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阿波蜂須賀家の洲本城代・稲田氏は陪臣ながら公家の娘を妻に迎えた事があったようですが、他の陪臣でも公家の娘と結婚した例がありましたら教えて下さい。

A 回答 (3件)

ほんとに山のようにありますので、ホンの一例だけ



阿野権大納言公縄女 有馬中務大輔 家老有馬監物室

竹屋光長女  越前松平兵部大輔 家中本多左兵衛室

藤谷為賢女  尾張家      家臣中村又蔵勝親室




江戸時代になると、大大名の妻には摂家、清華家の娘がなることがでてきます。そのためその下の家老クラスには中・下流公家の娘が妻になることが多いようです。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
そういった例は山の様にあるのですね。公家と陪臣の結婚を幕府は容認していたのですね。
家格は平堂上クラスが多かったのでしょうか。
流石に幕臣(旗本・御家人)は公家のおひいさんとは結婚出来なかったのでしょうか…

お礼日時:2005/07/20 16:48

御家人の例は見つかりませんでしたが旗本ならばあります




平松時庸女 三枝能登守守真室
平松時方女 三枝右衛門守尹室

たぶん他にもあるのでしょうが取り急ぎはこれくらいで
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
旗本でも例があるのですね。
とても参考になりました。

お礼日時:2005/07/21 15:04

真田昌幸の妻山手殿は、菊亭晴季の娘ですね。


これは西園寺家の分家です。
また結婚当時は武田信玄が存命で
真田は陪臣にあたります。

ほかにもたくさん例があると思いますが
公家の娘を娶る例は多いでしょう。
というのは、戦国前後は
公家には収入がほとんどなかったので
嫁ぎ先からの仕送りが必要でしたから。
また武家としても格があがる良縁なので好まれました。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
戦国期には例が多いのですね。
江戸時代にはどうだったのでしょうか…

お礼日時:2005/07/20 15:56

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