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私がはじめて伊達騒動を知ったのは山本周五郎の「樅の木は残った」を読んでからです。
その後自分なりに調べましたが、謎が多いです。
あなたは、どう解釈されていますか?

A 回答 (1件)

当時の幕府側の考えであれば伊達藩の取りつぶしは当然な帰結の筈なのに存続を許したのですから、何らかの弱みが幕府側にあったと見るのは至当でしょう。



正当な裁判ならば評定所で行うのが定めなのに酒井邸で開いたのは奇怪。
しかもその為真相究明が至難となったわけですから。

大藩でのお家騒動で越後、黒田、伊達はいずれも改易に十分な理由を備えながらそれに至らなかったのはそれぞれに幕府側に配慮があったわけですから納得するしかありませんが・・・
謎の多い点ではトップでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
酒井邸で評定が開かれた点は大きな謎ですね。酒井陰謀説も生まれる余地はありそうですが、それにしてはやり方が少し強引過ぎるようにも思われます。
権力者とは一般的に行動は慎重で策をめぐらし老獪な手段を以って、さらには逃げ道すらも周到に用意しているものでしょう。
酒井に不穏な動きありと少しでも見られれば、権力闘争の格好の餌食となり、自らの地位を揺るがすものになりかねません。

うーーん。やはりこの謎の解釈の仕方が歴史小説家の腕の見せ所なのですねぇ。

幕府側にも、伊達家にも明確な資料がない点から言うと、両者とも弱みを握っていてうやむやにしたかったということなのでしょうか?

お礼日時:2005/06/05 20:27

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