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言語普遍説(人の思考は話す言語によって左右されないという説)と、チョムスキーの唱えた普遍文法(言語について、すべての人が生まれながらにしてもっている知識、概念)とは関係があるのでしょうか。

つまり、普遍文法がある→言語によって変化しない概念がある→言語普遍説が成り立つ という説明は成り立つのでしょうか。

よろしくお願いします。

A 回答 (1件)

なんだかレポートの課題っぽいので、直に答えることははばかられますが。



>普遍文法がある→言語によって変化しない概念がある
これはまぁいいでしょう。
ただ誤解しないで頂きたいのですが、普遍的な概念といっても、すべての言語で「愛」だの、「美しい」だの、「歩く」だのという単語(あるいはそれに相当するもの)があるというのではありませんよ。

もっともっと抽象的なレベルです。


>言語によって変化しない概念がある→言語普遍説が成り立つ
普遍文法があることと、言語相対論が成り立たないということとは別問題です。

同じ家、同じ地域に住んでいて、ほとんど同じ言語を話していても、考えの違うひとはいくらでもいますね。

また、普遍文法を否定する認知主義でも、言語相対論は批判されます。したがって、普遍文法仮説と言語相対論は独立して論ずべきものです。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなって申し訳ありません。とても役に立ちました、どうもありがとうございました。・・・はい、レポートのテーマでした。。本によってさまざまなことが書かれているので普遍説も相対説もごちゃごちゃになっていました。

お礼日時:2005/07/18 08:44

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