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征韓論は西郷や薩摩士族の運命を左右しての国を上げての論争になっていたと思われますが、征台論での征台の役はワリカシカンタンに当時出兵が行われたように思われますが、征韓論はダメで征台は良しとする何かがあったのでしょうか?
征韓論の時との時間差でその後に国力が増強されていたので勝算があったのでしょうか? よろしくお願いします。

A 回答 (2件)

征韓論と征台論では根本的に思想の本質がことなります


「征韓論」は武力で朝鮮を開国させる思想で一方
「征台論」は琉球島民が台湾に殺害されたことに対する賠償が目的の考え方です(実際に大久保は戦う考えはなく交渉により賠償金を獲得しています)、
一方この二つの間には時間的な流れがあります
1)1873年征韓論はNO1の方がおっしゃっているよう   に、政府内の考えの違いからの権力闘争でした  (賛成、反対、は五分五分でした)
2)1874年征韓論に敗れた西郷、江藤らは野に下り
  江藤は佐賀の乱を起こしましたが、鎮圧され
  死刑になり大久保は主導権を握り士族を中心とし  た賛成派に配慮して台湾出兵を推進した(問題の  性質上これに反対する意見は少なかった・この辺  が大久保の老獪なところ)
このように、いったん主導権を取った大久保は士族、国民のナショナリズムをバックに国力の衰え始めた「清」と交渉し賠償金を取る勝算は充分にあったようです
参考サイト
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%81%E9%9F%93% …

http://www3.plala.or.jp/red/w80/f3.htm

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%B3%80% …
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この回答へのお礼

西郷の征韓論は特使として朝鮮に渡りたいとの西郷の願いが適わなかったもので戦をすると言っていた訳ではないと思っておりますが、台湾出兵は経緯は別としてイキナリ出兵で賠償金は結果論として獲得できたと思われます。西郷が特使で朝鮮に行くと戦をする可能性があると反対したわけで何故台湾の出兵はOKか? 政争かも知れませんが当時は経済の問題が深刻だったのでは? そんなに賠償金をとれる勝算が高かったのでしょうか? それと大久保(日本)は賠償金は結局受取らなかったでしたか? 現代では判らないなにかがあるのですね。ありがとうございました。

お礼日時:2005/07/19 15:01

征韓論で問題となったのは実際には韓国に出兵するか否かというよりも、政府のあり方をめぐっての岩倉・大久保の遣欧派と江藤以下の留守政府派の権力闘争でした。


ですから大久保としても絶対に妥協はできず、ウルトラCともいえる権謀術策を弄してでも上奏を阻止したわけです。
これに対して台湾への出兵にはそういう問題はからんでおらず、また台湾には組織された権力も軍事力もないために単純に軍事力を行使するか否かでしたからそれほど大問題になることはなかったわけです。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなってしまい申し訳ございませんでした。
当時の国力を考えれば軍事行使で対して問題にならないというのは変な気がしますが、やはり権力闘争の側面が強かったのですね。 誠にありがとうございました。

お礼日時:2005/07/19 14:48

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