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私の知ってるある人は、こう言いました。
「自分にとって、仕事はプライベート(=家庭・遊び)を充実させて楽しむためだけの、金を得る手段にしか過ぎない」と・・・

確かに、仕事よりもプライベートを重視するというのも、ひとつの考え方ではあると思いますが、うまく言えないですが、この言葉には、何か違和感を感じる様な気がします。気のせいでしょうか??

このはっきりと割り切った考えについて、皆さんの意見が何でもいいですから聞けたらなと思います。

ちなみにこの人は、仕事は普通にこなし、休日のゴルフの誘いなどの(職場の仲間との)遊びにも特に断ることもなくだいたい参加して、週末の飲み会なども2次会までとはいかないですが、1次会は参加して、普段まわりの人に何か迷惑をかけてる訳でもなく、団体行動の和を乱してるという人でもありません。

A 回答 (12件中1~10件)

私はこの割り切った考え方を支持します。


仕事に喜びを見出し働く事も必要だと思いますが、やはり仕事はお金を得る為の手段ではないでしょうか。それは家族の為なのかもしれないし、プライベートの充実なのかも知れません。
いくら仕事に精を出しても、定年やその他の事情で辞めることもあるので、その辞めた後に自分に何が残せるかが問題のような気がします。
家族を顧みることもなく仕事に専念し、お金のみで家族と繋がっていれば、金の切れ目が縁の切れ目じゃないですけど、切れてしまいそうに思えます。
会社の枠を出て一緒に過ごせる友人は仕事ではなくプライベートですよね。
最後に残る家族や自分自身の為に働くと私は考えています。
でもまぁ仕事とプライベートは両輪で片方が大きくなりすぎても小さくなりすぎてもはみ出してしまうんですよね。
仕事が楽しくなければいくら割り切ってもつらいし、楽しくなければいい仕事はしづらい。プライベートが充実しないでいい仕事はできない。楽しく稼げればそれに越したことはない。
といった感じの意見です。ズレていたらごめんなさい。
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 こんにちは



 私の知っている人も同じことを言っていました。
そう思っていたら、どんないやな仕事もできるらしいですよ・・・。
 
 でも、私自身は甘いと思われるかもしれないけど、仕事はお金を得ることだけがすべてではないと思っています。

 『仕事がお金を得るための手段だ』という人に私はこういう質問をします。

 『もし働かなくていいくらいお金持ちだったら働かない?』

 私はもし、すごくお金持ちで働かなくてよかったとしても自分はきっと仕事をすると思うのです。

 それが、会社経営なのか、好きなことを地道にやっていくのか、会社づとめなのかわからないけど・・・。
 学校や、地域である社会参加だけでなく、なんとか生産的なことで社会に参加したいから働くということを選ぶのではないかなと自己分析しています。

 ずーーーっと買い物や旅行や学校やカルチャーセンターじゃあつまらないかなと思って。(これはあくまでも私の場合です)

 その方に質問してみてはどうでしょう?

 私が聞いた人は、やっぱりほとんどの人が最初は『働かない』と答え『じゃあ何をする?』と言ったら
『好きなことをする』と答えるけど、どんどん突き詰めていったら『やっぱり働くかも』っていう人も結構います。

 これは『もしも』話がすきな私が勝手に考えたことなのであまり参考にはならないと思いますが・・・。

 いかがなものでしょうか?(*^-^*)
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割り切った考え方、いいんじゃないでしょうか?


それを他人に押し付けるとしたら問題ですが、そのようなことがなければ、それはその人自身の考え方なので、誰にもとやかく言えることではないでしょう。

もしかしたらこの方は今現在ご自分の「仕事」自体に遣りがい、生きがいを感じられていないのかもしれません。それでも別に他人に迷惑かけるわけでなく、協調を乱すわけでなく淡々とお仕事をこなされているんですよね。
ある意味、とても立派だと思いますよ。
それにその言い放ったひとことですべてその人の人生における根本の仕事観を外側から推し量れるわけではありません(その時の状況がわかりませんが、お酒の席だったらなおさらです)

私は「あり」もいてもいいし、「きりぎりす」もいてもいいと思います。
「きりぎりす」の享受しようとする様々な「娯楽」があってこそ、ありの働く場があり、経済がうまく回っているのではないでしょうか?
今、テロで旅行を手控える人が続出し、関連会社が苦境に追い込まれているというニュースを聞くたびに心が痛みます。

人生の局面がいろいろ変わっていけば(突然のリストラとか)その人の考え方も替わらざるを得ないわけだし、変わったからといって私たちが「変節漢」と責めることは出来ないでしょう。
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良いか悪いかで言えば、それはそれで良いのではないでしょうか。


たぶん基本的人権だとは、思いますよ。
人それぞれですが、それは、最低水準の満足度だと思います。
それで、どこまで自分として納得できる、つまり生きがい、満足感、生きている実感になるかです。
会社にいる時間は、結構長いですね。起きている時間帯の半分程度ではないですか。
これを全く喜びのない時間として過すのは、やり切れませんね。
やはり仕事にも積極的に参画して苦労も喜びも皆と分け合った方が充実できるのではないでしょうか。
とはいえ、仕事一筋、仕事で頭が一杯というのも困りものです。このような人が、上に上がっていくと冷静な社会常識での判断ができなくなり、背任行為や不祥事隠し、その他大きな判断ミスをしたりすると思います。
その方の仕事は、家庭やプライベートを大切にするには、適している。拘束時間も収入も適切だ、と言うことでしょうか。
でも、その方の場合も、それは、言葉だけで、思うように行かなかったときの自分に対しての言い訳もしくは、競争社会でしたら戦略的発言だと思います。
まあ、割り切ると言うこと自体、自然でない努力が必要でしょうから。
やはり仕事、家庭、趣味、勉強をバランスよくこなすセンスと努力が必要ではないでしょうか。
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>何か違和感を感じる様な気がします


私は、違和感を通り越して、悲しみを感じます。この方の人生とは何の意味を持っているのかと。

「アリとキリギリス」のお話は皆さんよくご存知だと思います。
知ってはいるが、自分の生き方に当てはめて考える方が少ないのは、残念なことです。

「仕事は金のためにする」この考え方は、人類の歴史において比較的新しい考え方だと思います。
すなわち、世界が経済優先になってからのことでしょう。
経済優先の世の中になって、地球上の環境はどうなったでしょうか。
産業革命以降の、地球環境の悪化に果たした人間の行為は、経済優先主義、ひいては、金銭主義のせいだと思っています。

私は、「仕事」の起源は「百姓」を考えることから始まると思います。
「百姓」とは、百の名前を現します。この場合の名前とは、技術と置き換えられるでしょう。
専業化、分業化が進んでいなかった昔、人々は生きるために自分自身で何でもこなしていました。
一人一人が生きるのに精一杯で、他に手がまわらない状態といってよいでしょう。
そのうちに、ある特定の技術に秀でる人が現れると、その方にお願いしたほうが効率が良いことに気がつきます。
先ずはこれで「仕事」の発生です。
しかし、肉体がすべてのエネルギー源であった頃は(家畜も含めて)、仕事として請け負える範囲は限られていたので、
百姓とまでは行かなくても、人は、自分や地域を守るために技術を磨き、働く必要がありました。

そこへ、エネルギー革命が訪れます。
仕事の規模が飛躍的に大きくなり、個人の持つ力が軽視されるようになりました。
それに伴って、個人の責任感も希薄になっていきます。
今世間で言われている『余暇』とは、一言で言えば、地球エネルギーの消費に支えられている。
取り戻すことができない「化石エネルギー」「ウラン鉱物」の消滅によって支えられているのです。
お金を使うことは、すなわち、このエネルギーを消費することになります。

人は本来遊んでいる暇などなかったのです。
生きるためには、自分の持っているエネルギーを惜しみなく発揮しなければならないようにできていると思います。
少なくとも、人間以外の生物は、そのようにして生存し、子孫を残しています。

「アリとキリギリス」のお話は、このように重要な意味を含んでいるのだと思っています。
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半分はその考えで良いと思いますが・・


なんか、いやな仕事に一日の8時間を使っていることに我慢しているって感じでおかしいと思います。

仕事の種類は無数に有るのだから、金を得る手段かもしれないが出来るなら楽しく金を得る方が良いと思います。
工夫次第では仕事も楽しい場面を作れますよ。たとえば、無料で旅行(出張?)出来る・綺麗な女性に毎日会える・友達が沢山出来るなどです。
私は無料で海外旅行をさせてもらいました。ついでに海外に友人も作ってきました。
海外のガールフレンドと話したいので英会話を勉強はじめました。

いやなこともありますが、楽しい事もあります。
人生一度しかないから、楽しく生きたいですね。
それには自分で楽しくするしかないです。
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友達の受け売りだけど。


英語だと、仕事を意味する単語は
ふたつある。ワークと、ジョブ。
ジョブは、金銭を稼ぐという意味合いの仕事。
ワークは、ライフワークというように、
生きがいのような意味合いの仕事。
ham-hamさんの知人にとって、
家庭人としての自分が、ワークで、
仕事はジョブってことじゃないのかなあ。
おいらには、家庭と仕事のバランスが
上手にとれてる人のように思えるけど。
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まあ、人それぞれですから、いいんじゃないですか、と思います。



ただ、この方が例えば宝くじをあてて、大金を手にして、もう働かなくてもやっていけることになったとして、果たして仕事をせずに毎日を遊ぶでしょうか。
私は、やはり何か人とつながりを持つための活動をしたくなると思いますが。

仕事って、確かにお金の面はありますけど、同僚との交流とか、競争とか、トラブルとか、苦しかったり面白かったりがあって、やはりいろんなやりがいを感じられるものだと思うのです。

この方は、自分で「金」って言っていながら、それでも無意識に同僚との交流を生きがいのひとつにしているのではないでしょうか。
「金」って言っているのは、ただ口先だけのことのように思えますが・・・。
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私は今の職場は毎日楽しく、喜びも感じているのですが、でも私の中の一番は仕事ではありません。



どうして仕事をやっているのかという理由は「仕事するのが楽しく没頭出来、時間の経過が早く感じ充実している」というのもありますが、「プライベートと自分の小さな夢の為」というのがもう1つの理由です。

好きな事をするには労働しなければ自由には出来無い、そう考えるからです。
私は自分の願う小さな自由の為に働いているというのがもう1つの理由です。

仕事をすると言う理由は人それぞれだけど、その方が喜びや、楽しみがプライベートにあって、そういう言い回しになったのかもしれないと感じました。

また、人の感じ方や考えは変わっていくものかと思います。ずっと昔からそうだったとも分かりませんし、この先変わることもあるかもしれません。
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「サラリーマン」あるいは、「雇われ人」にとっての仕事とは、そういうものかもしれません。

むしろ雇われながら、その中で昇格して他人を使う立場になっても、「金を得る手段」以上のものだと思うこと(自己暗示をかけること)は難しいものだと思います。

しかし、ごくまれに「自分はこの仕事をするためにこの世にやってきたのではないか」と感じてしまうことがあります。あるいは、自分で商売したり(起業したり)、職人さん的な技能職の仕事を着実に続けていると、やはり「自分の生きていく価値はこの仕事なのだ」と考えるようになります。

キーワード「プロ」または「プロフェッショナル」で、過去の質問を捜してみてください。

ちなみに私は、割り切り型もプロ指向も、どちらもその本人が決めることだと思いますし、双方認め合うことが理想です。
さらに、最近の「ヒッキー」や「フリーター」もそれで充実するならOKです。
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