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「タイム・マシン」とかのタイムトラベルものの映画や小説を見ていて思うのですが、主人公が未来や過去へ行きますよね?そして未来や過去の自分と出会ったりしてますけど、過去や未来の自分と出会っている現実が発生した時点で影響はないのでしょうか?過去や未来に自分が二人存在している時間が発生しているのに疑問なのですが・・・

A 回答 (10件)

こんにちは。


3つのご質問、一通り拝見しました。随分と熱心ですね。何処に回答すれば良いか分らなかったので、ここにお邪魔しました。内容が重複しますが、カンベンして下さい。

量子力学では、確率の集合から観測によって実現する事象の取扱い方に関して、「コペンハーゲン解釈」と「多世界解釈」のふたつがありますよね。このふたつは、解釈は違うのですが、特に両方とも「時間旅行が可能である」とは主張していません。
時間旅行には、因果関係に様々な矛盾が発生してしまいます。それを上手く排除しなければ時間旅行の可能性を説明することはできません。この問題は、世界がひとつではないという多世界解釈の出現によって様々に議論されるようになりました。ですが、実際には多世界解釈では時間旅行の矛盾を解決することはできませんし、これは、元々そのためのものではありません。
では、現在SFの世界で時間旅行のパラドックスを解決し、時間旅行を実現しているのは何なのかといえば、それは多世界解釈ではなく、「分岐型のパラレル・ワールド(多世界・並行世界)」なんです。
この「分岐型多世界」は、時間旅行などの行為が選択され、実行された時点で、その結果に基いて新たな世界が分岐してゆくというもので、時間旅行の矛盾を解決するために「多世界解釈」に変更を加えたようなものです。
時間旅行の説明でこのふたつが時々同じように使われますが、飽くまで大元の多世界解釈は時間軸が並行に存在するだけで、分岐という考え方はありません。そして、分岐がなければ時間旅行の矛盾は解決できません。

コペンハーゲン解釈では、主体である観測者の観測によって、無数の可能性がひとつに「収縮」されてしまうのに対し、多世界解釈というのは、元々無数に存在する世界で、無数の観測者がそこで実現するそれぞれの事実を観測し、体験するというものです。ですから、コペンハーゲン解釈では観測者、即ち自分がひとりであるのに対し、多世界には、その数だけ自分が存在するわけですね。
ということですから、ここで質問者さんがなさったひとつ前の質問に対して回答を述べるならば、多世界間を移動することができるのであれば、そこで別の世界の自分を殺すことは可能だということになると思います。物理的に不可能だと言ってしまえばそれまでですが、イーガンの小説のように、多世界が存在し、移動する手段があるとするならば、その世界にふたりの自分が仲良く存在することもできるということですね。

さて、時間旅行に話を戻しますと、多世界解釈は分岐型ではありません。多世界は「過去・現在・未来」を結んだ時間軸が可能性の数だけ存在し、それぞれに発生する「事実」というものを持っています。ですから、ここで時間旅行をやられてしまうとたいへん面倒なことになります。幾らたくさんあっても、過去と未来が1本に繋がっているのですから、その線を過去に遡って何かを行なえば歴史が変わってしまい、単一世界と全く同じ矛盾が発生してしまうわけですね。
では、世界が他にたくさんあるのだから、その矛盾が発生しない世界を行き来すれば良いということになります。ですが、例えば私が過去へ行き、未来に戻って来ようとします。未来に戻るためには、そこは時間旅行の行なわれたことが事実である世界でなければなりません。とはいえ、時間旅行の行なわれた事実があり、尚且つ因果関係に矛盾の発生しない世界に飛び移れるというのであるならば、時間旅行の事実のない世界にだけは戻れないという制約が一切成り立たなくなってしまいますよね。このように、多世界解釈では、結局は時間旅行のパラドックスを解決することはできないわけです。

そこで、先ほど申し上げました「分岐型多世界」という考えが生まれてきたというわけです。これですと、時間旅行が行なわれるという事実が発生した時点で、それに従った世界がどんどん分岐してゆくわけですから、歴史にどのような変化が起きても全くお構いなしということになります。タイムマシンを使って過去の自分に合いに行き、同じ時代にふたりの自分が存在しても、そのまま返ってこなくても、取り敢えず誰にも迷惑は掛かりませんね。これによって、初めて時間旅行のパラドックスを回避することができるようになるわけです。
ですが、これが量子力学における多世界解釈が元になっているというのは間違いないことなんですが、飽くまで分岐型多世界というのは、SFの世界などで時間旅行を実現するためにあとから都合良く変更されたもので、元々の目的を発展させた理論ではないんです。
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この回答へのお礼

貴重なご意見、たくさん本当にありがとうございます!多世界解釈は分岐型ではないのですね。それさえ知らずにこんな不躾な質問をしてしまってすみません。SF的理論と現実の理論をいかにごちゃまぜにして覚えているのかがよくわかり、恥ずかしいかぎりです・・・。ますますタイムトラベルや量子力学に興味がわきました。本当にありがとうございました!!!

お礼日時:2005/07/14 19:39

#6です。

#8さんのおっしゃる通りなので少々訂正します。
「分岐型多世界」ないし多元宇宙(というものが仮にあったとして、私はないと思うのだが)についても、その間を行き来することそのものが可能かどうかはまた別問題だと思っています。
なぜなら行き来できるということはエネルギーや力、物質のやりとりが可能だということです。とすると分岐は無限に(粒子一個の変化もすべて分岐になるので、常時無限個の分岐が発生することになります)なり、仮に重力がやり取りされるとすれば・・・・分岐した瞬間の宇宙間の「距離」(力は距離の関数にもなります)は大きくないはずなので簡単に無限大になりそうな気がします。まあちゃんと計算したわけではない(分岐する構造というものがどういうものかについての方程式や理論などつくれないので)のですが、もし重力のやりとりができれば(人一人送れるくらいなら当然可能ですよね)即宇宙が無限大の重力でつぶれるのではないかと思われるのですが。
以上から、おそらくこちらの理論によるタイムトラベルも、タイムトラベルを可能にする代わり宇宙の存在を不可能にするように思えるのでやはり無理なんじゃないかと思います。
結局そうできたら面白い、という思弁的小説の仮構であって、科学的にはそれを可能にする理論とはいえないのじゃないかな・・・?
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この回答へのお礼

僕はSFを読んで量子力学などに興味を持ったので、SF的理論と実際の科学理論をかなりごちゃ混ぜにしていたことを痛感しました。そうか~、pyon1956さんのおっしゃるように思弁的小説の仮構なのですね。エネルギーに関してなどもお詳しいようでうらやましいです。わかりやすいご回答、本当にありがとうございました!!

お礼日時:2005/07/16 15:11

#7の「補足」を見ました。


>未来から過去にきたとすると、ある意味でその時点で体験している時間も、細かく言うと髪の長さや思想などまで違うわけですから全く別の人間として存在可能だったりしないですかね?

この考え方は、割りとポピュラーな考えですので、面白いSF小説のネタにもなっています。
例えば、広瀬正(SF小説作家)の「マイナス・ゼロ」という作品では、主人公は昭和初期にタイムトラベルしてしまい、戸籍がないため他人の戸籍をお金で買う設定になっています。

しかし、現実では他人に成りすますと、不都合な事も出て来ますので、ご注意を。

参考URL:http://www.geocities.jp/sforest/content/mz.htm
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この回答へのお礼

我ながらいい考え!と思っていたのですがポピュラーな考えなのですね(笑)「マイナス・ゼロ」はタイトルは知っていたのですが未読ですので、せっかくサイトも教えていただいたし読んでみようと思います。多面的なご意見、何度も本当にありがとうございました!!感謝しています!

お礼日時:2005/07/16 15:06

#5です。

「補足」にお答えします。
>「タイムマシン」や映画のバック・トゥ・ザ・フューチャーのように自分の過去を変えようと過去や未来に行ったさい、・・・(中略)可能性の数だけ世界が存在するとあったのですが、自分が二人存在する世界というものが可能性としてあるのでしょうか?

物理学者の大部分は、素粒子レベル(量子力学的粒子レベル)でしか自分が、二人存在する過去の世界(つまり、まったく同じ粒子が未来から、過去に遡って存在すること)は出来ないと、考えています。

しかし、私は確率的には非常に低いかも知れませんが、一人や二人の人間程度は、過去に遡って同時に存在することは、可能ではないかと考えています。
但し、根拠となる物理学的理論は、現時点では「無理」(発見出来ない)と思ってもいますが・・・

なお、タイムマシンやバック・トゥ・ザ・フューチャーの世界は、古典物理学的世界観で成立していますから、あのような世界が存在することは絶対ありません。
あれは、一般人(現代物理学を知らない人)を楽しませるためのエンターテイメントなのですから。

この回答への補足

回答ありがとうございます。とてもお詳しいようで尊敬の念がたえません。バック・トゥ・ザ・フューチャーのような世界は実在しないのですね。やっぱりといえばそうですが。確率的には非常に低いかも知れませんが~過去に遡って同時に存在することは、可能ではないかと考えています>とおっしゃっていましたが、僕も少しそんな気がしてきました。全くの私見なのですが、未来から過去にきたとすると、ある意味でその時点で体験している時間も、細かく言うと髪の長さや思想などまで違うわけですから全く別の人間として存在可能だったりしないですかね?一応、未来から来た自分は過去の自分を覚えているでしょうから判断できても過去の自分は未来の自分を予測できうにとどまるでしょうし。この考えはかなり支離滅裂でしょうか?本来の質問からそれてしまってすみません。

補足日時:2005/07/14 00:00
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多元宇宙、あるいは多世界解釈。


もし過去に行けたとすれば。
その時点でその宇宙は分岐してこの宇宙と違ったものになるはずです。
したがってそれ以後の宇宙でなにがおころうと現在には影響ありません。それは別の未来につながっているだけのことです。自分が二人はいません。分岐した自分と分岐前の世界の延長での自分はつまり別の存在です。

ただし。そもそも分岐した宇宙に他の宇宙から何らかの影響を与えられるかどうかは別の問題です。
そこに行けるとすればなにも人一人とは限らないので、結局その宇宙とこの宇宙で力のやり取りがあることになり、どうやってやっているかが不明です。分岐したときの距離はどうなるのかを考えると(理論的にはほとんど常に分岐しているとすれば大変近いような)少なくとも重力のやりとりはあるはずなのでなんか危険な気がしますが・・・・
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。過去と未来の自分はすでに別な存在というわけなんですね。確かに、体験している時間に明らかな差があるわけですからね。なるほど~、ありがとうございました!

お礼日時:2005/07/13 21:26

多世界解釈について


http://okweb.jp/kotaeru.php3?q=1509180
グレッグ・イーガン
http://okweb.jp/kotaeru.php3?q=1510903
と、量子力学や、パラレル・ワールド理論、そしてこのタイムトラベル論と入会と同時に立て続けて、ご質問されていらしゃるようですが、質問者さんの知識レベルが分からないので、探りながら回答させていただきます。

>「タイム・マシン」とかのタイムトラベルものの映画や小説を見ていて・・・(中略)過去や未来に自分が二人存在している時間が発生しているのに疑問なのですが・・・

どんな回答をお望みですか?(補足に書き込みください)

小松左京の「おえらびください」という、短編SF小説はお読みでしょうか?1967年に、早川書房が出版した短編集「生きている穴」に収められてます。
そこに、タイムトラベルやパラレル・ワールドの原型が書いてありますので、ご参考までに。

個々の質問に対しては、参考Webおよび簡単なコメントを書きました?(or 書きます?、or 書こうとしています?)

この質問に対しては、私が最近書いた回答を、参考URLに貼っておきます。

参考URL:http://okweb.jp/kotaeru.php3?q=1443307

この回答への補足

丁寧な説明と回答、ありがとうございます。おおざっぱに質問をしすぎてしまって申し訳ないです。質問の意図としましては、ウェルズ著作の「タイムマシン」や映画のバック・トゥ・ザ・フューチャーのように自分の過去を変えようと過去や未来に行ったさい、(例として過去に行ったとすると)、過去の自分と未来の自分と二人存在してしまいますよね?僕の浅薄な知識と見解では自分が二人存在するなんておかしいな、と思ってしまうのです。多世界解釈などは、これも僕の浅い間違った知識だと思うのですが、可能性の数だけ世界が存在するとあったのですが、自分が二人存在する世界というものが可能性としてあるのでしょうか?乱文、大変失礼しました。

補足日時:2005/07/13 21:27
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 「自分が2人存在している」という所で「質量保存の法則」に引っかかるのではないでしょうか?


 この世にあるもの全ての合計質量が変わることはありません。その中に「別の時間から来た自分」の分だけ質量が増加するわけですから、この法則では「ありえない」となります。
 某映画の「ミスタースミス」みたいに他人が突然自分に変身するとか・・・。コワ!

 過去や未来の自分にあった記録及び記憶に関しては問題ないと思います。
 記憶は脳のたんぱく質の変化だけですし、紙に鉛筆で書いても総質量は変わりません。

 後は心情の影響くらいでしょうか。これは大きいでしょうねぇ。(^^)
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この回答へのお礼

「質量保存の法則」自体知りませんでした。なんだか興味深いので、この法則についても調べてみたい気になりましたよ。判りやすくご回答くださりありがとうございます。

お礼日時:2005/07/13 21:46

こういったタイムパラドックスに関してこのカテゴリが相応しいかどうか疑問ですが・・・w


http://homepage1.nifty.com/ROYGBIP/timep.htm
↑参考までに。

わたしの意見としては、多層次元理論だったかな?自分のいる世界と同じような世界(次元)がいくつも枝分かれして存在しているというもの。
ある次元では私は生きてますが、別の次元では私は数秒後に自動車事故に遭って帰らぬ人となってる次元も存在する。
つまり、タイムマシンを使ってもいくつも枝分かれしたほかの次元の、私そっくりの他人に会ったりするだけなのではないかと。
親殺しのパラドックスも、私の親そっくりの他人を殺しただけで、その次元ではその人たちの子供が生まれなかったりしているだけなのではないかと。

うーむ自信なし。
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この回答へのお礼

親殺しのパラドクス・・・僕も納得する一方で疑問も拭えないんですよね。参考URLまで教えてくださりありがとうございます!自分そくりの他人という発想は僕の中にはなかったものなので、興味深く回答拝読させていただきました。

お礼日時:2005/07/13 21:49

SFなど概念の世界のことを議論するのは苦手なのですが


ご参考まで。
この宇宙は,多次元宇宙と言って,ちょとづづ違う世界が無数に存在
するんだそうです。
したがって,未来の自分に影響を受ける世界もあるし,未来の自分とは
出会わない世界もあるし・・・
例えば,映画「今,会いに行きます」で未来の日記を読みましたよね。
日記に逆らって,会いに行かなければ,結末の違う世界に突入
と言うことになります。
また,バック・ツー・ザ・フューチャーにおいては,多次元宇宙が
ちゃんと描かれており,未来への世界を変えるために過去を変える
ストーリーとなっています。
・・・決してSFオタクではありません。
根拠の無い無責任な回答ですが・・・
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この回答へのお礼

SFなど概念の世界のことを議論するのは苦手・・・なのにご回答くださりありがとうございます。やはり多元宇宙についてもう少し勉強したほうがいいみたいですね、よく知りもしないで質問してしまってすみません( TДT) 回答、ありがとうございました!

お礼日時:2005/07/13 21:53

 "Polchinskiのビリヤード"というキーワードで検索するといろいろ出てくるかもしれません。

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この回答へのお礼

「Polchinskiのビリヤード」で検索をかけてみました!タイムパラドクスについてのサイトですね。色々探していた中でもわかりやすいです(・∀・)参考にさせていただきます。教えてくださって本当にありがとうございます!!

お礼日時:2005/07/13 21:56

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