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がむしゃらに自分の夢を追っていたが、
家族、恋人、友人或いは他の大切なもののために、
自分の夢を諦め、新しい出発をした・・・

という方、今まさにその岐路に立っている私にその体験を教えてください。

A 回答 (6件)

ki61さん、こんにちは。



丸一日経っても、回答が寄せられないところに、この質問の難しさを感じます。
>自分の夢を諦め・・・・
ヘリコプターパイロットの夢を断念されると言う事でしょうか?

私などki61さんにアドバイス出来るような体験は持ち合わせておりませんが、
唯一つ言えるとすれば、『誰かの為に夢を諦めるのではなく、誰かを選んだ自分の為に夢を諦めてください。』

自分の意思で、自分の為に諦めることが大切だという気がしてなりません。
夢を諦めた結果が出るのは、まだ遠い先だと思いますが、良い結果ならともかく
悪い結果が出た時に、ki61さんの大切な人(夢を諦めてまで選択した人)を
恨みたくはありませんよね?

私は人生の岐路に立った時、その様に判断して生きて来ました。
ki61さんの求める回答になってるとは思えませんが、今私に言えるのは
これだけです。

それほど難しい問題だと思います。
お役にたてず申し訳ありません。
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この回答へのお礼

私がヘリパイロットを目指していることをご存知と言うことは、
プロファイルを読んでくださったのですね。わざわざありがとうございます。
実は数ヶ月前にFAA(アメリカ連邦航空局)の事業用操縦士の免許を取得しました。
それで今教官免許を取ろうとしていたのですが、

実際にはどちらかと言うと人のせいではなくて、

1.法律(就労資格の取得の困難等)
2.金銭面の問題(取得費用その他)
3.時間的問題(取得までの期間その他)
4.教官免許の性格上の問題(有効期限(二年)・更新の必要基準等)

を熟慮した結果、
教官免許を取得することの価値が殆どなくなってしまったのです。
私自身、このことは痛感しており、就職も殆ど不可能な状況です。

それに加えて、両親が定年間近、
私にも近いうち一緒になりたい女性(日本人)が現れた事により、
この辺りがそろそろ退く潮時ではないだろうか、と思うようになりました。

ただなんと言いますか、今まで「教官を取るんだーッ!」という感じで
周囲にある厳しい現実など熱意でなんとかなる!
・・と、思ってはいたのですが、
いざ現実的に今の私にはそれが無価値であることを知り戦略的撤退段階になると、
私の中の意地?のようなものが心に引っかかるのです。

「取るっつったんだから何があろうとも取れよ!」
「いや取っても実質的に無価値だ!その費用を他にまわせ!」

みたいな感じです。結論は無価値なのです。
事業用免許は一生モノなので、ここで退くべきなのです。
決めたことは決めたのですが、今一歩、それが踏み出せない。

そこで同様の経験をお持ちの方のお話を伺って、
もう一歩踏み出せるように自分の背中を自分で押そうと思ったのです。
質問を相談形式にせず「体験をお聞かせください」と書いたのはそのためです。

『誰かの為に夢を諦めるのではなく、
 誰かを選んだ自分の為に夢を諦めてください。』

目から鱗の思いです。「こういう考え方もあるのだ」と感嘆しました。
私だけなら「誰かの為に夢を諦める」とだけ考えていたでしょう。
おかげで背中が押せそうです。ありがとうございました。

お礼日時:2001/10/13 17:06

m2_mさんのアドバイスを読んで、昔に読んだ本のことばを思い出しました。



「誰かを幸せにしたいと思うなら、まずきみが幸せになりたまえ」
~「ジャン・クリストフ」。

正確な文ではないと思いますが、およそこんな意味のことばでした。
長い長い物語の中で、唯一記憶に残っていることばです。
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この回答へのお礼

「誰かを幸せにしたいと思うなら、まずきみが幸せになりたまえ」
いい言葉ですね、しかし、重いですね。
私自身、今、私がどうやったら幸せになれるのか、ちょっとわからないのです。
私の考える幸せとは、「精神的ストレスのない、穏やかな生活」なのですが
それができるかどうか、まったくわかりません。
私はかなりの心配性で、ちょっと強迫神経症気味なところもあり、
常人の範疇を越えているかもしれないと思うので、
これは早期に対処すべきだとは思っているのですがなにぶん留学中の身、
医者にかかることもままならず・・
あれ、ちょっと話がそれました(^^:)

ありがとうございました。

お礼日時:2001/10/18 14:24

私はどちらかと言うと逆なんですが。


今までは自分以外の誰かのために頑張ってきたけど、これからは自分のために頑張るというか。
でもそれも、大元をたどればやっぱり大切な人のためだったりします。(私の場合子供かな)自分が幸せでないと、子供も幸せになれないと思います。だから私はあえて、自分の選んだ道を進みました。自分も大事だけど子供も大事なので・・・。

「誰かのために自分を犠牲にした」と思うとなんとなく聞こえはいいですが、後で何か壁にぶつかったときにその「誰か」のせいにしがちです。その選択をしたのは自分であること、「誰か」が幸せになることが自分の幸せでもあること、そう思えるのならばOKではないでしょうか。
誰かの不幸の上に幸せは成り立つものではない気がします。

私は子供のために私が私らしくいられる場所を確保しようと、離婚に踏み切りました。「子供のためには家庭があったほうが・・」というのも正論ですが、子供のためには母親がいつも笑顔でいられる環境を作る、と言うのもまた正論です。

自分ひとりではなく、誰かのために努力できる環境って良くないですか?だって達成したとき一緒に喜べるじゃないですか。辛いことがあっても一人じゃないし。新しい第1歩を踏み出したと言う感じがしますが、どうですか?
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この回答へのお礼

自分のために頑張ると言うことが、結局大切な人のためだったりするんですね。
私もそれに近いことを考えた事があります。
自分が人に親切にしたいのは、自分自身がそれによって満足したいためであって、
親切心みたいなものからでたものではないんだ、なんて。
もっともこれは少々うがった見方ですけども。

誰かのために努力できる環境っていいですよね。
喜びも二倍、悲しみも半分になるでしょう。
確かに新しい第一歩という感じがします、ありがとうございました。

お礼日時:2001/10/18 14:17

私はそんな体験をしていませんが、なにかのヒントにでもなれば・・・



夢をあきらめる必要はないのではないですか。
ただ、ちょっと寄り道をするのです。

スポーツ選手になってオリンピックに出るとか、人生の一時期にしかできないことが夢ならともかく、年を重ねてからもう一度その夢を追いかけられませんか。
それが可能であるなら、まずは夢を心の奥にしまって当面の課題に当たられては。
そしていつかもう一度夢にチャレンジできる時を作って、やればいいのです。

ひょっとして、その時にはもうやる気がなくなっているかもしれません。
とすれば、その夢はその程度のものだったのです。
がむしゃらに追えた夢、それが本物だったのかどうか試してみられてはどうでしょう。
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この回答へのお礼

う~ん、私が今諦めようとしている夢は、年を重ねてからでは不可能なのです。
(^^;)
でも、まだチャレンジできる余地はあると思います。
そうですね、寄り道のつもりで今の課題に当たってみればいいかもしれませんね。
夢は持ち続けているうちは実現の可能性があるし・・

ありがとうございました。

お礼日時:2001/10/17 12:33

私の体験からいいますと・・・



あなたに、新しい夢ができた。
・・・って考えるのはどうですか?

人生の夢や、最終目標なんて、生きている上でコロコロ変わります。
それは、生きている間に、社会情勢は変わるし、年は取るし、
自分の気分が変わったりなど理由は多いですが、
一番の理由は、自分が次々と素敵な人に出会っていて、
皆さんに自分を良いほうに変えてもらっているからだなぁ、と実感しています。
一つの夢がかなわないまま次の夢を見るのは、悪いことではありません。
次の夢のほうが、より価値や魅力があるということですから。

お互い頑張って今の夢をかなえるよう努力しましょうね。
それがかなう日、もしくはよりよい夢が見つかる日まで。
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この回答へのお礼

なるほど、新しい夢ですか。
そういう考え方もありですよね(^^)
人生なんて、いろいろありますもんね。

今こうしている間も、次はこうしてああして、
って考えているのは、それはまた新しい夢なんですね。

なんかその夢にとりつかれてしまうと、
その夢が全てみたいに感じてしまいますね。

他にも夢はいっぱいあるのに。なんだか目を覚まされた思いです。
ありがとうございました。

お礼日時:2001/10/17 12:07

ki61さんは男性なのでしょうか?


自分の夢を諦めるのは、自分の決断ですよね。この文面だと、夢を諦めたことを後々その誰かのせいにしてしまって、逆に不幸になりそうな感じ。

確かに若い頃でなければかなえられないような夢(スポーツ選手とか)であれば、年月を経てしまうともう後戻りはできませんが、夢は一つとは限らないでしょう?夢は後からいくらでも自分で見つけていけばいいのではないでしょうか?
人生設計は最初に立てたプランが潰れたら、もうそこで自分の人生が終わりというわけではないはず。また自分に可能だと思えるような夢あるいは目標を見つけて、そのとき自分にできる限りの努力をしていけばいいと思います。

私は女ですが、昔の夢は医者でしたが、家庭の事情もあり、6年間も大学生活を過ごすわけにもいかず、結局パラメディカルの方面の大学に進みました。ここで一つ挫折がありましたが、就職後、早い時期に結婚し、二人の子供を産み、まだ定職に就かない主人のために仕事も何とか続けていました。しかし主人もようやく定職に就いたので、今度は私が仕事を辞めることにし、新たな資格を見つけ、そのために今は勉強中です。専業主婦で人生のゴールとはしたくないことと、まだ何かできるはずという確信ですね。最初は友達が遊んでいる歳で子供を産んで、人生楽しいことなんてない!なんてひがんだものでしたが、若いうちに子供を産んだおかげで、まだ若いうちになんとか人生の転換を考えることができたと思います。

今のところまだ夢は叶っておらず、努力の真っ最中ですが、人生の岐路なんてこの先まだ何度もあると思います。要は後々後悔したり、誰かのせいにしたりしないように努力することが大事でしょうね。結局自分の人生は自分で切り開いていかないといけないんですから。

ki61さんも、もっとポジティブな方向で自分の未来を考えてみてください。
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この回答へのお礼

最初に回答をいただいたbetter-lifeさんへのお礼のところに書いたのですが、
諦める理由は人的理由ではなく、他の理由によるものです。
敢えて人のせいにするとすれば、ブッシュ大統領?(^^;)

諦めるというよりは、私自身渡米当時、
「自分の操縦技量が事業用レベルであることを証明するために免許を取る」
という決心でした。
就職については、アメリカでは非常に厳しいことはわかっていましたので
「う~ん、やっぱり無理だったか~(--;)」
というような感じです。

しかし一応の目的は達成したといえます。
実質教官免許の技量試験は事業用レベルなので、無価値になるのなら
それにかかる百万円近い追加費用を他の事に回せるかもしれません。

そのほうが私にとっても有意義だ、と思うのですが
先のbetter-lifeさんへのお礼のとおり、決心を強める必要があったのです。

おっしゃるとおり、確かに夢はひとつではないですよね。
今こうしている間も、日本に帰ったら陸と空はやったから、今度は海だな!
なんて考えてたり、田舎で働いてああしてこうして・・
なんていろいろ皮算用してるあたり、もう次の夢の始まりなのかも知れません。

これからの人生にたくさんあるであろう分岐点で
いちいちネガティブに考えてたらきりがありませんね。

同じ考えるならポジティブのほうがいいに決まってますね。

ありがとうございました。

お礼日時:2001/10/13 17:29

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