アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

 原爆が投下されて今年で60年目となります。戦争を知らない世代も多くなっていますが、日本国内では毎年この時期になると戦争の特集とかして、特に原爆に対して日本国内にはアレルギーといってもいいかもしれないほど拒絶する人も多いと思います。
 私自身は核爆弾に対して使用することも持つことも反対なんですが、ここでふと疑問が生まれました。日本国以外の国では核爆弾に対してどのような認識をしているのでしょうか。本当に原爆の悲惨さを理解できているのでしょうか、唯一の被爆国の日本はどれくらい原爆の事を伝えられているのでしょうか?海外で生活した人などの体験談などあれば教えたいただければと思います。よろしくお願いします。

A 回答 (9件)

No.4です。

つたない回答にお返事ありがとう御座いました。それに心善くしてまたしゃしゃり出てきました^^;、ごめんなさい。
私は長崎の原爆資料館も行っております。どちらも身に迫る物がありましたが、人目はばからず号泣したのは広島でした。

私の叔父が海軍でしたし、小さい頃に色々話を聞きました。それは、とても言いたくないと云った様子でしたが、叔父はまだ小学生の私にそれでも伝えようと話してくれたのだと思います。内容などここでは書けません。
任務としてしてきた事への英雄気分はこれっぽっちも叔父からは感じられませんでした。

私は、核兵器だけが憎むべき物ではないと思いますし、またあの頃の「お互い様」を今恨んでみても仕方がないと思っています。
日本は原爆落とされた、やられた、悲しい、苦しい、日本だけじゃないからです。例えば真珠湾攻撃。戦争が終わったか否かの微妙なタイミングでの出来事でした。ハワイ人は日本人を恨んでもおかしくない事でしょう。

ハワイで老人にいきなり文句を浴びせられた事がありました。あれは・・たぶん私が日本人だからその辺の恨みで言われたのだと思います。

韓国で未だ戦争時代日本がした事への恨みつらみを訴えてますよね。
私個人的にはあの時代には簡単に言うと「お互い様」「仕方の無いこと」だと思えるのです。ひどい目にあったのは日本だけじゃないし、日本も他国にひどい事をしました。あの時代にひどいもクソも無い、それが戦争だったと。私は戦争も原爆も核兵器もテロも否定しますが、大事なのは昔の恨みつらみを訴える事ではなくて、未来への可能性を想像を持って否定し、考えていく事だと思います。

私は邦画、洋画の戦争映画はほとんど観ましたし、アメリカ提供するドキュメント映像も漁る様に観ました。
大きな違いを感じたのは、アメリカは戦争をスポーツ的にカッコよく見せている事、日本はその一言では言えない無の感じ、悲惨さを訴えてるような気がします。

叔父は国から勲章を得ています。しかし、叔父がそれを誇りに思うような態度は微塵もありませんでした。生きて生還したとはいえ、どんなに哀しいむなしい毎日だったか叔父から感じ取れました。

また取り留めのない回答ですが、「伝えていく事」「その伝え方」が大事に思います。
ひろしまはぽつんと立った原爆ドーム、セピア色になりながら今も生きている直筆の手記が何より正確に入魂で伝えてくれてると思いました。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

たびたび回答ありがとうございます。そうですね、伝えていくことが戦争を回避するひとつの手段だと思います。しかし、私もそうですが戦争を知らない世代が多くなり、いずれ戦争を体験した世代はなくなるのですから、残された私たちがどのように伝えていくのか、いかに戦争の悲惨さ、むなしさを伝えるのかが大事になると思います。その中で広島、長崎の原爆資料館などは非常に有効になると思います。私たちに何が出来るかを考えるべきと思いました。

お礼日時:2005/08/10 18:58

欧州では核よりも化学兵器の方が、アレルギーが強いようですね。

第一次世界大戦で散々使われたからです。

日本における核アレルギーは、政治的な思惑から作られた面が強いので、実は内容の薄いものです。そもそもどのような戦争手段であれ悲惨なものでしょう。最近ではオグリッシを検索すれば分かりますが、核兵器でなくても、凄惨なものはいくらでもあります。キャリバー50で頭部を吹き飛ばされた人などの映像を見る限り、核兵器だけが特別とはいえません。爆弾テロの映像でも吹き飛ばされた手足が転がっている映像はいくらでもあります。

どのような兵器であれ、国防上の必要性から保有するのであり、悲惨ということだけで語るべきものではありません。
    • good
    • 0

[原爆の悲惨さを理解できているのでしょうか]



世界中で原爆や核事故(原子力発電)の怖さを知っているのは、専門家と一部宗教家と広島、長崎の人々およびウクライナのチェルノブイリの人々だけですね。日本人の多くも含めて本当の核の怖さを知らないのですね。だからどの国も核を持ちたがるのです。一般人は大きな爆弾程度の知識ですね。専門家は放射能は白血病、がんの元ぐらいの知識でしょう。この核の放射能は本当はもっともっと怖いものですね。大量に放射能を浴びて死ぬと霊体まで破壊されるのですね。この怖さを知っているのは広島、長崎、チェルノブイリで無くなった物言わぬ方たちですね。通常の兵器で戦って死んでもそんなことはないのですね。そういったことも知っておくべきですね。
    • good
    • 0

私は 40代半ばにして この春広島に行ってのんびり観光をしてきました。


でっ 私が 感じた原爆は、「アメリカのエゴ」だと思いました。 結局 実験台に 敗戦が濃厚な日本の広島・長崎が選ばれましたし、 それまで 空爆が有った主要都市から選ばれましたからね。

現在 戦敗国「日本」が戦勝国「アメリカ」が行った行為を一生懸命訴えても あまり効果が無いです。 ただ 少しずつ「アメリカ国民」も立ち上がって居るのは事実! ですから 世界中が もっと「広島・長崎」に興味を持って欲しいです。

最後に 世界には原爆投下を美的に考えている方が 沢山居る事も事実です! 
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。やはり日本の立場上、核兵器の廃絶などは訴えにくいですよね。特に、核兵器のメッカアメリカに対しては。でも、それでも日本だからこそ訴えるべきだったのかなとも思います。今となって過去を見るより、これからどうするか考えたいと思います。
核兵器を美的に考えたいる事は許せない、そんな人もいるのですね。

お礼日時:2005/08/09 19:27

「核爆弾の悲惨さ」については、非常に限定された情報だけが、政治的な影響下にある平和活動家によって流布されています。


広島や長崎の原爆の被害者の写真や証言がほとんどなのですが、その情報に接する人は、要するに「激しいやけど」ととらえていると思います。
当時とは比べものにならない破壊力の原子爆弾が大量にあり、それが使用されるという事態になったときは、まるで別の恐怖にさらされます。

それを表現したのが、「核の冬」というものでした。1980年代に科学者が計算によって提唱しました。
世界レベルの核戦争があると、そこでまいあがる砂塵が地球を多い、気象変動を起こし、地球は氷に覆われてしまうというものでした。
核シェルターで自分の命を守っても、外に出たら死の冬が待っているというものでした。
それが、結果的に米ソの核競争を終わらせたと思います。

「激しいやけど」ならば、核シェルターで防げます。
しかし「核の冬」核兵器を捨てない限り防げないのです。

何故日本の平和活動家が歴史的な核戦争のデーターだけしか利用しないのか?
それは、冷戦の一角を担ったソ連と仲が良かったからです。

今でも原爆関連のイベントは、共産党系と社民党系が分裂して行っています。分裂の原因はソ連の核兵器を批判するのか、批判しないのか?ということだったようです。

つまり、ソ連系平和団体と、北朝鮮系平和団体の仲間割れだったのです。

今年の平和宣言をちらりとニュースでききました。
北朝鮮の核武装を肯定する広島の社民党系の市長と、それを否定する長崎の市長が対照的でしたね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。現広島市長のことをいろいろ調べてみましたが(ネット上で)そういう疑惑?があるのは確かなようですね。核兵器の象徴的な都市の市長がこのような疑惑があるのはどうなんだろうって思いました。本当の所は十分わからないですが。
あと、やはり核兵器のことを十分理解できていない人が世界には多くいるのかもしれませんね。

お礼日時:2005/08/09 19:22

えと・・。

凄く稚拙な回答かもしれません。もちろん戦争を知らない子供たちの中に入る私です。
広島原爆館へ行きました。
実際の被爆された方の手記を見て涙がボロボロこぼれてそれをもう人目気にして拭こうとも思いませんでした。
原爆に関し、詳しい数値的なものも科学的にもわかりません。
しかし、あそこへ行って大きな知識は得ました。
どれほどひどくて何をも失くしそれがまたどれくらい続き未だ苦しむ方が居るのかも・・・。
あの手記、焼けた道具、溶けた鉄、原爆ドーム・・・だれがどんな熱弁を図るよりも、私の心にはどっしりと教えてくれました。
一番判り易かったんです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございました。私も広島ではありませんが、長崎で見に行きました。そこで私も非常に心に響き辛い気持ちになりました。こんなもの必要あるのか、核を使うことは絶対にさせてはならないと思いました。しかし、アメリカ政府では原爆を使用した事を肯定する発言をしています。これに関して私は使用した側なので肯定しざるを得ない状況と理解することは出来るのですが、本当にほかの国の一般市民はどのように思っているのか気になったのです。この、私の心に響いた気持ちを出来るだけ多くの人に理解してもらいたいと思いました。
暇を見て広島にも行きたいです。

お礼日時:2005/08/08 22:58

防衛力の一環であり、他国の脅威から守る兵器として持つのは当たり前という



考えを持っているある国の友人はいました。

それはそれで正しい考え方です。

核兵器も中性子爆弾も普通の爆弾も殺戮のための兵器であることには変りません。

原子爆弾だから特別という扱いはしていません。

たしかに核兵器はひどいものですが、私はふつうの爆弾だって地雷だって

ひどいものだと思っています。特別視はしません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。そうですね、殺戮兵器自体どれも同じで、特に無差別に使用するものに関してひどいものですね。原爆の悲惨さは規模が多いため強く見えるのかもしれませんね。殺戮兵器を使用する状況を作ることが本当に悪いと思いました。

お礼日時:2005/08/08 22:47

日本国民に原爆アレルギーをもつひとは多いかもしれませんが、国は被爆者に対しては無策といっていいほど冷たいものです。


日本政府が積極的に被爆をアピールしたということを聞いたことがありません。むしろ核兵器反対と叫べば特定イデオロギーと非国民呼ばわりされます。また核兵器反対などとビラをまけば逮捕されかねません。たとえピンクチラシは許されても。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。そんな国もあるのですね。核による平和について否定するつもりはありませんが、なんか日本だけがずれているのかな、間違っていると思いませんが。

お礼日時:2005/08/08 22:42

核兵器を持つ側の論理としては、「核兵器は通常兵器よりも経済的」ということです。



たとえば、広島の原爆はB29ただ1機で行けたわけですが、
同じダメージを通常爆弾だけで与えようとすると、
B29がたくさん必要になりますので、乗員の手配やら機体の整備やらで人件費も時間もかかります。

相手の悲惨さよりも、自分の利便性を優先する国が、核兵器を所有しているのだと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございました。政府の認識もそうなんですが、一般市民の認識についてもご存知でしたら教えていただきたいです。

お礼日時:2005/08/08 22:35

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!