多様な「性」のあり方が問われているなかで、日本でも
ようやく同性愛という観念が取り上げられるようになってきています。しかし、偏見や差別、同性愛そのものの存在の否定は根強くあります。
「男」と「女」の性の区別は、遺伝学的・解剖学的(肉体的)・生物学的な判断であると私は考えています。
この区別そのものにも疑問を感じざるを得ません。

どんな事でもかまいません。皆さんのご意見をお伺いしたいです。よろしくお願いします。

A 回答 (10件)

私は同性愛者っていうのかな?あまりその言葉は好きではありませんが、基本的に男性を好きになるということは今はほとんどありません。

確かに少しずつですが認められてきていますが、偏見や差別というものは付き纏います。それは仲の良い友達には言えたとしても、クラスメートや職場の同僚に知られるのは怖いですし、親に打ち明けるとしたらすごく勇気がいります。私自身まだ親には言えないのですが…、私が女性にたいして恋愛感情を抱けるのは私がどこかで同性を異性として認識しているせいだと、教師に言われました。しかし、それは異性愛者の学者や教授が、ringo7さんのように頭で理解しようとして、今までの論文に基づいて考えた結果なのだと思います。私は自分の子供はいりません。できたら欲しいですが、それは科学が発達しても無理なことでしょう。私も友達(同性愛者)もやはり男性に魅力を感じることはありません。勿論、男性と付き合ったことはありますけどね。だけど、私は思うんですが、自分のパートナーを見つけようと思ったとき、貴方は何故性別にこだわるのでしょうか?私にはその方が理解できません。自分が好きになった人間、それが同性だとしてもまったく問題はないと私は思います。たまたま同性が好きになったのではなく、同性として生まれてきた相手が私は好きなのですから。男性は女性を、女性は男性を。それは本能なのだとしても、私はその本能はないんです。たとえ、子孫が残せなかったとしても私は人生のパートナーとして同性の相手を求めるでしょう。人に惚れたとき、愛したとき、性など関係なくないでしょうか?
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私の今まで聞いた話を総合すると。

。。

男女の差は胎児の頃にはないのだそうです。生まれてから染色体の男女の差によってホルモンの違いによって男性と女性に分かれていくのです。

#ちなみに全て女性として体内で成長するのです。
#だから男性にも乳首があるの。
#人間に尻尾の痕跡があるように男性に女性の痕跡があるの。
#以前の質問で答損ねたので心残りだった。(^^;

しかし、遺伝的、解剖学的な判断の差だけであろうが、やはり歴然とした差はありますよ。
私は女性の柔らかい体が好きですが、(いいのか?こんなこと書いてて)女性は大きな背中が好きとか、太い腕がいいとか言うけど、私には全然それが好きという感情には結びつかないですから。

どうやらこの感情の裏には「脳」の違いがあるそうです。
最近では男性脳と女性脳という違いが言われています。原因はnag3さんがおっしゃってるようなこと以外にもいろいろあるようです。

同性愛にも男役と女役が明確に分かれている場合もありますからね。
お互い両方あり!という場合のありますが。

あと、教授にケチをつけるようで申し訳ないのですが、昔の男色は同性愛とは少々事情が異なると思います。
戦争や歌舞伎での男色は代替行為ですから。
戦争に若い美男子を連れて行くのは女性を戦場に連れて行かないから。時には羊などの家畜を使用してたことからも代替行為といえると思います。歌舞伎もほとんどストリップ劇場と化していたのを幕府が女性が歌舞伎を演じるのを禁止したので若い男性を代わりに舞台にあげたのですから。

#それでも「ストリップ劇場(?)」のままだった。
#また幕府が禁止して今の野郎歌舞伎が誕生した。
#なのに今でも女人禁制を「伝統」だというのは変じゃないのかな?

大奥の場合も女性しかいないから起きた現象だと思います。ときには長持に男性を隠して連れ込んでいたようですし。

しかし最近の同性愛は決して代替行為とはいいきれないものが多いです。
つまりそれだけ「個」を尊重するようになってきた結果だと思います。
ええんでないかい?

#これだけ書き込んで自信「なし」とは、是如何に?
#やっぱり結論が薄いから。。。
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 同性愛に関する『生物学的アプローチ』の幾つかです。

専門家じゃないので詳しく分かりませんが参考程度にはなると思います。

 『同性愛の中には同性愛の為の同性愛ではなく、異性愛の為の同性愛が存在する』というものです。何が何だかわからない話ですが。
 実は古くからある説らしいのです。『ヘルパー説』といわれるものだそうです。これでは同性愛者は自分の遺伝子をよりよく残す為に他の血縁者の生殖活動を助ける役目を買って出るというものです。簡単に言うと
『自分に繁殖の(というと聞こえが悪いですが)チャンスがない。そのあいだに血縁者の生殖活動を手伝う事を通し、それと同時に自分に近い遺伝子も残しつつ、自分は同性愛でつなぐ。』と、いうものらしいです。

 もう少し突っ込んだものでは『同性愛はただのつなぎではなく、本番(異性との交流)のための練習である。』という説もあります。
 同性愛者間の性行為数は異性愛者間よりもはるかに多いようです。そして、『同性愛経験者はそうでない人より上手になり、遺伝子を残しやすくなる。』

 『その内同性愛派が多数派となり人の生殖活動の新たなる過程の一つになるのではないか。』という説もあるよう
です。

 あくまで生物学的アプローチですし、これが正しいという証明もありません。

 今までの話とは全く変わりますが、自分個人の意見を言わせていただければ、反対論者の意見はどうも人間の本能や慣習に根ざしたものだと思います。つまり生殖第一であり、人間は異性愛でなければならないという固定観念。
 結局本能慣習に従うのであれば、何の為に『人権』だのどうの言うのでしょう?

 勝手言いましたが、こんな程度です。
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日本の衆道に触れられていますのでキリスト教以前について。

ギリシャのプラトンに代表される少年愛の歴史(慎みの無さは嘲笑の的であっても寛容であった)もありますから「存在の否定が根強くある」のではなく近代に否定が強くなった様に思われます。
同性愛と言うからには対象があってこそ成立するものですから想う相手と出会えただけでも幸福に思えます。
男女の性差については実は曖昧な状態で誕生している人が意外と多いと聞いた事があります。当人が男女どちらとして生きるか意志決定を出来ない段階で、社会に混乱を招かない為という理由に依って医師により過剰なものを医学的処理されてしまうと。染色体でも完全な男性、完全な女性は無いのだと。これについて医学関係者の回答を期待していたのですが誤っていましたら訂正お願いします。
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男性が女性を、女性が男性を求めるというのは、たぶん子孫を残さなくてはという動物的本能で自然の摂理だと思うのですが・・・


 でも、同性愛は、遠い過去からある話でこれは、感性の問題だと思います。
 世の中には男性より女性が好きだという女性もいれば、人間嫌いで、動物(ペット)としか住めない人もいるぐらいですから、人の好みは千者万別だという事で・・・
私の友人に女性しか愛せない女性がいますが私的には好きな友達です。
 とっても、気のやさしい子だし人の気持ちも良く気遣ってくれるし
 だから,たんに趣味の違う人として見ればいいんじゃないでしょうか?!
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男性と女性の遺伝子を掛け合わせることが、


淘汰や進化に必要なことなのかも知れませんね。

それから、同性愛についてですが、これはもう
意識レベルの問題ですから、善悪はつけがたいですね。

しかし、生物が遺伝子を構成に伝える役割をもっている
と考えると、なんとも破滅的な行為だと思います。
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あたくしにも詳しいことは良く分かりませんが、肉体、遺伝という科学的、物質的なことに加えて精神的なものが多く作用されているように思われます


そしてこのことは男性女性という概念を超越した所でしょう、美しいものを美しいとかんじることこれは女性だけでなく男性にも感じることが出来ますそれも女性が感じるようになぜならそういうものがあるからこそ芸術というものがありそこには性をこえて美がそんざいする
つまり区別はひつようないということです
外見どうこうよりも個々の人の感覚、感情にその性別は委ねられているように私にはおもわれます
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まず、男女の性差について。


これは遺伝子レベルの違いの問題であり、男はいくら望んでも出産できないし、女もいくら望んでも相手を妊娠させることが出来ないという事実がありますので、その点では区別されることは止むを得ないことではないでしょうか。
この区別と職業上の差別などは全く別の次元の問題です。
力仕事はどちらに向いている、繊細さはどちらが持ち合わせている云々といった概念はかなりの確立で合致するのかもしれませんが、実際には個人差の方が大きいでしょうから、こういう能力面については純粋に性別を超越した人間の能力として見なければならないものです。けれども、残念ながら現在の社会では生物学的区別と概念的区別とが混同されていることは間違いないでしょうネ。この問題は男女差別という別の問題となりますネ‥

さて、本題の『同性愛』について考えてみましょう。
歴史的に見てみますと、日本では戦国時代から安土・桃山時代の頃は男色は当然のものでしたネ。戦場に武将兼稚児を同伴するのが当時の常識でした。女性の同性愛については大奥が存在した江戸時代にもあったことが分かっていますネ。それらの時代には大っぴらに行われていた行為でした。それが明治時代以降は西洋文明の流入と共に恥ずべき行為として闇に移行したと考えられます。
ナチスの時代のドイツではユダヤ人・ジプシー・精神病患者・政治犯と共に同性愛者も強制収容所に入れられました。つまり、人権は認められなかったのです。そして、現代、多くの先進国では同性愛は市民権を得るようになってきていますネ。
性同一性障害というのも同性愛の原因の一つとして取り上げられています。また、かなり厳しい審査があるのですが、合法的な性転換も日本で行うことが可能となりました。
とすると、日本でも社会的に認知しようという動きがすすんでいるのかも知れませんネ。
同性愛をとりまく、簡単な経緯はこれ位にしておきましょう。

では、私の個人的見解を述べましょう。
私自身はいわゆる『ノーマル』に分類され、専ら異性以外は恋愛の対象となりません。しかし、同性愛者或いは両性愛者の気持ちについて、その一端はなんとなく理解できるような気がします。
誰かに対して、好意や尊敬や憧れの念が沸き、そして、いつの間にか愛情というものに移っていく。これが、純粋にヒトとしての相手に感じる感情であったとき、そして、それが男女の枠を越えていた場合、同性愛というものになるのでしょう。
これって結果的に不倫の感覚と似ているとも言えるかも知れませんネ。
『好きになった相手がたまたま妻子のある人だった』というのが不倫で、『好きになった相手がたまたま同性だった』というのが同性愛なのでしょうか。
感情的な問題は非常に難しいものなので、好きなものを嫌いになれというのは難しいでしょうが、ヒトと他の動物との違いである『本能によってのみ行動しないで、理性を働かせる』ということを考えると‥
以上Kawakawaでした
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胎児期に母体がかなりのストレスを受ける事によって、脳の生育が上手くいかなかった為の現象である事は現在では広く認知されていることと思います。


本人の意思とは無関係ですし誰に迷惑をかけるでも無い訳ですからね!!
っと言う訳で本人の自由だと思います。
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どんな事でもかまわないとのことですので、私見を…。



私は「区別」と「差別」は全く別ものだと思います。確かに必要のない区別も(もちろん差別も)あるかと思いますが、「男」と「女」を区別することに、私はなんの疑問も持ちませんが…。たとえringo7さんのおっしゃる遺伝学的・解剖学的・生物学的の区別(認識)がなかったとしても、男と女が違う体のつくりをしていることは一目瞭然ですから、“自分とは違うな”という区別的意識は必然的に持つのではないでしょうか。大袈裟に言ったら、犬を見て“私とは違う動物だな”と思うのと似たような感じでしょうか。

同性愛について偏見や差別が根強くあるのは、個人的には悲しいことだなと思っています。
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