原爆記念日について
広島や長崎の原爆記念日それから終戦記念日とはいったいなにを「記念」する日なのでしょうか?本来なら反米日とでも命名してアメリカに対して「何故、必要以上の攻撃や爆撃をしたのか?!!」と問う日にするべきではないでしょうか?
回答(9件)
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記念=後日の思い出として残しておくこと。
かたみ。
過ぎ去った物事などを思い起こすこと。だそうです
私なりには残酷すぎる悲劇を二度と繰り返さないようにするようみんなが平和について真剣に考えなければならない日だと思っています。
人の命は同じでしょう。罪を問えば、当然日本が戦時中にいろいろな国々の人にしてきたことをまた問われるでしょう。憎しみには終わりがありません。
No.7ベストアンサー20pt
なにを以て必要以上の攻撃か?ってのは難しいでしょ。
.308Win一発なら必要最低限なんてことも無い。
本土攻撃が無ければ、膠着線は国外に留まり
そこで長期の戦闘が続くことになったでしょうし
日本相手の戦争で、原爆投下の場所を
日本以外のどこにも選べないのも確かです。
広島よりも軍本部に近いところに落ちていれば
次の長崎は無かったのかも知れないとは思う。
ただ、それは利己的に過ぎる仮定にすぎない。
反米みたいなシンプルな誘導は、簡単だけど
同時に、攻撃的な性質を持つ思想なのも確か。
ルーズベルトを憎んで、アインシュタインを憎んで
ひろひとも憎んで、それを許して初めて
平和主義が成立するもんだと思っている。
既に、今の若い世代だと、被爆二世の一部くらいしか
実害のある体験が無いわけだから
この暑い最中にだけ語って、事足りるものでも無い。
(核爆)とか付けている人は
30年後になにが起きるかとかわかっていないし…
兵器は恐いものだけど
核兵器だけはむしろ悲しいものなんだよね。
攻撃的な米国映画がヒットを繰り返す中
重いテーマの日本映画は作られがたく
むしろ、戦争悲劇を描く媒体が
マンガやアニメにある現状を考えれば
そっちのほうにこそ期待したいとも思う。
被災者の悲しみを祈る日です。
祈念の日です。
当日は、左翼と右翼が日本中からやってきてお祭り騒ぎをしますが、地元の人は、眉をしかめてできるだけ無視します。
政治勢力の支配下にある平和活動家のマスターベーションは、反吐が出るおもいですから。
広島や長崎で悲劇に出会った人たちは、アメリカとか日本といったような、単純な社会現象としてとらえていません。
人類の歴史と向き合って、この悲劇を解釈しています。
「記念」という言葉自体について考えねばならないでしょう。頭から読めば「記し念ずる」で,「忘れないようにする」「忘れることのないように決意する」という意味です。現在では「記念」というと「創立記念」「達成記念」のように,めでたいことにのみ遣われる印象がありますが,本来の意味はそうではありません。
したがって「終戦記念日」は「戦争が終わったこと,転じて戦争の時代があったこと」を「忘れない」日だと考えられます。その戦争が誰のせいで起こったのか,あるいは多くの国民の命を奪ったのがどこの国か,といった価値判断を伴う内容は,「終戦記念日」という言葉には含まれていないと考えるべきでしょう。
「原爆記念日」も同様にとらえることができます。ただ,日本政府が公式に「原爆記念日」という表現をすることはあまりないように思いますが,いかがでしょうか。地方自治体レベルでも「原爆の日」「原爆忌」などとするケースのほうが多いような印象があるのですが。
私は長崎人です。
毎年8月9日は学校が登校日で、平和集会をしています。
平和集会は、被爆者の写真や体験話を聞きます。
確かに何を記念するのかと自分でも思います(^^;)
でも、きっとこの記念日がなかったら、戦争、原爆の怖さを少しも知らないままだったと思います。
毎年この日は、これから先戦争がどんなに酷いものなのかを学び伝えて、平和についてより深く考えることができる大切な日なんじゃないかなって思います。だから「記念日」なのかもしれません。
こんにちは。
確かに、「記念」という言葉がつくのは、違和感を覚えますね。「記念」というのは、大抵、良い事に使われますから。
>本来なら反米日とでも命名してアメリカに対して「何故、必要以上の攻撃や爆撃をしたのか?!!」と問う日にするべきではないでしょうか?
歴史に「もし」はないといいますが、原爆が終戦を早めたのは確かです。
沖縄の方はお気の毒に思いますが、原爆がなければ、米軍が本土上陸して、ソ連が北から攻めてきて、挟み撃ちにされ、もっと甚大な被害が出た事が想像されます。
私も不思議だなと思っていました(広島の人間なので余計に)。
たしか「はだしのゲン」にも似たようなセリフがあったと思います。「何が記念じゃ」みたいな。
記念という字は「心に記す」くらいの意味合いですよね。なのでよいことでなくても「記念」なのではないでしょうか。たまたま日本語で使われるときにはよいことが多いので,違和感があるのではないかなと。
ただ,ごまかすためもあると思いますよ。右も左も納得させるためには「記念日」がよかったのでしょう。「怨念日」や「祈念日」では色がついてしまいますし。
でも英語だと atomic bomb anniversary なんでしょうか。やっぱいやだな(^^;)
>>本来なら反米日とでも命名してアメリカに対して
>>「何故、必要以上の攻撃や爆撃をしたのか?!!」
>>と問う日にするべきではないでしょうか?
そうやっても良いけど、それじゃなにも前に進まんでしょ。
淡々と「原爆を落とされた日」、「戦争が終わった日」と
やる事によって、いろいろな考えが出てきて
結果的に前に進むんです。
この回答への補足
「前に進む」とはどういうことでしょうか?
過去の事をすべて忘れ去るといることでしょうか?
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