プロが教えるわが家の防犯対策術!

親や学校の先生、周囲からこんなことする人は相手にしてはいけない。
この掲示板の中でもそういった意見が散見されます。

それを守れば人として磨かれ魅力的にはなって行きます。
しかしそれは同時にモラルのない人や人として魅了のない人を見下すことに
つながってしまいます。

見下された側は当然怒ってきますし、
見下すこと自体よくないことだと思います。

仕方のないことなのでしょうか?

A 回答 (6件)

それは見下す(差別)ではなく、区別だと思います。



見下すというのは、高い位置から低い位置(と自分から見て思える)の人間を馬鹿にすることですよね。
区別というのは、同一線上で見て、善悪などの判断をして、線を引くということです。

その点を間違いないように考えてはどうでしょう。
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この回答へのお礼

なるほど!!

善悪の区別の観点でものを考えればいいのですね!
ありがとうございます。

お礼日時:2005/07/17 17:08

こんにちは。



人間関係のカテでも問題ありませんが、アンケートにしたほうが面白かったかもしれませんね。

>見下された側は当然怒ってきますし、
 見下すこと自体よくないことだと思います。
一種の相対論になってしまっていますね。
見下すという行為は善し悪しを問えば、善いものとはいえないでしょう。でも、悪いことばかりかと問えばそうでもない。受け手になってしまったときには、それをばねにして大きくなれる原因にもなれる筈です。

要するにとらえ方ではないでしょうか?

わるいものからは、どうして悪いのかを知ることで自分の財産になります。
よいものからは、悪いものから得たもの以上に大きな財産を得ることが出来ることは言うまでもないでしょう。

受け手の側からはこうした見方がありますが、ご自身のことを考える際には、自分以外からは全て得ることが出来る何かがある筈だ、と考えることが出来れば、見下す・見下されないのレベルからは脱出することが出来ると思います。

常に現状に甘んじることのない向上心を持つことで、こうした相対論を議論したり気にしたりするレベルから一段も二段も上の生き方が出来ると考えております。

失礼致しました。


念のために・・・申し上げたことは、個人の考え方としておきます。これが正しいと主張するものではありませんことを付記しておきます。
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この回答へのお礼

>受け手になってしまったときには、それをばねにして大きくなれる原因にもなれる筈です。

他の人にそれを押し付けることなく自分はそうありたいですね。

お礼日時:2005/07/17 17:16

周囲からこんなことする人は相手にしてはいけない。



>これはある意味大人の処世術です。

問題がある人には近づかない方がいい。トラブルには巻き込まれない方が得だということです。

見下すのではなく、見て見ぬ振りをしろということです。

誰だって問題には巻き込まれたくないですから。


学校では、みんなと仲良くするように、と教えられるかもしれませんが、実際の社会では、「臭いものにはフタ」「見て見ぬふり」がまかり通っているのが現状です。

正義感ばかり振りかざしていると、命さえ狙われる社会ですから。

関わらないようにする、は人を見下すのではなく、自己保身をしろ、という大人からのメッセージです。

この回答への補足

>見下すのではなく、見て見ぬ振りをしろということです。

そうですよね。

補足日時:2005/07/17 17:17
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汚れを含んだ雨水を玉にして落とす蓮とブッダ。


朱に交われば赤くなるのが人間です。

つまり、魂の強さによって影響の大小が決まります。
>親や学校の先生、周囲からこんなことする人は相手にしてはいけない。(悲しむべき時代です)

私たちの時代には聞いた覚えが有りません。学校では先生が暴力を使っても正して導き、家庭でも母が父に言いつけるの一言で、行動が制限されていた為に(違う考えなど)影響を受けて学ぶ事を大切に教えられました。

成績が80番で180番の人は見下せますが、向上心はなくなります。1番の人だったら憧れはその人を高めます。

1番が善悪の場合が有ります。善悪を判断できる心を育てる必要が有ります。そして悪を正してなおも続けるときには、離れる事で見下す心は自分をレベルの低い人に育てます。
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見下すという意味ではなく、自分が重要だと考えているもの(仕事、学業、人間関係、家族、収入、財産、名誉、主義、現在の幸福、将来の目標、気分、余暇、趣味など)を妨げるような人とあまり深く接すると、自分が犠牲になってしまいますよという意味だと思います。

どっちが上とか下とかではなく、個人の行動や考え方がぶつかってしまうところに問題があるのです。

また、心の中で誰かを見下してもかまいませんが、トラブルを防ぎたいなら、見下しているということが相手にわかるような行動を避けるのがいいでしょう。上手に避けたり上手にかわしたり、おだてるなどの演技もまじえて、その「見下している相手」も含めてそれなりにハッピーな方向に事を運んでいくのが人間関係の技術でしょう。

それが道徳的にどうかといってもあまり意味はありません。なぜなら、我々はすべての人を救うことはできませんから。
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この回答へのお礼

>また、心の中で誰かを見下してもかまいませんが、トラブルを防ぎたいなら、見下しているということが相手にわかるような行動を避けるのがいいでしょう。上手に避けたり上手にかわしたり、おだてるなどの演技もまじえて、その「見下している相手」も含めてそれなりにハッピーな方向に事を運んでいくのが人間関係の技術でしょう。

大切な処世術ですね。正論だけでは世の中わたっていけないというか・・・。

お礼日時:2005/07/17 17:31

  こんにちは。



 人を見下すことは仕方ないことではなく、思慮分別ある人であれば人を見下さないで、自分の腰が低くなるはずです。

 ちょっとばかし有名な大学を出たとか、有能な国家資格を取得したとか、会社役職が上だとかで人前で虚勢や見栄を張るような人は結構居るものものです。

 そこまでに至るのには当然努力したからの結果ですが、それで人前で人を見下すような態度では、人間的には未完成な大人になりきれていない者です。

 かつての偉人たちは偉くなるほど腰が低く、自らを犠牲にしても人のために役立ちたいという人がほとんどです。

 また、ある大企業が自分の会社の人間でなければ人でないと豪語した会社の幹部いましたが、その企業は大きな不正をして、社会的信用度は地に落ち、関連会社は整理され、親会社は存亡の危機に陥っている会社があります。

 人を見下すことをするとしたら、人間形成の勉強不足です。偉人の伝記を読むことを含めて、もっと社会勉強した方が良いと思います。
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この回答へのお礼

>人を見下すことをするとしたら、人間形成の勉強不足です。

実際の社会は自分を含めてなんと人間形成の勉強不足の多いことか・・・。
そういうところにもまれているからしかなく・・・。
なのかもしれませんね。

お礼日時:2005/07/17 17:29

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