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http://www.asahi.com/paper/column20050514.html

 2005年5月14日の『天声人語』を読んでいます。理解できないところがありますので、ご指導をお願いします。

1.『「話せばわかる」という言葉が残る。』

 「話せばわかる」について詳しく知りたいと思います。どうしてこの言葉が残されたのでしょうか。

2.『「日本がいつまで西欧文明のビールスに感染しないでいられるかは問題だ……日本人の好みも、やがては西欧的企業のスモッグにおかされて、失われてゆくことは必定であろう」(『チャップリン自伝』新潮社)。』

(1)「感染しないでいられる」はどういう意味なのでしょうか。

(2)「日本人の好みも、やがては西欧的企業のスモッグにおかされて、失われてゆくことは必定であろう」はどういう意味なのでしょうか。

 日本語を何年間も勉強していますが、まだまだ文章がうまく書けません。質問文の中で不自然な表現がありましたら、それも併せて指摘していただければ助かります。よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

どうもです。



1については、No.2さんの回答があります。文意としては私は最初、勝手に小泉さんの北朝鮮政策の対話重視路線を皮肉っているのだとも思いましたが、よく見れば朝日のコラムでしたね。。
>軍国主義に対する抵抗
ととらえてるのがいいのではないでしょうか。


2-(1)
「感染しないでいられる」は
「いられる」は可能、「いることができる」と言い換えられると思います。受身とは、とれないと思います。
最近口語では可能の意味で使うときは「ら」をぬいて「いれる」「食べれる」などと、よく使いますよね。
普通は我々は文脈で受身か尊敬か自発か可能か判断できます。万が一相手に誤解されて、誤った意味としてとられないようにする意味でも私は良いことだと思うのですけどね。(前文の「意味にとられない」は受身の例です。)
「ら抜き言葉」は日本でも賛否があり、口語では認められつつあるが、文語においては「ら」は抜かない方が良い、というのが趨勢のようです。

可能の例文:僕はピーマンが食べられない。
      =僕はピーマンが食べれない。
「あなたの側に居られるだけで、私は幸せなの。」
     =「あなたの側に居れるだけで、私は幸せなの。」

受身・尊敬・自発・可能でよく使うのは可能だから、それだけ特別になったのかな(推測)。古文の知識(助動詞る・らる)も関係しますので、ここでは深入りはしないでおきます。また「ら」が入っていると誤解されやすい表現の例文も考えましたが、うまいのが浮かびません。
なんか「ら抜き言葉」の紹介になっちゃいました。。

2全体では、西欧文化に日本独自の文化が侵食されることへの警鐘を鳴らしているんだな~と思ってください。
ビールスはたしかvirusのドイツ読みだったと思います。たまに評論文で出る読み方ですね。


興味あったら「ら抜き言葉」でネット検索してみてください。
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この回答へのお礼

 いつもお世話になっております。
 ご親切に教えていただきありがとうございます。「感染しないでいられる」の「いられる」は可能ですね。よく理解できました。「ら抜き言葉」のご紹介も感謝します。「食べれない」はよく聞けますね。大変いい勉強になりました。
 本当にありがとうございました。

お礼日時:2005/05/20 23:33

 再登場。



 1.については#2の方が補足してくださったようですね。
 事件のまさに真っ最中に本人が言った言葉を、目撃者か誰かから聞いて記録した人がいるんじゃないでしょうか。

 2(1)は、おそらくは「今も既に感染は進んでいるが、これ以上の進行は阻止したいものだ」という作者の意図が見受けられます。

>「感染していない」と「感染してはいられない」のどちらなのでしょうか

 この2つの選択肢から選ぶとするならば、「日本の文化を守るためには、これ以上の感染をしてはいられない」といった感じになると思います。
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この回答へのお礼

 再びありがとうございました。

お礼日時:2005/05/20 23:25

こんにちは。


1について、#1さんのお答えは逆ですね。
これは昭和7年(1932年)の5.15事件(海軍将校らによるクーデター未遂事件、当時の首相・犬飼毅が殺害された)の時の話です。
自分を殺害しに来た青年将校に対し、犬飼首相は「話せばわかる」(=「よく話し合えば、クーデターなんて起こすような愚かなことはしなくていいはずだ」というような意味でしょうか)と言ったのに対し、将校たちは「問答無用!」と拳銃を撃った…と伝えられています。この事件を発端に「話せばわかる」という言葉が流行語のようになったと思われます。
「話せばわかる」というのは、軍国主義に対する抵抗の言葉として「天声人語」の筆者は取り上げているのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

 早速のご回答ありがとうございました。
 歴史とも関係がありますね。大変いい勉強になりました。
 本当にありがとうございました。

お礼日時:2005/05/20 22:08

1.


 「話せばわかる」というのは、昔の流行語(?)なんです。
 ここでは「昔流行したという記録がある」といった程度の意味です。

2.
(1)日本の文化と西洋文化に矛盾が起きた場合に、多少不便だったりしても「やっぱり日本のが一番」と言い続けられる人がたくさんいる社会のことを、「西洋文明のビールスに感染していない社会」といいます。
 たとえば、味が淡白で同じようなメニューの多い日本食と、濃厚でバラエティ豊かな洋食の2つが選べた場合、多くの人が後者をとります。
 これが「西洋ビールスの感染」です。

(2)よってこれは、(1)が極端に色々な局面で進行してしまった結果、日本的な文化を選ぶ人が誰もいなくなってしまうことを懸念しての発言です。
 今現在、『日常生活で和服を着る人』はほとんどいませんよね。
 なぜか。簡単です。西洋の服装文化に完全に感染しきったからです。
 『洋服(西洋の服)』という言葉が身につけるもの全般を指す言葉となってしまったことからも、それは分かります。

この回答への補足

 早速のご返事ありがとうございます。申し訳ありませんが、まだすっきりしていないところがありますので、補足させていただきます。

1.『旧官邸を語る時に、まずあげられるのが竣工の3年後の5月に起きた「5・15事件」だ。犬養毅首相が、青年将校らに射殺された。「話せばわかる」という言葉が残る。』

 全部の段落は以上のとおりです。「話せばわかる」は犬養毅首相の臨終の遺言なのでしょうか。それとも「5・15事件」の後、後代の人がまとめた言葉なのでしょうか。もし前者であれば、犬養毅首相のこの臨終の遺言は何に対して言ったのでしょうか。もし後代の人がまとめた言葉であれば、どうして「話せばわかる」とまとめたのでしょうか。

2.
(1)文法面の理解不足かもしれませんが、「感染しないでいられる」は「感染していない」と「感染してはいられない」のどちらなのでしょうか。それともほかの意味なのでしょか。

(2)日本的な文化を選ぶ人が誰もいなくなってしまうことを懸念しての発言ですね。よく分かりました。ありがとうございました。

 申し訳ありませんが、日本語がまだまだ下手です。よろしければ、1と2(1)についてもう教えていただければ幸いです。よろしくお願いします。

補足日時:2005/05/20 13:58
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