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私の母親は、神棚やお守りに毎日、朝と寝る前、出かける前にお祈りというか手を合わせています。

父や兄はそこまでしてません。

でもそういう母を小さい時から見ているし、毎日拝んでるから、幸せで健康で事故もなく仲良く暮らせてるのかなーと思います。

みなさんは、毎日手を合わせますか?

また、どういう時に合わせるのですか?

合わせないと不幸になったりとか考えますか?

A 回答 (8件)

田舎の出身ですので、神棚と仏壇が並んでいるのが当たり前の家で育ちました(信仰深いようでいて、何か宗教的にめちゃくちゃですね/笑)


そんな我が家では、毎日、朝イチに汲んだ水と新しく焚いたごはんを神棚、仏壇にそれぞれあげて、神棚には二拍手一礼二拍手、仏壇には線香をあげカネを鳴らして手を合わせる(その時何を思い浮かべるのかは各自の自由/笑)というのを、朝食前に家族全員(祖父母と父母と私と弟)でやっていました。
そして夕食時にまた水とごはんを新しいものにチェンジして同じことを繰り返します。
そのうち私は進学で実家を離れ、祖父、祖母、父の順に亡くなりましたが、母と弟、その嫁は相変わらず同じことを毎日やっているようです。
今現在の私の家には仏壇も神棚もありません。マンションなので(言い訳がましい? そのかわり、実家に帰ったら、まっさきに仏壇に「ただいま」と手を合わせます。神棚を拝むのは、なぜか食事前限定)
特に幸せを願ったり、お礼を言ったりというのはなかったですねー。小さい頃からしていることだから、習慣になってただけのように思います。
弟は私よりも信心深いようで、「忘れるとキモチ悪い」そうです(笑)
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私も、無宗教的な生き方をしてきたので、あなたが宗教の儀式に対して、いぶかしげに見守っている様子を分かる気がします。


しかし、最近片親を無くし、その死を受け入れられない気持ちから仏教の考え方に頼らざるを得ませんでした。
お母様に手を合わせるようになった切欠を聞いてみてはいかがでしょうか。
私は神道ではないので神様に手を合わせる気持ちは分かりませんが、きっと何か過去に手を合わせたくなる事が有って、今に至ってもその時と少しも気持ちが変わっていないのだと思います。
手を合わせている先に大切な対象が今も存在している事を、お母様が手を合わせている時に実感として感じてみて下さい。
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母は毎日、晩御飯が終わって一息つくと、「ご先祖様、今日も家族全員一日無事に過ごせました。

ありがとうございました。ありがとうございました。これからもお守りください。」と空に手を合わせてつぶやいています。

私は普段は手を合わせたりしないですが、寝る前にしんみりとした時には、今日も当たり前のように終わっていったことに感謝するようになりました。

手を合わせるとかいう表面的なことではなく、感謝するという内面的な気持ちの方が大事だと思っています。だから手を合わせるという行為にはこだわりません。
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お祈りは毎日はしません。



手を合わせるとしたら
食事の「いただきます」「ごちそうさま」を言う時か、
実家に帰ったときに仏壇に手を合わせたり、
仏事や何かで神社仏閣にお参りに行った時ぐらいかな。

でも、別に不幸じゃないし、
神棚や仏壇も置き場所を間違えると怖いって言うし…。

それで幸せだと思うのならそれでいいんじゃないですか。
だからと言って他の人にどうと言う事でもないし…。
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私はほんの一握りではありますが親の遺骨と暮らしています。


その遺骨に毎日手を合わせます。今日、こんな楽しいことがあったとか、こんな辛いことがあったとか、ニュースでこんな話題を見たとか、心の中で会話します。
会話していると、ふいに涙が出ることもあります。でもその度に、最期の最期まで生き抜こうと頑張った親の「顔」を思い出し、私もどんなに辛くても何とか乗り越えて生きて行こうと思います。
親に限らず、自分より先に遠くへ逝った方達への敬意だけは、忘れないで生きて行こうと思います。それがきっと自分や周りの方々を大切にして生きて行くことに繋がるのだと思っています。
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こんばんは。



神道の家なので、普通に毎日手を合わせます。

手を合わせるのは朝と夜でしょうか。
朝は「おはようございます。今日も元気に起きられました。今日も一日、事故や怪我や禍つ災いから、子供達と○○さん(主人の名)と、私を守ってください。」とだけお願いし、
夜は「今日もみんなが無事で、一緒にお夕ごはんも美味しく食べられました。有難うございました。」と、手を合わせます。

#1さんも仰っていますが、不幸になるからお参りするのではなく、幸せだから感謝するんです。神道の場合は「神頼み」なんて考えはないから、幸せになる為には自分で自分の身を守れるだけ守って、自分自身で間違いを起こさないように頑張る・・・それでも防ぎきれない色んな事を避けてもらえるようにお願いして、夜に今日も一日無事で幸せだったから、感謝するんだと思いますよ。お母様も多分、「幸せで健康で事故もなく仲良く暮らせてる」から、手を合わせるんだと思います。

神様だろうが仏様だろうが人だろうが、「有難う」の気持ちは自然に湧き上がってくるものですから、自然に御礼を述べる・・・感謝は義務でするべきものでは無いでしょうからね。

ご参考になれば幸いです。
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こんばんは。


私も毎日手をあわせています。神棚ではなく、亡き父にです。仏壇は実家にあるため写真とお水・ご飯・佛花等を飾るセットを購入して、毎朝手を合わせてます。(真宗大谷派)また頂き物があった時もお供えします。手を合わせる事が今日も出来る喜びを感じながら。。。
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ひとついえるのは、毎日拝んでいるから幸せで健康なのではなく、幸せで健康なことに感謝して、その表現として手を合わせているから、幸せで健康な状態が続くのです。



手を合わせなかったからといって不幸になるわけではないでしょうが、幸せで健康なことに感謝できなくなったのであれば、ちょっと要注意かもしれません。
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