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ここ5-10年ほどの間、考えることを知らない大学院学生が急増し、多くの高等教育機関や企業で困っている現状を知っていますか。彼らは、覚える事や本に書いてあること、先生の言ったこと、親の言ったことのとおりに行動することが大事と信じているため(と育てられたため?)、自分から考えることを要求されると、どうしていいのか分からないのです。でも与えられたものはしっかりできるのです。このような人材を、考えることのできる創造的な人材に変えるにはどうしたらよいのか、20代の人はどのように考えますか?大学院はこのような人材を育成するところではありますが、事実上機能できなくなりつつあります。このままでは日本は沈没必至です。ちなみに今の文部科学省や教育機関関係の中からは、100%良い案を出す力はありません。若い人の潜在的力を信じるのみです。

A 回答 (16件中1~10件)

日本の大学院生です。

でも40歳です。
うちの院は半数が、とにかく学位を取って帰国して就職したいという留学生、ストレート10名、社会人10名ぐらいでしょうか。
ストレートの院生の方達を見ていると、「自分から考えること」は、これまで小中高大とあまりする機会がなかったので、院で指導教授に突き放されて右往左往しているような気がします。
大学院に入ったらすぐに「はい、自分で考えてご覧」と言われても無理かなと思いますので、それに至るまでの様々な要因を解決しなければと思われますがいかがでしょうか。特に大学受験のための教育が、時間、機会を奪っているような気がします。

修士は他国でしかも夜間でしたので平均年齢55歳程度でした。リタイア後に勉強したくてという人が少なくなかったですが、就職難でキャリアアップのためという場合も多く、とにかくさっさと学位を取りたいと思う人がいるのはどこの国も同じでしょうか。

本末転倒な回答になるかもしれませんが、一度、沈没し、ハングリーな気持ち、感謝する気持ち、を経験した世代が生まれることでしか、再生は難しいのではないでしょうか。お腹がすいたことがないこどもに、お腹がすいたときのために、今のうちに頑張れというのは難しいと思います。
また、沈没せず浮上して、日本が豊になったとしても、それがまた物質的な豊かさのみで終わるよりは、経済力が弱くても、精神的な幸せ度の高い国でいたいと思います(個人的に)
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アメリカ在住です。

以前大学院の指導をしておりました。個人的な意見です。
残念なことに大学院のレヴェル低下はおっしゃるとおりに「当たり」だと思います。原因はいろいろあると思います。

1.理系軽視が進んだ(とくに官僚の文系重視)
2.大学院のレヴェル低下が進んだ(ポスドク1万人計画など水増し)
3.日本人全体のレヴェル低下(目標の欠如)

今後はさらに、
4.医学部の研究レヴェル低下(研修制度改革で大学に残る新人の減少)
5.4大全入時代による二極化(その後、さらに極端にレヴェルの低い大学院生もでてくる)
があると思います。見通し暗いですね。

対策
1.優秀な人にはさらにアメリカかヨーロッパで優秀になってもらう(この傾向はすでに始まっています。問題点:そのままアメリカに残留する可能性も高い)
2.優秀な人間ほど博士課程に行きたいようにする(現状では修士でいい人材も抜ける。博士課程に進むと逆に就職が悪くなる傾向を改善する)。
3.早くから自分で独立できるようにする(30代でも優秀なら教授になれる、自分のラボが持てるようにする)。

結局、人間困らないと働かないと思うのです。実際に自分のラボ持って、アイディア出して試行錯誤して頑張ってみるのが一番ではないでしょうか。そのときに自分の甘さが分かると思います。早く大人にしてあげるしかないですね(笑)。

ご参考になりましたら幸いです。
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僕だったら、一列に直立不動にきょうつけさせて、大声「お前ら、自分達が何のためにここにいる(している)のか解ってんのか?」と叫びます。

ここのポイントは大声で叫ぶことと何のためを強調することです。叫んで気を引き締めないと駄目です。

そして、一人一人答えさせます。答えられなかったら、遊ぶに来ているのか?暇潰しに来ているのか?と悪態をつきます。

「良いか?会社は言われたことしかやらない人間やしない人間はフリーターとしてしか雇われないぞ、大卒や院卒は、求められている結果を出すことだぞ、その求められている結果をどうやって出すか?それらを考えられない、できない、考えて行動しない人間はいらないんだぞ、プロジェクトXを1度でも見ろ!」
と言います。プロジェクトXは実際に見せても良いかもしれません。

「就職するにしても、何かを作るにしても、それを達成するためにはどうしたらいいか?考えて行動しろ」
と言います。

そして、何か課題を与えます。課題の内容は、程よい難しさで、目的や結果を出すために考える課題ですね。

いろいろとあるかもしれませんが、工作物なんかで1回作らして見て、駄目なところ指摘したり、制作時のかかる費用や制作時間が短くなるよう要求して再度作らせたりすることなんかはどうでしょうか?できあがったら、どんなところを改良・改善・工夫をしたのか説明させてみます。

最近の社会は、出来合いの物を買うことが多いですし、楽しめればOKというだけで、限界ギリギリの良さを追求しようはしません。そういうことを考えなければいけない課題を1度でもやらさせれば、その必要さが解ると思います。

以上、参考になれば幸いです。
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私は、自問自答が一番大切だと思います。


疑問を持つ、それが考える第一歩だと思うのです。
本に書いてある事が果たして正しいのか?
なぜそのように言えるのか?
疑いだすとキリがないんですけど、
やっぱり疑問を持つということが大切なんですよね。
権威とかそういったものに惑わされず、
ちゃんと自分で確認して納得する。

私も自分で考える人間になりたいと思っています。
目指すは、カッコイイ大人!
教養のある深みのある人間になりたい。
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 私の立場から言わせていただければ、大学院がそういう人材しか採らないようにしているからだと思います。


 実際ほとんどの教育機関が基礎学力とかいって用のない知識を試す試験を行っているため、用のない知識を覚えなければなりません。鬼のように無駄な知識を覚えさせられる上に創造性とかいわれてもやらされる側にとっては無理ではないでしょうか。
 大学でも「あれをやれこれをやれ」ばかりで自分の研究などとてもできたものではないのではないでしょうか。もちろん、学生側も「学校では教えてくれないから」といって勉強しないのも問題ですが、、、
 
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私はこう思います


現代人は読み書き計算の徹底反復は得意だが、国語力は全くない。
小学校以来、自分で言葉を理解し、言葉を考える訓練をしてこなかった現代人は何処かの首相のように「感動した!」と、感情語ですべてを処理しようとしている。

ではどうすればいいか?
今の現代人に足りないのは国語力(言語力)これが無い限り思考力は生まれない。
だから日本語の使い方を、子供のころから正しく訓練することが必要である。これをするかしないで、その子供の生涯は変わる。
具体的な方法は色々と考案されているが、代表的な物が「論理エンジン」だと私は思う。
決して推奨するものではないが、こんな物もあるんだとでも思ってください。

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru_reply.php3?q=1 …
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私は「考えて行動できる人間」をがんばって目指します!!

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今の社会を生き抜くには、サラリーマンも学術論文を読んでその知見を仕事に生かすことが求められるようになってきています。

学部では、専門外の論文を読むことまで対応できないので(たとえば機械工学部の学生が労働法の論文を読むとか)大学院はそれなりに意味があるのではないでしょうか。私も院生時代、研究の必要上、専攻以外の領域の論文もよみました。
分野にもよりますが、たとえば、社会現象について仮設を構築するには、自然人類学、社会学、心理学、工学など諸学を踏まえる必要があるので、そんなことを一般の院生に要求すべきではないと思います。
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元々、本来、自分で考えられる大学院生の数は、ある程度限られていたと思います。

20年前(私が修士を出た時)は、国立で、理学部の化学の博士課程を持つところは、旧帝大、東工大、広島大、筑波大だけで、あとの国立大学は、博士課程を持っていませんでした。現在は、ほとんどの国立大学が持ち、定員も増加しています。あるレベルの人(自分で考えられる人)の数が、定員と比例して増えることは考えられませんので、全体としては、考えられる人の比率は減少します。

さらに、昔は、修士課程で定員割れしても、基準点で落としていた(私の母校)のですが、現在は、定員充足のため合格させるところも多いようです。実際私の研究室(いわゆるFランク大学です)から、旧帝大の大学院にも進学していますし、一応、卒研で鍛えてはいますが、彼らが大学院に行くことに対して危惧を覚えるのは事実です。

しかも、院生が増えれば、1人の教員当たりの指導院生も増加しますから、間違いなくレベルは低下していきます。個々に見れば鍛える努力をしていますが、全体のレベル低下を防ぐには、定員削減しかありません。

なお、大学院生が教員の手足か否かについては、いかにその院生が考えれるかにかかってきます。本人が考えることができなければ、手足になるしかなく、本人が考えれればおのずと新しいことが発見できると思います。

私自身(ちょっと古いですが)、他大学から修士課程に入り、前の4年生がやっていたテーマを引き継いだのですが、新しい発見をし、先日あった教授の退官記念講演で、驚いた研究例として紹介されました。頑張れば手足といわず、教授の出したテーマが自分のテーマにもなっていくものと思います(もちろん全くオリジナルなテーマが出せればもっと良いですが)。

いずれにしても、院生自体が、いかに考えれるかがポイントになると思います。
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私の大学の院生達は、目を見張るほど聡明な人たちばかりでした。


>覚える事や本に書いてあること、先生の言ったこと、親の言ったことのとおりに行動することが大事と信じているため(と育てられたため?)、自分から考えることを要求されると、どうしていいのか分からない
こんな人いませんでしたが…大学のランクにもよるのではないでしょうか?

あと院試って、大学入試に比べて簡単ですよね。
そのせいで「院に行く=モラトリアム期間の延長」程度の価値になってしまうのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

こういうところがまだあることを聞くだけでもうれしいです。ちなみに理系ですか、文系ですか。私の見てきたところは、問題は理系です。私立大学はほとんど全て、国立でも東大京大を除けばほとんどは悲惨な状況だと思います。でも文系の大学院、学部でもそんな状況のところは少ないかもしれません。文系では、やる気のない人も平気ですごせるけれど、理系はそうはいかないからですかね。また、大学のランクで決まると考えたくはないです。

お礼日時:2005/07/26 18:29

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