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19世紀の「アジア」「アフリカ」の植民地化について。ヨーロッパの政治や社会の変化なども含めお願いします。
前回は質問内容が漠然としていると指摘を受けたので、今回はできるだけ詳しくしたつもりです。が、いかんせん無知なもので・・・宜しくお願いします。

A 回答 (2件)

19世紀のヨーロッパは、各国で産業革命が進展し、綿、麻、鉄、石炭などの資源を海外から輸入する必要に迫られていました。

それまでの貿易品は金・絹・香辛料などの嗜好品と奴隷が中心だったのと比較すると、陸上・海上の交通手段の進歩による貿易規模の拡大と、貿易品目の資源化が進んだと言えるでしょう。それによって大航海時代以来の植民地政策が寄港地や都市、金鉱山などポイントだけを手中に収める方法だったのに対し、内陸まで侵攻し広大なエリアを植民地・属国とするという植民地政策の強化が見られたことがこの時代の一つの特徴です。

この点において、最も激しい侵略を受けたのがアフリカ大陸でした。エジプトを保護国としスエズ運河を手中に収め、かつ同時に南アフリカ・ケープ植民地から北上することで南北にアフリカを縦断しようとした(大陸縦断政策)イギリス、エジプトを失いつつも奴隷貿易の拠点だったギニア湾沿岸から東へ内陸を目指した(大陸横断政策)フランス、アフリカの中央部に独自の探検隊を派遣し、広大な土地をコンゴ自由国と名付けて搾取の限りを尽くしたベルギーなど、列強が地図に定規で国境線を引き、分割したと言えます。

また、東アジアにおいてもヨーロッパ列強による中国侵略が進みましたが、こちらはヨーロッパ本国との距離が壁となり、アフリカのような分割まで植民地政策が強化されることはなく、アジア内部における日本の発展を結果的に見過ごすことになります。
東南アジア、南アジア、西アジアについては日本のような発展を遂げる国は結局のところ表れず、アフリカ同様にヨーロッパ列強による分割支配が進んだと言えるでしょう。

その後、20世紀に入ると、2度の世界大戦で疲弊したヨーロッパ各国に、植民地の維持に掛かる膨大なコストが重くのしかかるようになり、行きつ戻りつを繰り返しながら、ヨーロッパ列強の植民地時代が終わりを告げることになります。
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本を一冊読んだ方がいいですよ。


本を読むのが面倒で他人の要約ですませたいなら別ですが。
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