ベルリンの壁、東西冷戦の時代について
ちょっと教えて欲しいことがあるんですが、
ベルリンの壁と東西冷戦の時代についての基本知識を教えてください。
第2次世界大戦が終わり敗戦国ドイツは英米仏ロ4国の占領地区に分割統治されました。
首都ベルリンは英米ロの三国に分割統治されました。
ところが英米の占領地区からソ連の占領地区を通過しなければベルリンに行けないという問題が生じたのです。
その頃はまだ東西の蜜月時代でソ連は連絡のため鉄道と自動車道路の使用を認めていました。
所が東西の国策の変化から冷戦が始まり、ベルリンの英米地区は西方のショーウインドウとして色々な優遇策を講じ西ベルリンの生活が良好な事を見せつけたのです。
その頃は東西ベルリンは交通が一応自由でしたからソ連地区やベルリン以外の地方からも西側に移住する人が続出するようになりました。
これに困ったソ連は急遽ベルリン市内に壁を作り東西ベルリンを隔離したのが「ベルリンの壁」です。
その時ベルリンとの鉄道、自動車道路も閉鎖したので
英米は空中補給でベルリンに生活物資を補給し、西ベルリンを死守する意志を示しました。
これが有名な「ベルリン空輸」です。
この東西のにらみ合いは長い冷戦の象徴ともいえる出来事でした。
これを参考にされたらわかりますよ。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~hmminami/note-reisen …
なおベルリンは、西、東に分かれて西ベルリンが西ドイツの飛び地みたいになってたみたいです。仮に日本が分割されていたら、日本で言えば、西東京が西日本の飛び地のようなもの。ベルリンの壁は朝鮮半島の38度線(軍事境界線が正しく国境とは言わないらしいです)みたいなものですね。朝鮮半島分割は冷戦の遺物ですね。
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