質問

ブルース・リーのファンです。
彼の映画とか見てて「すごーい!カッコイイ!!」って、いつも感動するんですが、実際、拳法の使い手としての彼の実力って、どんなもんなんでしょうか?
なんかハリウッドの俳優さんたちで彼に弟子入りしてた人、多いように聞いたんですが。
あと、ぬんちゃくって、誰が、どういう経緯で考案したものなんでしょうか?
しょうもない質問みたいですが、教えてほしいです!!

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回答 (15件中1~10件)

Gです。 また、補足を読ませてもらいました。

>>何でもいいから「学び取れるところ」があれば自分のものにするべきもの
>これは学問等の世界においても言えることですね。

そう言うことです。 自分を取り巻く事すべてについていえますね。 だからこそ、武道は使えなくてはならないのです。 そしてこの使えるという事身を守るだけでなく、いかに人の命を大切だと心から言える実力をつけるわけです。 口先だけで、また、哲学的に信じていても、相手が殴ってきたからとか相手が拳銃を持っていたから、じゃ人間一人を殺す権利は与えられないのです。

しかも、ブロックを一撃で砕ける力を持つということは弾の入った拳銃を持つのと同じです。 その拳銃を与えるのが武道の先生なわけです。 ということは、その拳銃の使い方を教えなくてはならないのです。

武道の著書を見ても「はじめに」のページでは奇麗事を言っています。 そして、その後のページにはどうやったら一撃で相手を倒せるかを教えています。 どうやったら人の命を助ける事が出来るかは書いてありません。 無責任と言うしかありません。

防御からの攻撃、と奇麗事を言って相手を倒す事は書いてあります。 そして、それがいかにも人間として正しい事をしている、当然のことのように書いてあります。しかし良く見ると、それは、相手を反撃できないようにしてからの反撃ですね。 つまり、身を守る事の出来ない(武道の技で出来なくしてから)人間一人を無残にも攻撃するのです。 卑怯ともいえることを、攻撃した事に対し謝る機会も与えずに、防御する機会を与えずに「人道に外れた」攻撃を、しているのです。

これでは丸腰のそして背中を向けた相手をバットで殴るのと同じ事です。 しかし、そう仕向ける事を武道の技と呼んで正当化しているのです。

>各種報道にて、よく見聞致します。単なるケンカ術ではなく「武道」が要請されることの大なる要因ですね。

なぜ動きだけを教える今日の多くの「崩れた武道」が実践に、また、軍隊や警察やSWATでは使えないかと言う理由なわけです。

喧嘩術を教えると正直に表明して教えるのであればまだ理解が出来ます。 しかし、口先だけの奇麗事を言うだけで「武道」と呼ぶのでは「武道が泣く」ということなんです。 しかし、誰もその矛盾に疑問を抱かない事が多いのです。 それはなぜかと言うと「教える立場の人間が心から武道とは何かと言う事を教えられていない」からに過ぎません。 よって、人間の命は大切にしなくてはいけない、と言う先生の言葉だけを信じているだけなのです。 大切にしなくてはいけないというのであればそうしたら大切に出来るのかを教えなくてはならないはずです。

献血に参加し、臓器提供も遺言の一部とし、運転に人一倍の注意を向けるなど、心身ともに人の命を大切にする毎日の心がけと行動が伴うはずですね。 そして、それを弟子に教える事も教える立場の人は教えなくてはならないのです。 

私がなぜ比較的安い給料で命をかけて市民を守る警官やSWATのメンバーを教えるのかと言うと、ポリスアカデミーで教える護身術だけでは充分でないからです。 日本の伝統武道には彼らの命を守れるものがあるからです。

>>拳銃よりもナイフの使い手、あるいは日本刀のほうがもっと「怖い」ということは実際に訓練すれば明白なことでもあります。
>これは全く経験のない私には、ちょっと想像できません。

日本の殆どの武道家がそうでしょう。 仕方ない事です。 しかし拳銃による犯罪が増えてきていますね、日本でも。 残念な事に、今のままではその犠牲になるのは警察官になってしまうでしょう。

今年の国際法執行機関指導員協会年次総会セミナーには日本から誰も参加しませんでした。 ヨーロッパからはちゃんとエリート中のエリートの指導員がセミナーを受けました。 教える事の出来ない指導員がいなくては指導できないという事です。 だからこそ指導員養成が必要なのです。

>>自分のすべてを有効に出しつくせる実力が1%の確立であろうとそれを100%に限りなく近づけるようにする実力~そのすナイパーの存在を感じ取れることができればその0%が1%以上になるわけです。之も武道のひとつであり護身術の実力のひとつ
>難しいです…いわゆる「気」の力、「気」を研ぎ澄ますというようなことでしょうか?

「気」というよりももっと現実的に「身の危険を感じる事の出来る能力」ということです。 危険が迫ってからではいわゆる「逃げる」ことも出来ません。 護身術の一番は「逃げること」という人がたくさんいますが、では、逃げ方を教えていますか、早く走れる走り方を教えていますか、この二つだけの質問にも答えはノーであるのが現状なんではないでしょうか。

逃げ方を教え、更に、危険を一秒でも早く教えられる指導員が必要だという事なんです。

5メートル離れている相手が拳銃を持っていれば下手をすると自分を守れる確立はゼロでしょう。 ゼロだと知っているのならなぜそのゼロを1%に引き上げる「技」を教えないのでしょう。 出来ない事だと諦めているからなんでしょう。 しかし日本語であるように、「自分を生かす」ということは「自分の持っている能力のすべてを出す」ということですね。 そうすれば「自分を死なせないで生きる」ことが出来るのです。 だから、その能力をたけめれば高めるだけ出せるすべても自然と高くなるわけですね。 だから「自分を生かす」と言う言葉は武道の真髄でもあるわけです。


>>武道とは体の動きだけではありません。人間としてのすべての能力と使えるように訓練するのが武道であると私は信じておりますので、いろいろな方法で隙を作らせ、たとえば拳銃を持った相手と戦い自分を守る実力をつけること

>となると、やはり心理戦も含まれてくるというわけですね。拳銃というものが出現して間もない時代には「卑怯者が使う武器」といったイメージがあったそうですが「卑劣な手段」を拳銃に擬えて考えることもできそうですね…

そうです。 だから、生体学も心理学も武道では習うわけです。 そして、「何でもあり」の攻撃を認めることも道場での訓練に組み入れなくてはならないのです。

例えば、首を絞められたら両手は自然に絞めている相手の手に向かいますね。 この自然防衛的な反応をどのようにしたら自分の手が「当然のごとく至近距離にいる」相手に反撃をする事が出来るか、という精神的な訓練も必要となります。 その為にも自分にどれだけの時間が与えられているのか(窒息なのか頚動脈が抑えられているのかで「安全時間」が非常に異なります)を知る必要があるわけですね。 窒息であれば自分で息を止めればいいわけで時間は充分あります。 しかしそうでなければ20秒もないかもしれないのです。 でもそれを知るためには誰かが絞めなくてはわからないのです。 よって、訓練の安全性を守るためにも指導員は当然のごとく医療的知識と訓練が必要となるわけです。 ですから、あるレベルの昇級条件として赤十字の応急手当の資格を取ることが条件となっています。 これは、護身術指導員への条件ともしています。 これで攻撃してきた相手の命を救える可能性を高める事が出来るわけです。

>御回答を拝見していて世に言われる「心・技・体」ということばを思い出しました。武道に疎い私は至って狭いイメージで受け止めておりましたが何故、武道には全人的な、そして哲学的な要請が伴うのか、ささやかながら、おぼろげながら分かったような気持ちです。

伝統武道がなぜ毎日使えるのか分かっていただいたようで大変うれしいです。

何時まで出来るかわかりませんが、アメリカで昔なりの伝統空手を教える事の出来る指導員と命を救える護身術の指導員をより多く作り出す事が私の日本人として死ぬまでがんばってみるつもりです。

この回答へのお礼

お返事が遅れ失礼致しました。引き続き、お出ましいただき有難うござい
ます。

アメリカ市民の治安に携わる方々のため大海原を越えて日本の伝統武道が
役立っていることは誇らしく喜ばしいことと思います。そちらの事情を御説明
いただき、これからの日本についても、いろいろ考えることがございました。
「自分を生かす」能力に裏打ちされてこそ他者をも生かすことができるのです
ね。御回答者様とは、もっとお話したく思いますが、ひとまず締め切らせていた
だきます。どうぞこれからも御健康に留意されながら「がんばって」くださいます
ように!

今回ごく軽い気持ちで質問したにかかわらず私にとって、このサイトに参加
してこれまでで最も手応えある充実した質疑となり望外の喜びです。多くの
素晴らしい御回答に恵まれポイントをどうつけたものか非常に迷いました。

特にA№9様の科学的見地からの御意見、A№3様のヌンチャクについての
参考URL等とても参考になりました。皆様、改めて有難うございました!

Gです。 補足質問を読ませてもらいました。

>実はMartial Artsということばは何度か耳にしましたが詳しい意味は知らないのです。

一般的に「格闘技」という意味合いで使われています。 日本語の格闘技という単語がいろいろな意味合い(プライド、K-1、また人によってはプロレス、また、武道武術のことをいっているときもあるように感じます)空手着を着てルールに基づいた試合をするものからArtsという芸術的な意味合いを持たせたものや哲学的な意味合いを持たせたものや私どもの伝統空手のもともとの何でもありの実践的な毎日生活の中で使えるパンチやキックだけのないものまで含まれた意味合いで使われるときもあります。

「実践的な毎日生活の中で使える」とは必要に応じ試合にも使えるし、喧嘩・護身術にも使えるだけでなく、人間として生きる道を毎日歩めるように自分を作っていくことも含まれます。

>「東洋の喧嘩方法」と言いましても我が柔道や合気道等とは、だいぶ雰囲気が違うように感じますが、そちらの人々にとってもイメージの受け止めかたは違いますでしょうか。やはり個々人による好みもありますでしょうね。

こちらであの頃の「殴り合い」は喧嘩とボクシングしかなかったのです。 そこへブルースリー氏が突如現れたわけです。 映画ではほとんど「喧嘩」や「対決」のシーンで見れば多くのアメリカ人が「東洋の喧嘩方法」と取るしかなかったわけです。 つまり、東洋的「武道精神」はまったく存在しなかったわけです。

>私が子どもの頃、夢中になって見ていたテレビのヒーローもの番組など、いま見ますと、やはり作り物であるのがアリアリと分かりますね。子どもの頃は、ただただ夢中で興奮しておりましたが。
映画界における技術の進歩も瞠目させられる水準に達し、この先そら恐ろしいほどです。
専門家をして別名「目利き」とも呼びますが、なるほど見分けることができるというのも、その技術のうちに含まれる。備わってくると言うほうが正確でしょうか。

プロレスをあえてエンターテインメントとする味方と似ていると思います。 格闘技とは判断できない人が増えたということですね。 

>ブルースが、もし生きていたら…いやもしも、あの若い彼のままに蘇り格闘家としての道を引き続き驀進し続けたなら…こんにち現代格闘界のスキルアップも目覚ましいものがあるでしょうし彼は、どのようなトレーニングを選択し或いは、その哲学を組み直したやも知れませんね。

彼があの後どのくらい伝統的武道精神を伝えることができたか、ジャッキーチャンのように映画は作り物だとはっきりいえる勇気が果たしてあったか、投げ技や関節技など武道として当然教えなくてはならないことを教える実力があったのか、10分も殴り合っても倒せないパンチやキックが実力といえるのか、などなど必ず壁に当たったと思いますしそれを乗り越える勇気があったかどうかは今になっては誰もわからないでしょう。

>あのう…「実践的格闘技」に噛み付きが入るんでしたら私も、わずかながら…なんて。もっと、この技に磨きをかけるべきだったかしら。^^;

武道をどのように使うかは先生と自分自身の問題と私は考えています。

空手着を着て「型を踊る」のが武道なのか、それとも型から空手を自分のものにするのか、私自身は後者を選びますが、前者を選んでもその人の選択でありまたその人は私の弟子ではありませんからなんともいえる立場ではありません。

>>私が言い出してからもう20年近くなりますが、ブルース・リー氏も確か言っていたはずです。

>ということはですね御回答者様はブルースの実践的哲学に関して大いに共感を御持ちなのでしょうか。

何でもいいから「学び取れるところ」があれば自分のものにするべきものという私の流派の考えです。 よって、リー氏の考え方やトレーニング方法など多く共感し「学び取らなくてはならない」ものはたくさんあります。

>>そうでなければ私がこのアメリカでやっていることは認識されませんし、採用も実証もされません。

>それにしても…では「拳銃からの防衛は可能」であると仰るのですね?私には、ちょっと実感できません。やはりそれは先手必勝の理からということなのでしょうか?

もちろんです。 武道とは体の動きだけではありません。 人間としてのすべての能力と使えるように訓練するのが武道であると私は信じておりますので、いろいろな方法で隙を作らせ、たとえば、拳銃を持った相手と戦い自分を守る実力をつけることは武道家として教えることができなければ中途半端な教えとなります。

批判的な意見となりますが、使えない武道ができ教えることができても使える武道を教えることはできないということでもあるのです。

アメリカでは日本で交通事故でなくなる(殺される)人と同じくらいの数で銃によって(殺人、事故、自殺を含めて)亡くなっています。

至近距離なら大丈夫なはずというご意見もありますが、その逆の銃の取り合いや銃を間に挟んだ形でのグラウンドにもなってしまうこともあります。 (警官が殺される理由のひとつです)

自分のすべてを有効に出しつくせる実力が1%の確立であろうとそれを100%に限りなく近づけるようにする実力でもあるわけです。 50メートルも離れたスナイパーが銃で売ってきたら0%でしょう。 しかし、そのス内p-あの存在を感じ取れることができればその0%が1%以上になるわけです。 之も武道のひとつであり護身術の実力のひとつなわけですね。 お分かりでしょうか。

どんな武器でも弱点はあります。 拳銃よりもナイフの使い手、あるいは日本刀のほうがもっと「怖い」ということは実際に訓練すれば明白なことでもあります。

また書いてください。

この回答へのお礼

今回も深い観点からの御教示をいただきまして、まことに有難うございます。これからも、どうぞ宜しく願い上げます。

この回答への補足

再び御登場いただきまして感謝にたえません。
Martial Artsについて詳しく御説明くださり、よく分かりました。
>プロレスをあえてエンターテインメントとする味方と似ていると思います。 格闘技とは判断できない人が増えたということですね。

こうした現象は格闘技界以外においても随所に見られることと思います。

>何でもいいから「学び取れるところ」があれば自分のものにするべきもの

これは学問等の世界においても言えることですね。

>アメリカでは日本で交通事故でなくなる(殺される)人と同じくらいの数で銃によって(殺人、事故、自殺を含めて)亡くなっています。
>至近距離なら大丈夫なはずというご意見もありますが、その逆の銃の取り合いや銃を間に挟んだ形でのグラウンドにもなってしまうこともあります。(警官が殺される理由のひとつです)

各種報道にて、よく見聞致します。単なるケンカ術ではなく「武道」が要請されることの大なる要因ですね。

>拳銃よりもナイフの使い手、あるいは日本刀のほうがもっと「怖い」ということは実際に訓練すれば明白なことでもあります。

これは全く経験のない私には、ちょっと想像できません。

>自分のすべてを有効に出しつくせる実力が1%の確立であろうとそれを100%に限りなく近づけるようにする実力~そのス内p-あの存在を感じ取れることができればその0%が1%以上になるわけです。之も武道のひとつであり護身術の実力のひとつ

難しいです…いわゆる「気」の力、「気」を研ぎ澄ますというようなことでしょうか?

>武道とは体の動きだけではありません。人間としてのすべての能力と使えるように訓練するのが武道であると私は信じておりますので、いろいろな方法で隙を作らせ、たとえば拳銃を持った相手と戦い自分を守る実力をつけること

となると、やはり心理戦も含まれてくるというわけですね。拳銃というものが出現して間もない時代には「卑怯者が使う武器」といったイメージがあったそうですが「卑劣な手段」を拳銃に擬えて考えることもできそうですね…

御回答を拝見していて世に言われる「心・技・体」ということばを思い出しました。武道に疎い私は至って狭いイメージで受け止めておりましたが何故、武道には全人的な、そして哲学的な要請が伴うのか、ささやかながら、おぼろげながら分かったような気持ちです。

>この二種は結局のところ比較不可能なものなのでしょうか。

個人的には比較するのは難しいと思います。なぜなら何をもってどちらが優れているかはその人が、何を基準に測るかによって変わってくるからです。

>あのこれ…私の兄への「噛み付き」のことですか~?^^;

変則的な動きの話はジークンドーのセミナーで教わったことです。だから格闘技のような決まった型にはまると対応できないことがあるので常に相手がどんな動きをしてきても対応できるようにいろんな動きから反応して反撃することを体に染み付けさせるようにしていました。

>「攻撃は最大の防御」これが「ジークンドー」の骨子であると見なして宜しいでしょうか。
現実、勝ってナンボであるなら拳銃でも何でも使えるものは使うのじゃ!ということですか?

先に攻撃してしまえば相手に攻撃されることがないので確かに攻撃は最大の防御と言えると思います^^
映画の中でも途中にあった棒など使える武器を何でも使っていたように実戦では拳銃であろうと何であろうと有利にできる使えるものは何でも使うということだと思います。ただ使いなれていないときはむしろ素手の方が強かったりすることもあるかもしれませんが。

ところで、ブルース・リー師祖の身長ですが、170センチはなかったそうです。167センチくらいだったそうです。その身長でアメリカに渡って体の大きい人に雑じって練習していたのです。
もちろん体は小さいより大きい方が有利ですが、逆に小回りが利かないとこがありますし打撃は素人の柔道の人がいくら体が大きくても打撃のプロから一発も打撃(ビルジー、ジクテック)を受けないで寝技に持ち込めるか疑問です。総合格闘技では柔道家は打撃のプロに結構ボコボコに殴られている人が多いです。またもし寝技に持ち込めても噛み付きはもちろん手が片手でも使えれば目をえぐる、耳の穴に指を入れてえぐる金的を握り潰すなどすると柔道の試合と違い簡単にはいかないと思います。ただブルース・リー師祖は柔道をとても高く評価していて空手などより実戦的だと言っていました。
ちなみに死亡遊戯では体の大きい人を相手にした時の戦い方を見せています。

ところでNo11の方が書かれている拳銃からの防御は私も興味があります。至近距離だった場合はいろいろ方法があるとは思いますが拳銃を持っている相手は距離をとることが多いと思うのですが相手との距離が自分の蹴りもパンチも届かないある程度離れた距離だった場合はどのように防御するのでしょうか?
それとも説得したり何か話すなどの心理的なことをするのでしょうか、あるいは拳銃を持った相手でも戦わなければダメだという意気込みでしょうか?

この回答へのお礼

たびたび御教示いただき喜んでおります。
>何をもってどちらが優れているかはその人が、何を基準に測るかによって変わってくるからです。

これは喩えると学校の成績優秀な者と実社会で辣腕を振るう者とを比べるようなものでしょうかね。

>決まった型にはまると対応できないことがあるので常に相手がどんな動きをしてきても対応できるようにいろんな動きから反応して反撃することを体に染み付けさせるように

この姿勢は格闘技以外の場面にも言えそうです。

>先に攻撃してしまえば相手に攻撃されることがないので確かに攻撃は最大の防御と言える

これってしかし生半可な先制攻撃では効かないかも知れませんよね。厳密に言えば「強力な先制攻撃は」とするべきでしょうか。

>ただ使いなれていないときはむしろ素手の方が強かったりすることもあるかもしれませんが。

なるほど…友人の「プラスチックぬんちゃく」をまた思い出しました。^^;

>ブルース・リー師祖の身長ですが、170センチはなかったそうです。

えー!!では私とそんなに違わない…!

>いくら体が大きくても打撃のプロから一発も打撃(ビルジー、ジクテック)を受けないで寝技に持ち込めるか疑問です。
>寝技に持ち込めても噛み付きはもちろん手が片手でも使えれば目をえぐる、耳の穴に指を入れてえぐる金的を握り潰すなどすると

それはそうですね。…コワイです。ー_ー;;

>死亡遊戯では体の大きい人を相手にした時の戦い方を見せています。

伝説の!「死亡遊戯」。次は、その辺をジックリと観察します。ブルースの男っぷりに見とれてばかりじゃダメですね!^◇^*
御回答、本当に有難うございます!

 私も大ファンです。柔道をやっている友人の話ではあんな小さい人はどんなに早い動きをしたって、重量級の柔道家なら、とっ捕まえて絞め殺して終わり、だそうです。

私は映画しか知りませんが、より早い動きに見せるためにいわゆる「コマ飛ばし」が使われているシーンが一部にあることは、映画通の間では有名です。だからといってブルース・リーのキックが実際は遅いというわけではなく、より早く魅せる演出や技法が随所にあることも知っておくべきでは。
アメリカ人は70年代当初、初めて見る彼の奇抜な動きや奇声に素直に衝撃を受けたことは間違いないと思います。今日公平に比較してみれば、黒人俳優のW・スナイプスの方がよりパワフルですね。

この回答へのお礼

御回答者様も大ファンですか、嬉しいです!
ブルースって小柄だったんですか。その代わり敏捷だったということでしょうか。
やっぱり小柄な人は大柄で重量級の相手には勝てない宿命なんですかね。だから重量級が厳しく区分けされる前提があるんですね。丸腰対拳銃と同じことなんでしょうか。でもNo.11様のお話では、どうやらそうと限ったものでもなさそうな。
何だかんだ言ってブルースは、しっかり映画人でもあった、ということですね。でも私は、そこがまた彼の大きな才能の一面を示していると思います。
まああの動きときたら…一度見たら忘れられないし…あの奇声も「怪鳥音」とか言ったと思うんですけどブームの頃は学校の教室じゅうで鳴り響いていました^^;街を散策していても女の子の友人が、やおら「あちょー!!」とか叫び出すし。さすがに「やめて~」って頼みましたけど。
Wスナイプスって凄いんですか?いっぺん見てみます!
アドバイスいただき有難うございます!!

アメリカで使える伝統空手を教えているものです。 (私のプロフィールを見てください)

多分聞きたくないことを書くと思いますのでそのつもりで読んでくださいね。

Martial Artsというものをアメリカに広めた一人として大いに評価すべき人物だと思います。 しかし、

大振りのウエスタンスタイルフックがジョン・ウェインなどが映画で示してたものと違いスピードを売り物にした点でアメリカ人は「東洋の喧嘩方法」としてびっくりしたわけです。

しかし、日本のちゃんばら映画と同じく殺陣が決められていることに気がつかなかったわけですね。本当にどこから来るのかわからないパンチに反応して反撃をしていると見えてしまうわけです。

あのころはシーンを見る目があまりにもなさ過ぎたと思います。 今では作られた動きが見える人と見えない人が出てきているわけですが、見える人には「実戦」にはとても使えない「格闘技・武道・武術・喧嘩術」に反する動きが多いのがわかります。

さて、彼のデモンストレーションなどで示した「すごい技」はある程度デモンストレーションに慣れた人であればできるものです。 (できない人は裏技や仕掛けをして見せるわけですが)

ということで日本的な武道というものからではなく、喧嘩やなんでもありの格闘技であれば現代の訓練方法が高まった時代や素質や関心度の高い実力者と比べる日羽陽がどうしてもあるというのであれば、かなり見劣りするのではないかと思います。

しかし、あの年齢でなくなられたということは未開発の部分があるはずだろうし「意味のないハリウッドの俳優の昇段」に疑惑を感じるのは私だけではないと思います。

また、彼の名前を使っていかにも彼の格闘技として道場を作るのも単なる利用されていると感じる人もアメリカでは少なくありません。

余談ですが、目潰し、噛み付き、金的攻撃等等を訓練の中に入れていなくて実践的格闘技になれるはずがないと私が言い出してからもう20年近くなりますが、ブルース・リー氏も確か言っていたはずです。

さらに、中国憲法の使い手、ということですが、彼が憲法の使い手と呼ぶ人はそれほど中国拳法の社会ではいないと思います。

ということで、いかにも「散々な」コメントを書いたように見えるかもしれませんが、今とあのころとは時代とメディアの状況がまったく違います。 その違いを無視することはできないと思いますし、「マスコミ」に飾り立てられた情報しか持ち合わせていない私たちが評価するのは難しいのではないかなとも思います。

なお、拳銃からの防衛ができなければ武道・武術・格闘技・喧嘩術は中途半端なものに成り下がってしまうと私は信じています。 そうでなければ私がこのアメリカでやっていることは認識されませんし、採用も実証もされません。

これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。 

この回答への補足

御回答者様のネームは、どこかでお見かけした記憶が…アメリカに住まっていらっしゃるということも記憶に合致しておりました。
そちらにおける武術界の状況や我が伝統空手に寄せる人々の感想、アメリカで使える伝統空手とは等々、興味津々でございます。
実はMartial Artsということばは何度か耳にしましたが詳しい意味は知らないのです。
「東洋の喧嘩方法」と言いましても我が柔道や合気道等とは、だいぶ雰囲気が違うように感じますが、そちらの人々にとってもイメージの受け止めかたは違いますでしょうか。やはり個々人による好みもありますでしょうね。
>あのころはシーンを見る目があまりにもなさ過ぎたと思います。 今では作られた動きが見える人と見えない人が出てきているわけですが、見える人には「実戦」にはとても使えない「格闘技・武道・武術・喧嘩術」に反する動きが多いのがわかります。

私が子どもの頃、夢中になって見ていたテレビのヒーローもの番組など、いま見ますと、やはり作り物であるのがアリアリと分かりますね。子どもの頃は、ただただ夢中で興奮しておりましたが。
映画界における技術の進歩も瞠目させられる水準に達し、この先そら恐ろしいほどです。
専門家をして別名「目利き」とも呼びますが、なるほど見分けることができるというのも、その技術のうちに含まれる。備わってくると言うほうが正確でしょうか。
ブルースが、もし生きていたら…いやもしも、あの若い彼のままに蘇り格闘家としての道を引き続き驀進し続けたなら…こんにち現代格闘界のスキルアップも目覚ましいものがあるでしょうし彼は、どのようなトレーニングを選択し或いは、その哲学を組み直したやも知れませんね。
>彼の名前を使っていかにも彼の格闘技として道場を作るのも単なる利用されていると感じる人もアメリカでは少なくありません。

スターの宿命でしょうか。ブルースが知ったらヒョイと肩をすくめて苦笑いするのでしょうか。それとも怒ってジクテックとか^^;;
あのう…「実践的格闘技」に噛み付きが入るんでしたら私も、わずかながら…なんて。もっと、この技に磨きをかけるべきだったかしら。^^;
>私が言い出してからもう20年近くなりますが、ブルース・リー氏も確か言っていたはずです。

ということはですね御回答者様はブルースの実践的哲学に関して大いに共感を御持ちなのでしょうか。
>拳銃からの防衛ができなければ武道・武術・格闘技・喧嘩術は中途半端なものに成り下がってしまうと私は信じています。

仰ること、同感です。
>そうでなければ私がこのアメリカでやっていることは認識されませんし、採用も実証もされません。

それにしても…では「拳銃からの防衛は可能」であると仰るのですね?私には、ちょっと実感できません。やはりそれは先手必勝の理からということなのでしょうか?
今回また専門の御立場から興味深い御解説をいただき予想外の収穫に驚いております。
もし御差し支えなければ次回の御教示を仰ぎたいと思います。
御回答まことに有難うございます!!

No9さんの書き込みを見て専門家と仰っているだけに、なるほどと思うところもあり興味深く読ませていただいたのですが少し同じ言葉でも違う解釈をされているようなので私が使っていた言葉の意味を少し説明させていただきます。

まず私が言っている実戦とは競技である格闘技ではなく市街地での戦いです。競技ではないジークンドーは市街地での戦いを想定したものであり早い話がルールなど存在しない護身の世界と同じです。つまり相手が複数でも急所を攻撃しても武器を使っても反則などない戦いです。

>ブルース・リーの実際の格闘能力についてですが、冷静に判断して「そこそこ強い」と思います。

とのことですが先ほど書いたようにブルース・リー師祖が追求したのは競技としての格闘能力ではなく何でもありの路上での実際の戦闘においての強さでした。それこそが最強だと思ったのかもしれません。小さい頃から無数の喧嘩に明け暮れてその中から実際の戦いで強いのは急所を徹底して攻撃すること思ったのでしょう。
ですから一日に目つきや金的を千回、二千回と練習したそうです。その点で見ると競技として格闘技の試合をやればルールに守られて勝てるかもしれませんが、実戦でいきなり目つきや金的を打たれると一発で勝負が決まってしまいます。十発殴られてもこちらの一発が入れば勝てるのです。
そのような格闘能力で見ると普段は反則をしないように目つき、金的の急所攻撃を習っていない格闘家と急所攻撃を毎日何千回も練習していたブルース・リー師祖とどちらが実戦で強いでしょうか。

競技は別にして実戦で素手で人を倒すための最良の動きは目つきと金的攻撃であり、その急所攻撃をいかに早く先に相手にいれるかだと思います。ですからジークンドーの基本攻撃はパンチとキックではなく目つきと金的なのです。ただし格闘技も何も経験していない人は時に予測もつかないような変則的な動きをすることがあり良い動きを研究してもある程度は仕方がない部分がありますが。

それとブルース・リー師祖がなくなってしまった今となっては身体能力がどのようなものであったかは確実に証明する手立てがなくなってしまいましたが、個人的にはそのスピードが一番凄かったと思います。いろいろ映像が残っていますが一部の映像ではブルース・リー師祖の動きが早すぎて当時のフィルムでは写らなかったのでわざとフィルムの速度を遅くしていたそうです。

>彼の動きの詳細やジークンドーの技術解説類を深く調べると防御技術のレベルはあまり高くないことが分かります。

それはそのとおりだと思います。ジークンドーは相手が攻撃してきたものを受け流して自分が先に攻撃するのです。そして一発当たれば勝負がつきます。だから防御よりもいかに先に相手に攻撃するかが大切にしているようです。
それとジークンドーが出来た当時は打撃系格闘技は主に空手など直線的な攻撃が多かった時代で、まだ格闘技の技術が上がっていなかった時代です。
その頃は現在のような技術レベルではなかったのです、今もまだ格闘技の技術は発展途上だと思います。

それとヌンチャクやハイキックなどは実戦では実用的でなくあくまで演出上でのことだとブルース・リー師祖も言っています。

また、ブルース・リー師祖は強盗などには拳銃を使うとも言っています。結局はどんなに強くても世界一の格闘家でも拳銃にはかなわないのです。
それが現実だと思います。

この回答へのお礼

格闘技における実戦というのは二種類あるわけですか。
「ジークンドー」は、やっぱりブルースのヤンチャ時代が下地になってるんですね。
>早い話がルールなど存在しない護身の世界と同じです。つまり相手が複数でも急所を攻撃しても武器を使っても反則などない戦いです。

これ実人生についても言えそう…。
>ブルース・リー師祖が追求したのは競技としての格闘能力ではなく何でもありの路上での実際の戦闘においての強さでした。

この二種は結局のところ比較不可能なものなのでしょうか。
根底には思想の違いが絡んでいそうですね。「ジークンドー」の土台に「哲学」が陣取っているということで実に面白い展開を孕んできそうです。
「勝たなきゃ意味ない」ある意味、身もフタもないという言い方もできそうですが…キビシイ世界ですよね。
>格闘技も何も経験していない人は時に予測もつかないような変則的な動きをすることがあり良い動きを研究してもある程度は仕方がない部分がありますが。

あのこれ…私の兄への「噛み付き」のことですか~?^^;
>一部の映像ではブルース・リー師祖の動きが早すぎて当時のフィルムでは写らなかったのでわざとフィルムの速度を遅くしていたそうです

「早く見せるための加工」ばかりとは言えないわけですね!
「攻撃は最大の防御」これが「ジークンドー」の骨子であると見なして宜しいでしょうか。
現実、勝ってナンボであるなら拳銃でも何でも使えるものは使うのじゃ!ということですか?
まさに「現実」そのものですよね。ああ…
なんか世界のカラクリを思ってしまいました。「哲学」ですね!
たびたびの御教示まことに有難うございます!!

 ブルース・リーの実際の格闘能力についてですが、冷静に判断して「そこそこ強い」と思います。かつてのありったけの映像(映画ではなく実際の練習風景等)などを掘り起こして、現役の打撃系格闘技者や指導する側の専門家等が見れば、妙な思い入れや偏見を持たない限りはおそらく同じ見解に達するはずです。
例えば映画の中でヌンチャクを振り回す芸術的なテクニックは見ていてとても格好良いのですが、格闘能力とはほとんど関係なく、それ自体が独立した「技能」であると思います。

突きや蹴りの速さ、強さについてはサンドバック打ちや対人ミット打ちを見る限り、同大の体格であるライト級前後の日本のプロボクサー、キックボクサーらの標準的な攻撃力のレベルには達していると見ていいと思います。(ガッカリしないでください、とても凄いことですよ!)
また近接した位置から板などを割る芸当は極真会の色帯の高校生でもできますし、指一本で「指立て伏せ」というのも訓練して慣れると普通の男ならできるようになります。ただし格闘技の世界ではこうしたことを必要以上にガンバっている人というのは実戦(格闘技の試合、道場での自由組み手等)となるとあまり強くなかったりするものです。「身体能力」は格闘技においては「基礎体力」であって、ないよりはある方が良いのですが、それだけでは強さを推し量ることはできないものです。

私がブルースリーの攻撃能力をなぜ空手やボクサーやキックボクサー等と比較するかというと、人間の繰り出す「突き(パンチ)」や「蹴り(キック)」というのは、人体の構造が誰でも一緒であるため“人を倒す”という目的を達成するための動作は、地球上のどこの誰がやっても同じ「動作」になるはずだからなのです。「空手の逆突き」も「日拳のストレート」も「ボクシングのストレート」も「ムエタイのパンチ」も足の歩幅から体重のかけ方から拳の軌道もほぼ同じです。これらと違う「動作」をしている場合は「流派が違う」「格闘技の種類が違う」からではなく、人を倒すための最良の動きが解るに至っていないだけなのです。
例えば100M走の「動作」は2千年前のギリシャ人でも現代の日本人でもほぼ同じですが、百年後のロシア人だけは腕をグルグル回しながら走る!などということはありえません。これは生物学的な人体の構造が普遍的であるためそこから導き出される目的ごとの動作に違いは生じ得ないからなのです。速く泳ぐためにはこういう水のかき方、高く飛ぶためにはこういう飛び方、ボールを遠くへ投げるためにはこういうフォーム、人を倒すためにはこういう殴り方など、人体の細かな動かし方やその時の各部位の位置関係に至るまでどこの誰がどのように研究しようとも遅かれ早かれ同じ解答に到達するものなのです。こうした観点からブルースリーの練習中の「動作」を見ると、あらゆる突きや蹴りがきちんと体重の乗ったクセの無い極めてまともな高いレベルの攻撃能力を有していると判断できるのです。かといって決して超人的なスピードや破壊力かというと決してそうでもありません。同じ分野で一流の人が到達し得る“標準的”なレベルです。(往年のガッツ石松の方がパンチ力はありますし、往年の具志堅用高の方がパンチは速いです)
ただしあくまでも打撃の攻撃能力についてであって、人と闘った場合の防御技術について、更にはそれらを総合した格闘能力、実践力というのは分かりません、というより防御技術、受け技というのは、同等のレベルの攻撃能力をもった者同士で対人相対訓練(ボクシングでいうスパーリング、相撲でいうぶつかり稽古、空手でいう自由約束組み手等)を長時間こなさないと、攻撃に対して体が反応できない=脳の中の「反応力」が強化されないものなのです。打撃系格闘技の専門的な相対訓練というのは一定期間それもかなりの長期間それだけに生活のほとんどを割いて探求しなければ防御技術、受け技というのは上達せず、彼の動きの詳細やジークンドーの技術解説類を深く調べると防御技術のレベルはあまり高くないことが分かります。こうしたことを書くとその組織に強い思い入れを持つ方々には「なんだこのヤロウ、知りもしないくせに!」と無条件に反感を持たれてしまうでしょうが。(技術解説書というのは分解写真がごちゃごちゃあって素人には良く分からないと思いますが、見る人が見ればその技術を創設した人物の到達点が類推、判断できるもので、例えば極真会の大山倍達氏と比べ、そこから離れた十数人に及ぶ有名な弟子たちの出版した技術解説書を全部じっくり調べると、師匠の大山氏を技術的に越えていると判断できるのは私の見る限り芦原英幸という人物ただ一人だけ、というようなことが分かる人には分かってしまうものなのです。ちなみに私は芦原氏という人物に面識も思い入れも関わりも一切ありませんが、純粋に科学的思考力で技術解説書からそう判断できるのです。)

俳優として忙しい日々を送った20歳台から30歳台にかけてのブルース・リー氏は、生まれ持った運動神経の良さに加え、自己の身体能力や攻撃能力を極限まで鍛えぬいた東洋人として史上最も世界に影響を与えたスーパースターだったと思います。
客観的に判断して「一流に近い打撃系格闘家レベルに達した俳優」だったと評することができると思います。

この回答へのお礼

素人目には何につけても凄い!!と思うばかりなんですが、さすがに専門家の視点から教えていただき眼からウロコです…。やっぱり経験者や専門家の分析って冷静ですね。
>映画の中でヌンチャクを振り回す芸術的なテクニック

これなんですが、このカテゴリの別のスレッド内でブルースはダンスの名手でもあったという回答を目にしまして思わず膝を打ちました。社交ダンス(それも動きの派手なチャチャチャ)の素養に裏打ちされた面があったのかも。確かに彼の動きには、ある美意識を感じさせられます。(私も彼にリードされて踊ってみたかった♪^o^*)
>近接した位置から板などを割る

これ女性でもできるんですか?やはり痛いですよね。コツがあるのでしょうか。
「身体能力と実戦能力は別物」ということですか、他にも置き換えて当てはめられそうな事例がありそうですね。
「無駄のない最良の動き」というものは畢竟、定まった共通点を持つものだということですね、そして攻撃能力と防御能力は活用の範囲が別だということ。こうしたことは結局、大脳や生理学的見地に行き着くわけですね!
「ジークンドー」が実戦方面に重きを置いていたと言うことには違いないようですね。
天性の運動神経の良さに努力を重ねて鍛え抜いた彼だからこそ畑違いの映画の世界においてもカリスマの位置に立てたんだと思います。
でももし俳優の道に進まず格闘家一筋であったなら、また評価は違ってきたでしょうか…。
実に勉強になりました。「科学」にまで及ぶとは想像していませんでした。
御回答、有難うございます!!

下のNo6の書き込みのブルース・リー師祖の師祖が歴史の史になってました。単純なミスで間違えました。
一度書き込んだら訂正できないのは少し不便ですね。

この回答へのお礼

あ、気になさらないでください!ちゃんと置き換えて読んでますから。几帳面なかたですね!
さすがに御経験者だけあって、いろいろと感心させられました。
また今回質問して、よりいっそうブルースに魅せられました。頭良し、腕っぷしが滅法強い、商売の目先が利く、おまけにハンサム…すばらしいです!!
詳しい御解説、本当に興味深かったです。
有難うございます!!

ヌンチャクのことを書き忘れていました。
ヌンチャクはNo3の方が紹介しているようにダン・イノサント史父のフィリピン武術から来ています。
しかしヌンチャクは映画での演出を意識したものでしょう。
実戦では使えないのではないでしょうか、というより実戦で使うには普段からヌンチャクを持ち歩かなければならないですし普通は持ち歩きはしないですよね。

日本振藩國術館でもヌンチャクではなく私が習った範囲ではカリ・スティックとダガーでした。棒は道に落ちていることもありますし棒とナイフ(短剣)のほうが実戦的なのでしょう。
ただ基本的な動作は同じフィリピン武術のカリなのでカリ・スティックが出来るようになればヌンチャクも扱うことができるようになる人が多いです。

この回答へのお礼

わざわざ恐れ入ります。
フィリピンって「バンブーダンス」とかサーフィンとか楽しいイメージが浮かんでき易いもんで「フィリピン武術」と聞いて、ああ、やはり、その国その国の武道というものが存在するんだなあと…。
ヌンチャク発生の経緯は他の御回答者様の参考URLで勉強させていただきました。これに絡んでもブルースの映画人としての眼の付け所の良さが窺えますね。商売上手でもあったということでしょうか、さすが中国人ですね。
中学生の頃、仲が良かったクラスメイトが(女の子です)プラスチックのヌンチャクをぶんぶん振り回しては、おのれ自身の頭を直撃していた姿を思い出します…本物だったら危険ですね。
映画での、あの動きは、まさに芸術的、映像美だと思います。

かつてジークンドーをやっていた者です。
まずジークンドーは厳密には格闘技や拳法ではありません、よって流派もありません。そのスタイルに近いものを取り入れていますがJKDは戦いの概念であり哲学とも言えます。

別のものなので格闘技や拳法と比較するのは無理があると思います。
例えば競技である格闘技でどんなに強くても実戦でビルジー(目つき)やジクテック(金的)など入れられるとどうなるかわかりませんし、グランドになっても噛み付きなどあれば関節技や寝技なども使えません。

すでに他の方がいろいろ説明されているのように超人的です。その身体的な能力も凄いのですが他にもあの時代に総合格闘技を思いついてやっているという先見性も優れていたのです。日本でも最近になってようやく総合格闘技が認知されましたが、それよりもずっと前にその原型を行っていました。

ヒクソン・グレイシー、バンナ、レコ、ハント、ミルコ、アーツ、角田など現在の有名な格闘家のほとんどがブルース・リー史祖の影響を受けています。
バンナが右利きなのにサウスポーで戦っているのはJKDのバイジョン(利き腕を前に出す構え)から取り入れているのです。他にもいろいろな戦術をJKDから得ているそうです。
これだけ世界のトップであり様々な技術を研究しているプロ格闘家が憧れ、尊敬している点から見てもいかにブルース・リー史祖が凄かったかがわかるかと思います。

>なんかハリウッドの俳優さんたちで彼に弟子入りしてた人、多い
とのことですがブルース・リー史祖は若くして亡くなっているので直接教えを受けて弟子でありインストラクターとして認定されたのはダン・イノサント史父(ダニーではなく正確にはダンです)、ターキー木村史父、ジェームズ・リー史父の三人しかいません。
ですからおそらく弟子ではなくJKDをやっていたということでしょう。

それとブルース・リー史祖が亡くなってから世界的に有名になってからはジークンドーは戦いの概念であり哲学を利用して戦いの哲学であるからジークンドーだという解釈して国内外で様々な団体がジークンドーの名を語っている場合がありますが、それらはブルース・リー史祖から直接正式なインストラクターの資格得ていない物です。ですからハリウッドの俳優さんたちもひょっとしたらそのようなところでJKDをやっていたのかもしれませんが。

日本ではブルース・リー史祖が正式にインストラクターに認定したダン・イノサント史父のイノサント・アカデミー認定の日本振藩國術館があります。
http://www.bruceleejkd.com/index_main.html
日本での最高位は元修斗のチャンピオンの中村頼永師父です。中村史父は佐山聡氏と共にヒクソン・グレイシーが日本で初試合を行った『バーリ・トゥード ジャパン』の立案者の一人でもあります。

No2の方が紹介されているテッド・ウォン氏は確かに生前ブルース・リー史祖の教えを受けてそういう意味では弟子とも言えるかもしれませんが、ブルース・リー史祖からインストラクターの資格はもらっていません。

この回答へのお礼

>まずジークンドーは厳密には格闘技や拳法ではありません、よって流派もありません。
>別のものなので格闘技や拳法と比較するのは無理があると思います。

えーっ!!そうなんですか?!

>例えば競技である格闘技でどんなに強くても実戦でビルジー(目つき)やジクテック(金的)など入れられるとどうなるかわかりませんし、グランドになっても噛み付きなどあれば関節技や寝技なども使えません。

「噛み付き」で子どもの頃、兄とケンカしたときのこと思い出しました。兄は大学時代、少林寺をやってたらしいんですが許せないことに!その日、道場で習ってきたばかりの技を私に試そうとするんですよ!いくら大柄とは言え、兄と十歳も離れている妹の私としては腕に噛み付くことしかできなかったんですが、これをやると「いくら少林寺でも、お前には通用せんわ!」と言って逃げて行きました…v^^;
なおブルース本人が正式なインスト認定を行ったかどうかという差異があるわけなんですね…なるほど。
ヒクソンを始めとするグレイシー一家の名は私のような者の耳にも届いております。
グレイシー柔術も、そもそもヒクソンたちの父上か、おじい様が日本人の指導を受けて発展させて行ったとか聞き及んでおります。

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