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自国を持たぬ最大民族と呼ばれているクルド人ですが、居住地区の大部分を含むトルコ共和国での彼らが受けている差別についてどなたかご存じないでしょうか?当方が春にイランからトルコに入国したときに、クルド人の人と実際に話せる機会があったのですが、彼曰く、トルコ政府はクルド語の使用・教育を禁止し、強制的にトルコ語を話すことを命じたそうです。建国者、ムスタファ・ケマルのクルド人問題に関しては、彼らの存在を黙殺したようで、クルド人からは彼は特に英雄志なんてされていないとのことでした。しかし、これはクルド人の方から聞いた話なので、完全にこの話を信頼し、自分のクルド人問題に関する情報源にするのは危険な気がしましたので、信頼できる情報をどなたかご提供願います。

A 回答 (4件)

アジア~ヨーロッパを旅行するバスでクルド人の青年達と仲良くなりました。


そのとき初めてクルディスタンという民族を知りました。
バスの移動中、特に差別的な扱いは感じませんでした。
トルコにいる間も、恐らくクルド人と思われる連中と一日過ごしましたが、差別と言えるものは感じませんでした。

しかし、独立運動が盛んですし、外国(イラン、イラク)との絡みもあります。
ですから、民族差別と言うより、過激派対策という点でトルコの治安当局は対処しているような気がします。
フセイン政権もクルド人の村に毒ガスを撒いて惨殺しました。

現在の世界中の「国家」といえるものは、必ずしも民族単位で存在するものではありません。
不本意な国家に所属している民族もあるでしょう。

しかし、人の生活は国家や民族の大きな問題があろうとも強くたくましく続いていくものです。

僕が出会ったクルド人達はドイツに出稼ぎに行く途中でした。その時の一人の青年からは、日本に出稼ぎに来ているよと電話がありました。
違法的な商売に手を染めてるかも知れません。

それが大陸での国家、民族の現状です。
国境は、誰かが勝手に引いた物で、民族の生活領域とは必ずしも一致しないのです。
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どの情報が正しいのか私では分析できないので、情報ソースを貼りますので、そちらで読んでみてはどうでしょうか。




http://www.asyura2.com/
ここの検索ウインドウで「クルド トルコ」で検索すると かなり出てきます。

あとは
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AB% …
曖昧なのでこれが正しい認識だと作れないようです。
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大雑把に言えばfraaapboisさんが聞いた話はほぼ正しいです。



クルド人とトルコにおけるクルド語使用の問題の根っこは、第一次大戦後ドイツ側について戦ったオスマン=トルコ帝国が崩壊し、今のトルコ共和国が出来ていく過程の中で生じてきたものです。

オスマン=トルコ帝国は多民族国家であり、さまざまな民族をその支配下においていましたが、トルコ人が優位であったわけではなくどの民族もイスラム教徒である限り平等でしたし、他の宗教を信じていても帝国の要職にはつけないだけで特別な差別はありませんでした。しかし、これが崩壊していく中でムスタファ=ケマル=アタチュルクを中心としてトルコ人の民族国家を作ろうとする動きが起こりそれが現代のトルコ共和国に繋がります(英仏によって今のシリアやイラク、サウジアラビアなど旧オスマン=トルコ帝国の領土が分割されたこともその一因です)。

で、建国に成功したムスタファ=ケマル=アタチュルクは「トルコ人の国家」建設に邁進し、トルコ共和国の領内にいる人間はすべてトルコ人であるとします。ですから話す言葉も当然、トルコ語またはその方言であるとされます。一方、クルド人たちも民族自決の波の中で自分たちの国家を求めますが、英仏のいずれもそれを無視し、ケマルもまた彼らはトルコ人であると主張したのでクルド人は国を作ることが出来ませんでした。

ということで、「トルコではトルコ人以外には住んでおらず、そこで話される言葉はすべてトルコ語である」というケマルの作り話が正しいとされるようになり実質的にトルコ語が強制されるようになりました。その結果、本来はクルド語であるにもかかわらず、自分たちはトルコ語の方言を話しているという意識のクルド人もおりますし、トルコ人当局の前では決して来る語を話さないながらもクルド人意識を持ち続ける人々もいます。

さらに問題を複雑にするのはクルド人たちがイラン・イラク・トルコにまたがる地域に住んでいることで、各国政府は互いに自国の利益のために他の国に居住するクルド人たちをたきつけて反政府運動をおこさせるようにしています。ですから、クルド人と言えば独立運動や反政府闘争をしている集団というイメージができていたりするわけです。

簡単で申し訳ありませんので、少し古い本ですが、参考になる本をあげておきます。
小島剛一「トルコのもう一つの顔」中公新書#1009(1991年初版)
浅井信雄「民族世界地図」新潮文庫(最近文庫化されました)
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第一次世界大戦にクルド人が国を建てるだけの貢献、統治能力の証明、が出来なかった為勝利者となった英仏に無視されたのがそもそもの遠因でした。



かれらは現在のトルコ、イラク、イランにまたがる地帯に居住していましたがドイツ側に参戦したオスマントルコを解体するにあたり英仏は自国の権益を重視し、新しい国境を制定し、シリア、イラク、サウジアラビア、エジプトなどの中近東諸国が生まれました。

その際サウジアラビアはオスマントルコとの戦いの報償として独立出来たのは有名です。
現在のトルコ共和国は一時ギリシャ領となったのですがケマル・アタチュルクが独立戦争を起こしギリシャ英仏連合軍と戦い勝利した結果生まれたものです。
キプロス島でのギリシャ、トルコの紛争もそれの続きといえましょう。

この時クルド人は行動を起こすでもなく座視したのです。
彼らが独立を叫ぶ時は必ず周辺での戦争が起こった時でいわば他力本願でした。
この為既成の国家から少数民族として無視に近い取り扱いを受ける事になったのです。

英仏による些か無理な国境設定の結果は現在のパレスチナ問題の遠因にも結びついており、クルドの自治は新たな火種になる可能性を秘めています。
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