他人を愛するということは自己を殺すことだとおもわれますか?

A 回答 (8件)

金持ちは少々寄付してもなんともないが貧乏人は自分の首を絞めるということですね。

言い換えれば、心豊かな者は愛ぐらい与え続けてもなんともないが心貧しきものはより心貧しくなるということでしょうね。豊かになりたいか貧乏を愛するかということですね。まあ、世の中には愛がほしい人は五万といるけど与える人はすくないよね。要は貧乏人だらけということですね。だから貧乏人の思想が一般化するわけですね。金持ちは少ないものね。でも金持ち(あるいは心豊かな)思想もあるということですね。どちらでもお好みしだいですね。
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この回答へのお礼

非常に実感が篭った感じに聞こえるんですが、回答者が幸福になるようなお礼分を書けば、私は「金持ち」になるんでしょうか、それとも「貧乏人」になるんでしょうか。

お礼日時:2005/06/29 02:14

そんなに固定的なものですか



 
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
固定的であるとは言えませんが、
常に愛するものの中に自己の悦びや幸福を見出そうとする
のが愛情であるとすればやはり自己は常に「愛するもの視
線」によって自らを規定せざるを得ないのではなかと考えるわけです。
異論等ありましたら宜しくお願いいたします。

お礼日時:2005/06/29 01:09

《愛する》というとき わたしの場合は 《自分と同じように》という条件をつけています。



これは 一方で 意識の上では そうするということでもあるし また他方では それ以上の内容をもって他人を愛することは出来ないと考えていることを意味してもいます。

抽象的ですが この原則で おおむね足りると思っています。

あと付け加えるとすれば たしかにやはり 一歩もしくは半歩 相手に対して譲るというとき 結果として自分をそのぶん殺しているとは ほとんどいつも じつは感じています。

そのことをどう思うか。わかりません。原則は わたしの中で生きています。

表現の問題にならなければよいのですが 《自己を殺すことだと思いますか》という問いでしたら そうは思っていないという答えを用意すると思います。難しいですね。 

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。
>自分をそのぶん殺しているとは ほとんどいつも じつは感じています。
つまり自分は常に愛するものの視線で自分というものを見ているということではないでしょうか。
結局は「他者(愛するもの)の視線」によって自らの世界が規定されてゆくと思うわけです。
それは愛するものの悦びの中に自らの悦びを見出すのが愛することだと思うからです。
自己を「殺す」と言いましたが「規定する」という意味です。

補足日時:2005/06/29 01:01
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この回答へのお礼

>自分をそのぶん殺しているとは ほとんどいつも じつは感じています。
つまり自分は常に愛するものの視線で自分というものを見ていることではないでしょうか。
結局は「他者(愛するもの)の視線」によって自らの世界が規定されてゆくと思うわけです。
それは愛するものの悦びの中に自らの悦びを見出すのが愛することだと思うからです。
自己を「殺す」と言いましたが「規定する」という意味です。

お礼日時:2005/06/29 01:00

殺すと言う意味が多様なので、質問が明確でないです。

また愛する事も
段階があり簡単に答えはでないと感じますが、、、。
自己を殺す事もある。たとえば、他人を生かす為、自分がしゃしゃり出ない
場合など、自分を殺す、と表現します。当たり前の事ですが。
また他人を愛する事で死ぬ事はある。これは自己犠牲の精神ですね。
キリスト教系の方は得意ですね。自分を殺すと言う感じはないですね。
純粋な自己犠牲は殺しません。他人を活かす、皆を活かす、皆を救う為なら喜んで命を捧げるという事ですね。
ただ、救われた人は(愛された)一生、頭が上がりませんね。これも素直に考えるとちょっと待てよ、と感じます。もっといいのは、自分も他人も活かすことですね。よく利自即利他と言われますが、これがもっとも賢い判断ですね。お釈迦様の教えです。一生実践できる事ですね。
自己犠牲は長くは持ちませんね。瞬間的です。まるでイエス様の伝道期間のようです。個人的には惹かれますが。
>他人を愛するということは自己を殺すことだとおもわれますか?
結論は思いません、という事です。

この回答への補足

ご回答いただき誠にありがとうございました。

またよろしくお願いいたします。

補足日時:2005/06/28 21:49
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

それでは自分そのものを殺してしまっているとは思われませんでしょうか。

お礼日時:2005/06/28 21:13

貴方が対象としている他人というのも貴方の頭の中で描いている映像です。

いわばあなたによって作られた他人です。決してそのひとそのものではありません。一方殺す貴方というのも貴方によって作られた貴方の映像です。要するに貴方の頭の中で二人の映像が劇を演じているわけです。私は他人を愛するということなど不可能なことと考えます。しかしそれは自分ができないというだけでできるという人に反対するわけではありません。しかし相手の主体性を認めることが愛することならば、むしろ思うことが重要で行動にはむしろ虚偽が入ってくるようにも思います。いずれにしても自分を殺すというのが行動なのか思いなのかが結構重要なことのようにも思います。勝手なことを書きました。

この回答への補足

ご回答いただき誠にありがとうございました。

またよろしくお願いいたします。

補足日時:2005/06/28 21:48
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

それでは自分そのものを殺してしまっているとは思われませんでしょうか。

お礼日時:2005/06/28 21:12

>他人を愛するということは自己を殺すことだとおもわれますか?


そういうことはないです。

キリスト教でいう自己犠牲とは、道元でいう自生他生という概念と同義
http://www.kosaiji.org/Buddhism/text/churon.htm
です。
自分が往生する前に他人を渡らせる。これが愛であるとお釈迦さまが言ってます。
他人を愛することで、自分の金銭や富や食い扶持を減らすのはよくある話
でも、食い扶持が減る以上に大きな喜びが返ってきます。

子供をもてば簡単にわかることですが、子供を愛することで自己実現が果たせます。
べつに、親の夢を子供にたくさなくても子供の喜ぶ顔を見ているだけで
自分の喜びと同様に幸せになれます。
子供がおいしそうに食べ物を食べ、くだらない文具やオモチャに夢中になって
そういう姿を見て親も幸福に浸る。

子供は他人じゃない・・・あ そうすか。

とんでもない悪女や遊び人を愛した人はどうなるでしょう。
夢中になって私財をデートや貢物についやし、あまつさえ自分の人生の可能性まで
相手のためにムダにして・・自分を殺した・・・うーんそういう意識はなくて結構当人は
竜宮上の浦島太郎の気分ではないですかねぇ。
確かに正気に戻ってみれば現実とのギャップに悩むけど、彼はたまてばこという
ゆっくりとした自殺を選ぶわけです。
ということは、やっぱり乙姫を愛した浦島は「自分を殺した」?ということ?

一番端的に言えるのは、相性が悪くて始終喧嘩ばかりの夫婦。
夫を愛していると、念仏のように唱えながら愚痴を息子に語り続け
これって結構生き地獄。夫を本当に愛せたら自分を生かす道も見えるのに
愛せないことが結果的に自分の願望を抑圧し自己を殺して生きている。

この回答への補足

ご回答いただき誠にありがとうございました。

またよろしくお願いいたします。

補足日時:2005/06/28 21:49
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

それでは自分そのものを殺してしまっているとは思われませんでしょうか。

お礼日時:2005/06/28 21:11

相手を喜ばすためにすることを、


苦痛に感じるようであれば、
それは愛ではありません。
自己を殺していると感じる時点で、
それは愛とは違うものであるという結論になります。
      

この回答への補足

ご回答いただき誠にありがとうございました。

またよろしくお願いいたします。

補足日時:2005/06/28 21:47
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

それでは自分そのものを殺してしまっているとは思われませんでしょうか。

お礼日時:2005/06/28 21:11

自己を壊さないから本当に人を愛せると思います。

。。

この回答への補足

ご回答いただき誠にありがとうございました。

またよろしくお願いいたします。

補足日時:2005/06/28 21:46
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

それでは自分そのものを殺してしまっているとは思われませんでしょうか。

お礼日時:2005/06/28 21:10

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