも含めて)は自分が生まれる前から既に決まっているという立場ですので、既に決定している事をこの世でどんなに変えようとしても、変えることは出来ないのです。突き詰めれば変えようと努力することさえも既に予定された行動であるということにもなるのです。
「運命」では、自分の考え方次第でそれ以降の自分はそれなりに変わっていくという考え方なのです。因果律という言葉がありますが、原因があって条件が揃えばそれに応じた結果が生じるのです。自分の考え方を変え、環境を変えればこれから先の自分というものは相応に変わることが出来るのです。そこに生きる楽しみを見出すことが人生にとって有意義なことではないのでしょうか。
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この回答へのお礼

jinnseimaemukiさん、はじめまして!こんばんは。アドバイスありがとうございます。宿命の持つ意味は大きいのですね。今、私が魂のことに興味を持つのも既に予定された行動であるということになるのですね。計算づくしの・・・。せめて運命の部分でも充実できればいいのですが。自分を変えるというのは難しいですね。何か最近辛いことが多いので・・・。でも「運命は自分で切り開く」という言葉があるので、意識を変えれば良くも悪くも「有意義な人生」になるかもしれませんね。
ありがとうございました。

お礼日時:2005/05/13 21:58

1.魂を磨くことについて


あるアーシュラムのグルジーに’大河の一滴’のような話を聞きました。僕が客観の限界の超え方について質問していたときの事です。
’Think about Ganga river…’から始まり
一滴の雨水が集まってガンガーとしての自我を持ち、海に至って黄河やミシシッピーと交じり合ったとき、もはやガンガーとしての自我を超えてピュアリファイしていると。それがスーパーエゴでヨガの目的である輪廻の輪からの脱却である。何百回何千回と夢と呼ばれるものを忘れ目覚め、現実と呼ばれるものを忘れ眠り夢を見る繰り返しと、何万回と繰り返される輪廻に当事者が気がつかない…。
’いやいや、僕は神秘主義ではなく論理で知りたいんだ。’
生きるために’知る’より、’知る’ために生きています。これが僕の今のところのピュアリファイでその次の段階は’知る’ことへの囚われから離れることだと思っています。
2.縁のあるなし
僕はいわゆる問題のない家庭に生まれましたが
いわゆる世俗的なことに興味がなく
本が友達です。世俗的な責任から逃げ、(宿命からの逃避?)感情が絡むと親族には申し訳ないのですが
(”天に”忠ならんと欲すれば孝ならず?)運命には忠実なのだと思っています。辛いと思われるときは
あなたが消費しているエネルギー以上の働きをしようと行動なさればいかが?食事の前にその料理(目の前にあるエネルギーに)自分が見合っているかを考えればいいダイエットにもなります。
3.自殺は学び?
その生き物にとっては何の学びにもならないと思います。全体の中の再構成だと思います。環境に働きかけられない個体が環境に適応できなかった結果。僕にとっての輪廻とは料理の中の米や豚が死んで僕の血肉になることで僕が死んで灰になって植物の肥料となり豚になり変化し拡散し’大いなるもの’と一体化することです。かわぐちかいじさんのレオナルド・ダ・ビンチについての漫画の中で’大自然の中で一体感を感じたときに幸せを感じ、そうでないとき疎外感を感じる’というせりふに強く共感します。
4.江原さん
以前、蛇滝で江原さんに会釈され(そのときは分からなかったのですがどこかでみたことのある顔だ、と思いました)、”ヨン様以外にこんな和顔ができる人がいるんだ”と感心しました。
5.回答した理由
-1.質問ばかりでここのところ何も答えていないので
-2.僕も江原さんの本で運命と宿命の違いについて概念を得られたので
お答えしました。
求めているものでなければごめんなさい。
出会うべきときに出会い、分かれるとき分かれる、
走っていて見逃したことも立ち止まって気づくことも…。感じれば寂しいかも、考えれば感じないかも?
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この回答へのお礼

nanashimi6さん、こんにちは。お礼が遅くなり、すみません。しかもたくさん書いて頂きありがとうございます。
江原さんの本を読むきっかけになったのは失恋してから宿命・運命・縁について深く考えるようになったからです。

>>生きるるために’知る’より、’知る’ために生きています。これが僕の今のところのピュアリファイでその次の段階は’知る’ことへの囚われから離れることだと思っています

とのことに納得しました。
アドバイスありがとうございました。

お礼日時:2005/05/18 09:25

貴方の質問に回答するのに宿命と運命の定義付けが必要なので私が持っている知識・思考能力を総出で定義付けしたものだから正しくないかも知れませんが仏教の密教修行者の一人として記述します。



宿命…密教では、人がこの世に生まれて来ると本人の意志とは別に守護佛が有ると考えていて、その守護佛の管理下にある命であると定義付けして良いと思います。
(人が死んで生まれ変われば、その守護佛は変わらなかったり変わったりする)

運命…生まれた時(機会)を基準にして、その生まれた人に貴方は、こうやりなさいと命じている事を指します。

結果的に宿命には人の自由はありませんが、運命には人に言動の自由があると言う事になります。

〉何故魂を磨く必要があるのでしょう??

仏教的に言えば、一言で成仏する為です。

成仏…魂を磨く事によって、その磨いた人が仏(守護佛)その物になる事を言います。

〉何回も人間界に生まれてきて磨くことに何の意味があるのでしょうか?

何回も生まれて来る事は、魂を磨いていない証拠なので人として生まれて来て死ぬ事には何の意味もありません。
魂を磨き成仏すれば、自ら思った事を遣っても他に何の悪影響を与えなくなり、自らを誇示する必要もなくなり又、何かを遣らねばならぬと、いう義務も無くなり本当の意味での自由を得る事が出来ます。

〉縁があるとか、ないとか言いますけど縁は自分の力ではどうすることもできないのでしょうか?会う人とは会うし別れる人とは別れるようになっているみたいです。切れてしまった縁さえも自分ではどうにもならないのでしょうか?

縁の問題は、宿命とは関係有りませんから、これは運命論で考える事になりますから有る程度、本人の自由になります。
従って切れた縁を戻すも、そのままにするも本人の能力に頼る事になります。
何事も自分の思う通りにならない事が有れば、何でも他の力のせいだと思うのは甘えであり、魂を磨くとか言う以前の問題で、そう言う人は人生を生き抜く為の知識・行動力を付ける為の努力を怠っている、とんでも無い怠け者なのです。

〉自殺することも学びなのでしょうか?

自殺する事から何を学べと言うのでしょう冗談きついね。
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この回答へのお礼

naiusoさん、こんばんは。ご回答ありがとうございます。すべては魂のために私達は存在するのですね。最近、日本では少子化なので魂の浄化が済んだ人が多いのでしょうか。それとも他の国で生まれ変わって修行しているのかもしれませんね。(私の前世は600年前のモンゴルにいたみたいなので、600年ぶりに人間界に戻ってきたことになります(有名な先生にみてもらいました))
>守護佛の管理下にある命であると定義付けして良いと思います

とのことから自殺する方も守護沸の管理下での命となりますね。

ありがとうございました。

お礼日時:2005/05/13 21:39

 こんばんは。



 江原啓之さんの文章は、「婦人公論」で読んでかじった程度なのですが……

 江原さんの考え方は、人間は死後、霊界にしばらくとどまり、また「現世」に再生し、それを繰り返しながら魂が浄化し、しだいに霊性を高め、最終的には「神界」の光に溶け込んでいくというもので、魂が浄化しないと死後にさまよってしまい、「神界」にたどり着けない。魂が浄化しないのは、霊的知識をもたずに亡くなった方や、死後の世界を信じない方、不慮の事故(自殺もそうですね)等で急死した方、この世に未練を残してきた方などだと、私としては理解しました。
 
 これを前提にお考えになると、理解がしやすいように思います。

>でも何故魂を磨く必要があるのでしょう??何回も人間界に生まれてきて磨くことに何の意味があるのでしょうか?

 何度も生まれ変わり、磨くことにより、魂が浄化し、しだいに霊性を高め、最終的には「神界」の光に溶け込んでいくからです。

>また、縁があるとか、ないとか言いますけど縁は自分の力ではどうすることもできないのでしょうか?会う人とは会うし別れる人とは別れるようになっているみたいです。切れてしまった縁さえも自分ではどうにもならないのでしょうか?

 この世に生まれる際に、この世での学びのプログラムが与えられているそうですから、プログラムに無い人とは会えませんし、別れる人とは別れるようになっているということですね。これが「宿命は変えられない」ということなんでしょうね。

>何だか人間って辛いですね。自殺してしまう方もいますが自殺することも学びなのでしょうか?

 これは、「運命」に当たることなんでしょうね。浄化が遅れてしまうわけですから。ですから、学びではないといえますね。

(参考)
宿命……生まれる前の世から定まっている人間の運命

運命……人間の意志を超越して人に幸、不幸を与える力
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この回答へのお礼

o24hiさん、こんばんは。さっそくのアドバイスありがとうございます。「別れてしまう人とは別れるようになっている・・・」友達でも恋人でも仲良くなれたのに学びが終わったから「はい終了!」なんて寂しいですね。ある意味自殺も宿命だったんでしょうね。学びとは違ってきちゃいますが、逃れることのできない・・・。わかりやすい回答ありがとうございました!

お礼日時:2005/05/13 21:22

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