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ボランテイア活動をしたいと思ってます。でもよく わかりません。ボランテイア活動とは何だとおもいますか?その必要性も教えてください。

A 回答 (11件中1~10件)

私も昔、ちょっとしたボランティア活動に参加する際、その意義について考えたことがあります。


自己満足じゃないか?とか、偽善じゃないか?とか・・・

けれども、その時、それを考えること自体が傲慢で、ボランティア精神に反している事だと思うに至りました。
自分を納得させるための理由を持つことが何の役に立つのでしょうか?

迷っている間に私達にできることがあるはずですし、例えば、目の前で溺れている人がいるときに、そのような事を考えますでしょうか?

ボランティアによって得られる喜びは「人を助けた喜び」以上である必要はないと思います。
また、その喜びを感じることができる人は、それを感じない人よりも人生を楽しく生きられると考えています。
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必要性についてうまく書けなかったので、補足します。

(それなのに「回答に
対する自信」ありを選んでしまってすみません。この回答も自分の体験から
どちらかというと「自信」ありぐらいだとお考え下さい)

ボランティア活動はいわゆる社会的には必要性があると評価されているものが
ほとんどかもしれませんが、行動を起こす人にとっての必要性について、
つまり「なぜ自分がやる必要性があるのか?」という意味での「必要性」は
法的にも、道義的にも、宗教的にもない、つまりそれをやるかどうかは
「本人の自由」ということを書きたかったのです。

逆にいうと自分がやる必要性があるかないか?については「感じるもの」では
ないか!?と思います。
うまく言えないのですが、ボランティアに関しては自己意識過剰が
必要だと思います。「どうせ誰かがやるんだろう・・・」と
みんなが感じたものは誰もやらない活動になるだろうし、
「自分がやらなきゃ誰がやる!」とみんなが感じた活動はもりあがるでしょう。

「やってみようかな!」と感じたものは行動に移してみればいいし、
「うーん、これは自分がやる必要があるんでは?」と自分が行動に
移す必要性を感じたものはなおさら行動に移せばいいと思います。

いくら社会的に必要性があるといわれても、自分がその必要性を感じなければ
意味がないわけで、「必要性は感じるもの」であり、「必要性を感じるもの」は
行動に移せばいいいと思います。
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ボランティア活動とは、オイラ達の活動に対して社会が勝手に付けるレッテルの


一つです。ですから、オイラ達はしたいことをすればいいだけのことで、
した後の「ボランティア」だ「自己満足」だ「偽善活動」だ「奉仕活動」だ
「慈善活動」だとか、いろんなレッテル張りはそれを生業としている人達の
好きにまかせればいいだけのことだと思います。

まあ社会の評価を気にしないで活動してはどうかと思いますが
もちろん人間には社会の評価を気にして活動する自由もありますので
いずれにしろ、ボランティアセンターなどのメニューの中で気に入って
やってみたいことがあれば、初めに行動ありきでチャレンジして欲しいと
思います。

ボランティアの必要性もこれまたそういうことを定義して飯を食う人達の
お仕事であって、必要性があろうがなかろうがしたいメニューが見つかったら
すればいいだけのことだと思います。

まあボランティア活動は人間の自由な活動ですから、しなければならない
法的、道義的、宗教的義務はなんにもないと思います。

まあ、安上がり福祉を目指す国としてはこれを解決する特効薬として
一億総ボランティア化を狙ってほとんど義務化?といようり
いつのまにかしてしまっている?というのかマインドコントロールしようと
しているように見えますが、これってちがうよな!て思います(^^ゞ

ボランティア活動は宗教活動と同じで個人の自由というのか、プライベートな
領域なんですから、そこまで国家が入ってきて欲しくないと思います。
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こんにちは、tomo01さん。


>ボランテイア活動とは何だとおもいますか?

第1は、無償の奉仕ですかね(今は、有償も増えてきていますが・・・)。
第2に、「やりたいからやる」ものだと思います。

>その必要性も教えてください。
ボランティアに関心のある方、地域に貢献したい、障害のある方の助けをしたいと思ってらっしゃる方が集まり活動しています。

実際、私も、高校時代から、子供からお年寄りまで様々な方と接してきましたが、今では生きがいになってますよ。こんなこと書くと、「偽善者」ぶるな!!と言われるかもしれませんが、別に言われてもいいです。好きなことをして何が悪いのですか?と、逆に質問したいですね。たぶん、2ヶ月前の質問ですから、経験はしていると思いますが、ボランティア活動はやってみないと良さがわからないと思います。
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はじめまして。


多分tomo01さんが考えているボランテイア活動とは違うかもしれませんが、
私は毎週土日にスポーツ少年団でサッカーを教えている者です。
参考になるか分かりませんが私の考えを述べさせて頂きます。

【ボランテイア活動とは何だとおもいますか?】
1.少なくとも、いやいややるものではない。
2.その活動が、大げさに言えば、生きがい、ワイフワークであること。
3.勿論、見かえりは求める。
  ちなみに私の場合は、
  1)子供達の進歩、成長を目のあたりにすることで大きな歓び、感動を味わえる
  2)何もなく、ついついだらだらと過しがちな休日を規則正しく過すことが出来る
  3)運動不足解消
  4)特に暑い夏、汗をかいた後に、美味しい、美味しいビールが味わえる
  5)そして何よりも、色々な意味で、こちらのほうが教わることが多いこと!


【その必要性】
皆さんが回答していることは勿論ですが、小学生のスポーツに関しては、
1.少子化と小学校の先生の高齢化
2.クラブ活動の廃止
3.来年度からの週休2日の導入
で、ますます地域社会でのスポーツ指導員の必要性は増すことは事実です。


最後に、tomo01さん。私はこの質問を、私自身が質問した、

『「なるほど」、「これは知らなかった」というグーな回答』

の回答の中でご紹介して頂きやってまいりました。

今のところ、私以前に回答した方々へのお礼の言葉が書かれていませんが、
素晴らしい回答をしてくださった方々への何らかのコメントもお願いしますね。


以上、でしゃばってしまいましたが、少しでも参考になればと思い参上致しました。

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=142488
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ボランティアとは、無償で自発的にお来なく奉仕活動といわれています。


奉仕活動というと「やってあげている」「やってもらっている」の
いわゆる上下関係が出来てしまうと思われがちですが、昨今では、
その方の一人では出来ないコトを一緒に行い、自身にも得るモノがあるのが
ボランティアだといえます。

たとえば障害児の子どもたちと遊んだり、キャンプへいったり、
訓練を共にしたり、フリースクールなどで支援をしたり、
高齢者のお話相手などを行ったり、海外の生活を向上させたり、
その活動は多岐にわたります。
ご自身が子ども・高齢者・海外・「障害」児者のどんな境遇の方と
関わってみたいのかで、内容は異なります。
本屋さんなどでそれぞれに対するボランティア紹介の本も出ていますし、
ボランティア協会という仲介をしているところもありますので、
そちらへ具体的なことはお聞きになったらどうかと思います。

必要性としては、それぞれの立場で自身では出来得ない部分を相互に補い、
かつ、相手に対して同じ目線で関わり合うことで、お互いに補ったり、
学びあう、いわゆる生活の質の向上を得るためだと思います。
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私が参加しているボランティア活動の合い言葉は、


「All for you, it's my preasure」です。
活動に参加している人全員自らの意志で参加していますが、それほど自分を犠牲にする自虐的な活動ではなく、「あなたに楽しんでもらえれば、それが私の喜び」がモットーです。
(もちろん、時間や多少の金銭の持ち出しは必要ですが)

ボランティアにもよりますが、自分が楽しむためのボランティアもあります。
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私は、ボランティアは相互扶助の行為だと思います。


家庭内でもできるし、会社でもできる、社会の中でもできる。特に地域や社会に対して行うことは見返りが期待できないので脚光を浴びますが、考え方としては同じと思います。
社会は各々が負担する税金で運営されていますから、本来全ての人が満足な生活を送るべきところですが、やはり細かなことでは手が入らないところがあるのは否めませんよね。それを汲んで助けあうのがボランティア行為だと思うし、それが必要性なのだと思います。ですから、社会が成熟したらその活動範囲は変化するでしょう。また個人や一部団体に重責を押し付けるのでなく、必要があれば行政に肩代わりさせる運動もしないといけません。その一歩は『参政権』の行使だと思います。脱線かもしれませんが、ボランティアをしている人で政治に無関心であるのって本末転倒であると私は思います。
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結構ボランティアと聞くと奉仕で見返りはないとか考えてしまいそうですが・・・


ボランティアで必ず入るのは、「自分から積極的に」という言葉ですね。他人に言われて行動することはボランティアではないということです。
進んで社会に奉仕もしくは社会事業に参加することです。

rakkiさんがおっしゃるとおり、他の人のためにするまわりのためになる行いのことを言います。人のためにすることで、自分にもいいことだったり、自分にとっても大事な行為となるということですね。

必要性については、あなたがいろいろやってみて考えてみるべきでしょう。ボランティアがどういう面で必要か、何がボランティアと思われるか?そういう点はそれぞれ違います。結局、ここで回答することも場合によってはボランティア精神かという方もいますしね。
必要性の定義はそれぞれですから、まあ、気が付いたら改善したり、人が活動しやすい環境を進んで作ることですから・・・やってみればたぶんあなたにとっての必要性が分かるはずです。

私がボランティアで感じる必要性は、交流とか自分の意識を変えるためには必要ではないかと思います。
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ボランティア活動は一般的に、「奉仕活動」と日本語に訳されますが、本来の意味とはすこし違っているのだそうです。


日本でボランティア活動に古くから携わっている方の話では、「手弁当」という日本語が、もっとも近い意味合いだそうです。
ただし、「有償ボランティア」などがあるので、一言で言い表すのは難しいでしょう。
私の場合は、「自分の本業の稼ぎに直結しない、人のためになる活動全般」と、広く解釈しています。

>必要性も教えてください
自分の能力を、他者(他人でもよい)のために役立てるという気持ちが、根本の精神に必要になります。
「やってやる」ではなく「させていただく」という気持ちが大事だと思っています。

人が生きられるのは、他の人のおかげである。
他の人から見た場合、他の人とは自分の事をさす。
だから、自分が他者のためになることをすると、自分のためにもなります。

具体的には、各種のボランティアに関するサイトをご覧になるのが良いと思います。
ボランティアは、気合を入れて臨む必要もなければ、困っている人を探しに行く必要もありません。
自宅の回りのゴミ拾いをするなど、自分の身の回りから始められます。

やってゆくうちに、
・自分の能力は何なのか
・誰の役に立てるのか
・どこに行けば有効か
など、徐々にわかります。

すぐにでも何か形のある活動をしたい場合は、
「社会福祉協議会」(通称、社協)が、各自治体に併設してありますので、
役所へ問い合わせてみると良いでしょう。

「情けは人のためならず」このことわざの本来の意味が、ボランティアの精神ではないでしょうか。
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