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光の速度はどんな速度で運動する人から見ても同じになるそう
ですが、わたしはこの現象は光の速度が運動する人の速度に合
わせて変化するために常に同じ速度に見えると解釈しています。
この解釈のしかたは相対性理論に反しているのだそうです。
わたしは相対性理論に反しているとは思えないのですが、本当
に相対性理論に反しているのでしょうか。たしかに、相対性理
論について書かれた本には、光の速度が同じなのは時間や空間
が変化するためと書かれていたりしますが、これは光の速度が
変化するためと説明しても同じことだと思います。この考え方
は間違っているのでしょうか。

A 回答 (29件中11~20件)

#8の回答をしたものです。


taro813さんが意図するところを勘違いしていました。
taro813さんが仰りたいことは、我々が存在する宇宙の物理法則に縛られない超越した存在のものから観測すれば光の速さが可変であってそれに合わせて時空間も変化している。というようなことだと理解しました。(違ってたらすみません)
そういうことであれば仰るとおりかもしれません。
しかし我々には観測のしようがありませんし、物理法則とは宇宙のさまざまな現象を我々が理解できる手法で記述するものであり、我々が認知し得ないところまで思考をめぐらすのはある意味ではナンセンスではないか、と思います。的確な例ではないかもしれませんが、宇宙はビッグバンから始まったといわれていますが、そのビッグバンの前にはどういう状態だったのかを考えているようなものだと思います。

ここのサイトは議論する場ではないのでこの辺で退去させていただきます。失礼しました。
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回答になっていませんが,私の意見を少し.


私が,学生の頃
『地球の動きと,太陽の動きは,相対的なものだから,地動説で天体の動きを説明できる物理学も確立できるはずだ』
と考えた事がありました.
でも諦めました.めんどくさいから.
天動説で考えるのが最も理解しやすいから.
学生の頃の考えは,もともと間違った前提だったかもしれませんが,
誰もが理解しやすい,物理法則が良いなと思います.
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とりあえずいわれるままに理論をつくってみましょう。


いくつか曖昧なところを補っています。

まず、「真実の速さ」なる量を大文字でVやWと表記します。観測される速さはvやwと小文字にします(現実に見えるものはこちらです)。

それから、いくらか曖昧なものをtaro813さんの意図すると思われるように解釈しています。

基本的な方針は相対論と矛盾しないように作ることです。

まず、「真実の速度」はV+Wの簡単な足し算を持たなければなりません。
そのために、ある基準の加速を考えてDV加速するとし、n回その操作を繰り返したとき、「真実の速さ」はnDVと定義します。

ですが、速度はある比較する対象があってはじめて意味があるように、加速度は速度変化ですから加速度も「何と比較した加速度なのか」をいわないと意味がありません。

そこで「真実の速度」に対する加速の定義をtaro813さんの意図する(と思われる)ように定義してみます。

まず、ある静止系Sを基準にして、ある物体Aの速度がSに対して0のとき(Sの原点とAは普通の意味で速度差をもたない)を「真実の速度」Vの基準点とします。このとき、ある基準操作Pを考え、それによってAは普通の意味の速度0から普通の意味の速度DVになったとします。この時、「真実の速度」Vも0+DVでDVとします。
(接頭辞'D'微分量という気持を込めてです)。

さて、ある程度加速し、ある「速さ」(V、v)で移動しているとします((V、v)は「真実の速度」と、慣性系Sからみた「普通の意味の」速度を併記しています。おそらくいささか冗長な表現ですが)。このとき、基準操作Pを、”Aが静止しているときと同じように”作用させる、と決めます。つまり、「速さ」(V、v)で移動しているとき、その速さと同じ速さで動く慣性系S’を考え、その慣性系S’ではAは静止しているので、S’がSと等価になるように基準操作PをAに対して作用させます。これで操作Pの静止していなときに対する意味が明らかになります。おそらく、この定義がtaro813さんの意図しているイメージと合致するものだろうと思います。

さて、この操作Pで「普通の意味の」速さ(慣性系SからみたAの「普通の意味の」速さ)vは、どのように変化するか、ですが、相対論と無矛盾にするために、相対論の結果を援用して、
Dv = (1-v^2/c^2)DV
でなければいけません。微分の式にして、
dv = (1-v^2/c^2)dV

ですので、積分して(いささか端折って)
V/c=1/2*log((1+v/c)/(1-v/c)) ..........(1)
という関係式を満たさなければいけなくなります。

また逆に、「真実の速度」で普通の意味の速度を表現すると、
v/c = (exp(2V/c)-1)/(exp(2V/c)+1)
となります。

確認してみればわかりますが、「真実の速度」
V/c=1/2*log((1+v/c)/(1-v/c))

W/c=1/2*log((1+w/c)/(1-w/c))
について、
U=V+W
とすれば、

u=(v+w)/(1+vw/c^2)
を自然に満たし相対論と矛盾しません。


このように、V+Wとう法則を満たすように「真実の速度」を考えることは可能です。
(1)式が「真実の速度」と観測される速度の変換式です。



------------------------------------------------------------------
ただ、この「真実の速度」は直接観測できず、普通の意味の速度とは別物ですし、観測できる速度を通してからしか分からないです。ですから、単に「速度の指標」という以上の意味はまだ持っていないです。
さらに、もともとは「普通に速度の足し算をするように」V+Wを考えるはずが、VとWはなにやら分からないものになってしまっています。

たとえば、上の「真実の速度」をU/c=(V/c)*(W/c)となると定義しても同様に相対性理論と矛盾しない理論が作れます。それでなくても、ある程度の性質さえもてばどのようなものでもできるでしょう。

ですから、速度の「足し算」の法則をどう取るか、は任意で、それに応じて「真実の速度」の定義が変わるだけです。しかし、常に観測される速度に焼き直す必要があります。
「足し算」の法則をどうとるか、ということはどんなものでもいいわけですから、やはり不自然なパラメータが必要なものよりかは、観測される量だけで簡単に書けるのならば、そのほうが分かりやすくていいでしょう。

感じとしては、速度以外のもので「足し算」の法則を見つけたのに、その法則が速度にも当てはまると(人間が勝手に)思い込んで、V+Wとしていたわけです。しかし、そもそもはそうでなく、たまたま人間が知りうる限りでは間違いに気ずかなかったわけです。しかし、速度の法則がそうでないと分かっているのなら、もう速度の足し算がV+Wであるということを根本に持ってくる理由が見当たらないので、v+wを基本的に成り立つものと思うのはかえって不自然だ、というわけです。

たとえば、地球は平らだと思っていました。実際、回りをみわたしてみれば、どう見ても平らで丸いとは思わないですよね。しかし、これは地球がとても大きいからで、別に地球が丸いということと回りを見渡すと平らに見える、ということは矛盾しません。しかし、回りだけ見て平らだからといって、日本とアメリカの距離ぐらいいっても「本当は」平らと考えて、ある「特別な」修正の効果を考えて正しい位置関係を求める、というやり方は、もちろん間違っていませんが、やはり不自然ですし、「平ら」に固執する理由がないと思いませんか。
それと同じように、V+Wというのがある一部をみた時の「平ら」なときで、(v+w)/(1+vw/c^2)というのはもっと大きい「丸い」時です。地球の例の「平ら」と「丸い」が矛盾していないように、v+wという法則は(v+w)/(1+vw/c^2)という法則と矛盾しておらず、その一部分です。
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私の光の球の広がりを例にした回答に対する、ご質問者の補足:



> ロケットの速度を次のように定義し直させてください。このロケットの
> 0.5c はロケットに乗っているひとが徐々に加速していき経験した速度の
> 変化の合計であるということにします。
> この場合、わたしの考えではロケットに乗っている人が観測する光の速度
> は0.5cだけ速くなっていることになります。

から、疑問の構造が少し分かったような気がします。私のなりの流儀で整理してみます。

観測者が光速を測る装置と共にロケットに乗っている。ロケットには、ある光源からの光が常に到達している。光源とロケット間の相対速度は始めゼロであり、両者間の万有引力その他の力の原因は無視できるとする。さて、ロケットは燃料を噴射して、光源から遠ざかる方向に加速度運動を始めた。加速度計の記録を適宜計算して、光源に対するロケットの速さが0.5cに達したと判断された時点で、燃料噴射は打ち切られ、以後ロケットは等速運動を続けた。
観測者の認識:
1.自分の乗るロケットは、確かに加速し、その結果、光源に対する速さがゼロから0.5cまで上昇した。
2.光速計は、加速を始める前も、加速が終わった後も、同じ1cを示している(途中は別、、)。
3.1と2より、今見ている光は、加速前の光よりも0.5c速い光であり、だからこそ0.5c速くなったロケット中を 1cで動くのだと解釈される。

こんな考え方ではないでしょうか。同じ観測者が異なる慣性系に移る過程では、加速度を受けるために、運動の相対性が破れ、一種の絶対速度が認識され得るのではないかというのがポイントですね。これ自体にはきちんとした答えが存在するはずですが、私には完全なお答えができません(是非どなたか引きついで下さい)。
しかし、3の解釈に関しては、少なくとも次のことが言えると思います。

3で出てくる速い光というのは、実測される光の運動には対応しない概念です。一方、「速度」という用語には、あるものの位置の時間微分という明確な定義があります。通常の科学で光速を問題にするときは、この"あるもの"は、電磁波の等位相点(あるいは波面)です(このイメージのため光の球のモデルを使いました)。これと異なる「光速」の定義を使うのであれば、まずそれをきちんと示してからでないと議論になりません。ご質問者の場合の「光速’」の定義は、通常の光速度から光源の速度を引いたもの(符号付きで考えていることに注意)と察せられます。そうであれば、「光速’」は、加(減)速する度に、変わるのは当然で、議論の必要はなかったのです。
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>> c + V - V = c


>> v + V - V = v
>わたしの考えを広げていくと確かにこのようになると思います。

ここまで言えているのでしたら、この時点でtaro813さんの解釈は
相対論と矛盾していると言ってしまってもいいと思うのですが・・・


taro813さんの理論の中ですでに矛盾が生じています。

>ここで例にあげられている素粒子(速度vで運動する物質)が
>光と違っていろいろな速度で観測される物質であるならば、
>速度Vで運動する人からもいろいろな速度で観測されるという
>性質は変わらないと思います。

これと矛盾している例を一つあげます


 >> c + V - V = c
 >> v + V - V = v
 >わたしの考えを広げていくと確かにこのようになると思います。

これは通常の粒子も taro813 さんがいうところの
速度が不変という結果になっています。


それから
>v1やv2の速度で動く人の例についてですが、これは、v0 で動く
>人が存在してその人に対してv1の速度で動く人(v0+v1)、
>v2の速度で動く人(v0+v2)を仮定した場合にも、同様のことが
>言えますので相対的でないとは言えないと思います。
これについては

私がNo.13の回答で
>それから、もっと根本的なところでは
>v1 という速度で動く人にとっては c+v1 、v2 という速度で動く人にとっては c+v2
>というように光速度が変化すると仰ってますが、
>この v1 や v2 という速度は誰が見たものでしょうか。
>この人は絶対空間にいることになります。
こう言ったように
何人出してきても特別な空間(絶対空間)から抜け出せていません。
v0を出しても結局 v0、v1、v2 の3つを外から観測している人がいます。


(数式なしで言葉の意味でわかる根本的な部分について)
taro813さんが仰る
光の速度は観測している人と同じ速度分だけ変化するので観測している人にとっては常に一定になる。
という解釈については =光速度不変の原理= の上に成り立つアインシュタインの相対論とは
光の速度が変化すると言った瞬間に矛盾が生じます。

=光速度不変の原理= は、「光速度は変わらない」と言っているわけです
観測者によって光の速度が変化して最終的な観測結果が一定であると言う意味ではありません。
「光速度は変わらない」という定義です。

ですから、
>この解釈のしかたは相対性理論に反しているのだそうです。
という、この質問に対してはtaro813さんの解釈では相対論に反しているとしか言いようが無いのです。
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特殊相対論の主張するところを簡単な例で示してみましょう。



まず、光が当たると瞬時に爆発する装置を用意します。大部分の光は
貫通しそのまま直進するとします。この装置を2個距離を置いて並べ、
両方を貫通するように細い光を当てると、爆発が2度起こります。
2つの装置の距離をL(m)、2つの爆発の時間間隔をストップウォッチで
計り、T(s)とします。こうすると光の速度はL/Tで求めることが
できます。これをcと置きます。

さて、この実験を走る列車のなかから眺めている人がいます。
列車は2つの装置が結ぶ直線に沿って、一定の速度v(m/s)で走って
いるとしましょう。2つの装置の距離を、走った電車の中から物差しを
あてて計ります。ひとりでは無理なので、物差しに沿って大勢の仲間を
配置して、ある決まった時刻に装置のそばにいた人が目盛を読みます。
このように計った距離をL’とします。また、2つの爆発の時間間隔
を列車の中からストップウォッチで計ります。爆発の閃光の到達時間が
違うのが気になるならば、物差しと同じように、爆発の時、そばにいた
2人の時計の時刻差を使います。これをT’とします。

特殊相対論によれば、以下のようなことになります。
L ≠ L’
T ≠ T’
L/T = c = L’/T’

上では簡単に≠(等しくない)と書きましたが、本当は「ローレンツ変換」
によって厳密に計算できます(L'/T'=c は計算すれば分かります)。
L'=(L-vT))/√(1-(v/c)^2)
T'=(T-(v/c^2)L)/√(1-(v/c)^2)

以上のようにして、地上の観測者と列車の中の観測者が、同じ光の速度を
同じであると観測するのが特殊相対論の主張ですが、これは光の性質など
には関係無く、「時空の性質」によるものであると言っているのが分かる
でしょうか。なぜかというと、上記の2回の爆発を、光を使わずに時限
装置を用い、時間間隔Tとして行っても全く同じ関係式が導かれるから
です。「観測できない光」などというものを持ちこむ必要もなければ、
余地もありません。

このように、光の速度が観測者によらない原因を「時空の性質」だけで
説明する特殊相対論と、光の性質にも原因を置こうとする taro813 さん
の主張は異なっているわけです。

最後に、特殊相対論とは、観測者が変わると「時空がなんとなく変化する」
というような曖昧なものではなく、観測者それぞれの時空はローレンツ
変換に従う関係を持つ、という厳密なものであることを強調しておきます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

あなたに示していただいた例と今までの回答から、わたしの疑問の
原因がわかりかけてきました。

まず、ここでも示されている通り、異なる速度で運動する人から
観測される光の速度が同じであるという現象が存在する。

次に、この現象は時間や空間が変化するため起こると仮定し、時間や
空間の変化を説明するある変換式を設定する。

そして、この変換式のパラメータに時間や空間の変化が光の速度の変化
を打ち消す(光の速度が変化しない)ような値を設定する。

このようにして、特殊相対性理論が成立していると理解しました。

つまり光の速度を絶対的なものに設定し「時空の性質」だけで説明
できるようにする。

わたしの疑問はパラメータがそのような値に設定してあるということ
を理解していなかったことと、観測される事実を素直に受け入れた場合
には、光の速度は変化していると考えるのが妥当であるということから
発生していました。

しかし、パラメータの設定がこのような都合のよい値になっていること
に対しては、疑問を抱いてしまいます。

つまり、このパラメータの設定を受け入れれば、観測されれる現象に反
し光の速度は変化ず。受け入れなければ、このパラメータの設定の上に
成立している理論に反した考えになるということだと考えるにいたりま
した。

ただ、以下のような説明は許されてもいいように思います。

光の速度は計測する人の速度に追随して変化する(ように観測される)
が、相対論によればその変化を打ち消すように時空が変化している。

お礼日時:2001/10/25 01:44

理論が正しいかどうかは、物理現象を正しく予言できるかどうかで、その説明のしかたがどんなに突拍子もなくても、煩雑でも、その理論が正しく現象を予言できれば、それは正しい理論です。

ですので具体的な記述がなければ正しいか正しくないかは机上の空論です。

ですので、具体的なものがよくわからないtaro813さんの解釈が正しいかどうかは、判断が非常にむつかしいのでしょう。

もしなにかうまい説明があるんじゃないの?ぐらいなら、あってよさそうだとも思います。しかし、単純に速度の足し算をv+wとするなら、あまりうまくいかなそうです。

具体的な話として、逆向きに光速で進むaとbを考えたとき、相対論では「aからbをみるとその速さは光速に見える」と予言します。しかし、そのときに光速×2を考えることは意味があるでしょうか?
まず、この「速さ」に直接対応させる物理的なものがありません(だからといってすぐに無意味というわけではないです)。というのは、すくなくともこの「速さ」は「aからbをみた速さ」ではないわけですし(相対論と矛盾しない理論を考えているわけですから)、現実の世界では対応するものはありません。それなら理論上で思考の手助けとして導入された量ということになります。ですので、この量をどういうふうに使うのか、物理量の何と対応するのか、がハッキリしなければ、このような「速さ」を考えても意味がありません。同じように、v+wという速さの足し算を考えても、相対性理論そうなるとは予言しません。ですので、もし相対性理論と矛盾のない理論なら、v+wは観測される速度ではないので、理論上の手助けの量ということになりますが、taro813さんの考えではこの量が現実の世界とどう関わりがあるかがハッキリしないです。

この回答への補足

わたしの問題にしていることは、どのような速度で移動する人から見ても光の
速度は同じという現象(仮定)から、どんなことが考えられるかということで
すので、机上の空論と言われれば、そうなのかもしれません。

>単純に速度の足し算をv+wとするなら、あまりうまくいかなそうです。

ここでですが、v+w の意味するところを考えてみました。
速度vで運動している人が速度w分だけ加速した場合、運動している人にとって
は v+w は真実だが、その様子を見ていた人にとっては v+w は真実ではない
どちらの立場に立つかにによって解釈がことなるのではないでしょうか。

補足日時:2001/10/23 23:21
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taro813 さん、その節はどうも。

queschan です。
やはり taro813 さんの変換は相対論とは矛盾していると思います。

光速度不変の原理はその言葉どおり「原理」です。
したがって、相対論の式では光速度不変を導くことは出来ないのです。
数式を使って光速度不変を導くことがすでに相対論とは矛盾しています。
光速度不変という結果を合わせるだけなら様々な変換が考えられます。
taro813 さんの理論では他の部分に論理的でないところがあるように感じられます。

例えば、
 右向きに進む光(速さc)
 右向きに進む粒子(速さv)
の2つがあるとします。
これらの2つを左向きに進む観測者(速さV)の人が観測するとします。

皆さんが書かれているように、ローレンツ変換から導かれる速度の合成則を使うと
 (c + V)/(1 + cV/c^2) = (c + V)/(1 + V/c) = c
 (v + V)/(1 + vV/c^2) → v + V          (矢印は非相対論近似)
と光速度はc、遅い速度の粒子は私達の馴染みの式になります。
しかし、taro813 さんの変換を用いると
  c + V - V = c    (第3項は速さVで左向きに進む人から速度cに見えるための補正ですよね。)
  v + V - V = v
となり、普通の粒子もどの観測者から見ても速度は同じということになってしまいます。
変換が普通の粒子には適用できないのであれば、その変換には意味はありません。
この結果、時速 50km で走る車に乗って、前方から来る時速 50km の車を見ると
時速 100km ではなく時速 50km に見えることになり日常とずれてしまいます。
この例では納得できないでしょうか?

それから、もっと根本的なところでは
v1 という速度で動く人にとっては c+v1 、v2 という速度で動く人にとっては c+v2
というように光速度が変化すると仰ってますが、
この v1 や v2 という速度は誰が見たものでしょうか。
この人は絶対空間にいることになります。
しかし、相対論では名前のとおりすべての慣性系は相対的になっています。
特別な空間があってはいけないということです。
taro813 さんの理論自体を否定する気はありませんが、
相対論と矛盾しないという部分はどうしても否定的な意見になります。

>(*ローレンツ変換をわたしは理解していません)
少し専門的な話になるかもしれませんが、
特殊相対論は電磁気学と古典力学を統一しようとする流れから生まれてきました。
もともとの論文名は相対論ではなく「運動する物体の電気力学」です。
ローレンツ変換は電磁気学のマクスウェル方程式を不変にする変換です。
ですから、ローレンツ変換などの話を理解していなければ、
taro813 さんの変換が相対論と矛盾しているかどうかはわからないはずです。
今の変換ではマクスウェル方程式の式の形は観測者によって変わってしまいます。

相対論を理解している人であればどうしても否定的な回答になってしまうと思います。
逆に肯定的な回答をする人がいればその人の相対論の理解は疑わしいと思います。
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この回答へのお礼

あのときは2人だけの言い合いなってしまったので気まずい思いをしましたが
適切なアドバイスをありがとうございました。

> c + V - V = c
> v + V - V = v

わたしの考えを広げていくと確かにこのようになると思います。
ですから、その前段階になる考え方(光の速度は変化する)
が正しいか疑問に感じて質問しているのです。

この計算で得られた結果は速度0から速度Vに徐々に加速して行っ
た人が経験した速度の変化の合計をVとする場合、その速度の
変化を経験した人にとっては正しいというのが私の考えです。

大きな速度の変化がある場合、その変化を静止して観測している
人にとってどのように見えるかについては、時間や空間の変化
の度合いがどの程度になるかわかりませんので単純な計算では
求められません。

ここで例にあげられている素粒子(速度vで運動する物質)が
光と違っていろいろな速度で観測される物質であるならば、
速度Vで運動する人からもいろいろな速度で観測されるという
性質は変わらないと思います。

v1やv2の速度で動く人の例についてですが、これは、v0 で動く
人が存在してその人に対してv1の速度で動く人(v0+v1)、
v2の速度で動く人(v0+v2)を仮定した場合にも、同様のことが
言えますので相対的でないとは言えないと思います。

お礼日時:2001/10/23 08:17

別の考え方をします。



まったく何も無い宇宙空間を考えて、そこに2隻の宇宙船があるとします。
これは思考実験なので「まったく何も無い宇宙空間など存在しない」
とは考えないでください。

ここで、2隻の宇宙船が「相対的に等速度運動」をしていると、どちらが動いて
いるかわかりません。taro813さんも本を読まれたようですが、
「相対性原理」というものです。どちらが動いているのかわからない以上、
どちらにも同じ物理法則が成り立たないとおかしいです。

さて、ここでマクスウェル方程式というのが出てくるのですが、
数式かけないので乱暴に言ってしまうと「光速Cを含む式」です。

「光速度Cを含む式」の意味するところは、光速Cが変わると、
その値が変わる=物理法則が変わることを意味します。

しかし、相対性原理によって、慣性系で物理法則が変わってはいけません。
どっちの宇宙船が動いているのかわからないのに、
物理法則がちがっては、その原因の説明がつかないからです。

よって、光速は慣性系では不変なのです。

#ローレンツ変換を理解してからもう一度考えても遅くないと思います。

この回答への補足

物理法則が不変も光速が不変とおなじように考えられると
思います。

つまり、観測される光の速度は同じ。しかし、速度に合わせて変化する。
物理法則についても、観測される物理法則は同じ。しかし、光速に合わ
せて変化する。

ということであれば矛盾しないと考えることもできると思います。

補足日時:2001/10/23 00:58
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専門外ですが、少しコメントさせて下さい。



> 変化するというの速度が遅くなったり速くなったりするという意味です日常使っ> ている感覚と同じ意味です。
から察しまして、ビジュアルなイメージに結びつく思考実験で考えれば納得しやすいのではないかと思います。

十分離れた所(例えば太陽系外側の程ない位置)に、ある時刻から強力な光を放ち始める地球に対して静止した点光源を置きます。点光源の周囲には、一面に、光を受けると反射して輝く塵を浮遊させておきます。この塵の輝きは地上から見え、適当な範囲を望遠鏡で覗けば、輝きが球状に広がっていく様子を(じっくり)観測することができます。正に光の速さを目で見ているわけです。さてここで、点光源の比較的近傍で、その光源から0.5cの速さで真直ぐ遠ざかるロケットがあるとします。ロケットは自ら光を発しながら飛んでいるので、その位置も地球から追うことができます。地上から見た、光の球の広がりとロケットの動きはビデオに撮影されます。

ここで、ビデオ画面には、発光を始めた光源から光の球が1cの速さで広がっていき、0.5cで遠ざかるロケットを追いかけて、ロケットが静止していたと仮定した場合に比べ倍の時間をかけて、ロケットに追いつく様子が記録されます。つまり、地上の人が見る限り、ロケットに対する光の相対速度の大きさは0.5cで、これは動かしがたい事実です。

しかし、ロケットに乗る人は、光の球殻が1cで自分に近づき、追い越して行くことを観測します。これを地上の人は、ロケット内での時間の進み方が自分たちよりも遅いからだと、解釈するわけです。

さてこの話で、「光の速度が変わった」という認識に結びつく要素があるか否かです。どの観測主観に対しても光速はcですから、「速度が変わった」と判断する測定結果は出てきません。もし、補足で述べられている「別の速度で運動しているひとが観測するであろう観測できない光の速度」が、ある観測者から見た相対速度の大きさのことであれば、それはゼロと2cの間で変わります。ただし、これは"運動する人が観測するであろう"量では全くなく、運動していない人によって定義・観測される量です。

ある観測者にとって、光源から広がり行く球殻の様子はただ一つに認識されます。この厳然たる事実を前に、動く物体に合わせて変わるという認識を持つことは、全く無理なことです。

この回答への補足

この説明を理解するのにはほねがおれました。

わたしの解釈では0.5cの速度で遠ざかるロケットと地球上の人
が同じ光源からロケットに向けて発せられた光をどう観測するか
ということだと理解しました。

このように大きい速度差がある場合は、時間と空間の変化を考慮
しなければならなくなるので、ロケットに乗っている人が経験し
た速度の変化とその様子を地球からみていた人が認識する速度の
変化が異なってしまうので、ロケットの速度を次のように定義
し直させてください。このロケットの 0.5c はロケットに乗って
いるひとが徐々に加速していき経験した速度の変化の合計である
ということにします。

この場合、わたしの考えではロケットに乗っている人が観測する
光の速度は0.5cだけ速くなっていることになります。

この例でわたしに言えるのこれだけです。
(速度の変化によって時間や空間がどの程度変化するのかはわか
りません。)

あなたは、ロケットに乗っている人と地上の人が同じ光源から発
せられ、同じ経過を辿る光(時間の経過は異なるが)を観測でき
るということを前提にしているようですが、わたしは、この2人
が観測する光はまったく異質のものだと考えます。

ロケットは加速する度に時間と空間の変化を何度となく経験して
いるので、このロケットにとっての光は加速する前の光とは全く
異質のものになっていると思います。

補足日時:2001/10/22 23:49
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