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邪馬台国畿内説では、「三角縁神獣鏡は魏より邪馬台国に対して特別に作られた鏡のために中国国内では発見されない」との考え方があったと思います。当時の魏において特別の鏡を作って邪馬台国以外に周辺の国に与えたような史実があるのでしょうか ?

A 回答 (5件)

私が聞いた(読んだ)ことのある唯一の例が、下の参考URLにある「モンゴルで特注品と思われる鏡が見つかっている」という意見です。

それがいつの時代の話なのか(筋からすれば魏だろうが)、どうして中国製と判断したのか、どれくらい見つかっているのか、などについては、申し訳ありませんが、私は全然知りません。

勿論、「モンゴルで特注品と考えられる鏡が見つかった」という事は、下の参考URLでも「そういう例がないわけではない」といっているように、「三角縁神獣鏡=魏鏡(特注品)」という仮説が、「他に例が無い」という理由では否定されない、という事にすぎません。ですから、「三角縁神獣鏡=魏鏡」仮説を積極的に支持するには、別の理由が必要ですよね。
いうまでもなく、「三角縁神獣鏡=例の銅鏡百枚」という仮説は、更に別の理由が必要でしょう。

白状すると、「特注品仮説」のように、新たな発見が無い限りは答えがでそうもない(だって、「特注品仮説」って、成立しない事を論証するのは、事実上不可能ですから)事を延々とやっているのに、ちょっと嫌気がさして、最近は真面目に「邪馬台国がらみ」の本とか読まなくなってしまいました。その程度の人間の書いている事なので、「自信なし」としました。

参考URL:http://www.netlaputa.ne.jp/~k-salt/bbs0001/bbs/5 …
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この回答へのお礼

ありがとうございました。教えていただいたURLを見ていたら何か疲れてしまいました。tiuhtiさんの気持ちに近くなってしまいそうです。

お礼日時:2001/11/09 19:31

こんばんは。


こう言う分野に、私も注目してます。
tiuhtiさんの仰る通り、
>「三角縁神獣鏡=例の銅鏡百枚」という仮説は、更に別の理由が必要でしょう
は、同感です。
>「三角縁神獣鏡=魏鏡(特注品)」という仮説が、「他に例が無い」という理由では否定されない
と言う事は、確かです。

だからと言って、突拍子な回答もできませんし。『教科書どおりの回答』では自信有りで、私的な意見としては自信なしです。

この邪馬台国がらみの話、「百人考古学者がいれば、百通りの説がある」、考古学の鬼門です。
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この回答へのお礼

そうですね。だからこそ興味は尽きないのですが・・・
何度も回答をいただき、ありがとうございました。

お礼日時:2002/05/20 23:41

ご返事有難うございます。



hableさんの申しています通り、官僚たちや、周囲の有力者を説得する理由が、魏の曹操の時代からありました。
それはやはり”不老長寿伝説”に関係があり、魏の曹操以来歴代の皇帝が、委国を不死伝説の島と思いこんでいた記述があります。その国の、巫女である、卑弥呼に何らかの羨望の意が有ったのかもしれません。

三国志魏志の中に、『滄海詩』と言う武帝の詩があります。直接、委国は指していませんが、偈石山から東海を望み、感慨を述べた詩が載っています。
その孫が明帝が、銅鏡を卑弥呼に与えるのですが、委国のみすぼらしい遣いに、”遥か遠い委国から・・・甚だ哀れ・・・”と、わざわざ言った事がのってます。
どうも、一連の「魏志」を読んで来ると、歴代皇帝が、委国に楽園伝説を抱いていたことが解ります。

ぜひお読みになるなら、「三国志」その中でも”魏志”の原文にチャレンジしてみては、いかがでしょか。
歴史家の偏見が挟まれていないものが、最も良いと思います。

参考になさって下さい。
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この回答へのお礼

「三国志」・・・いつかはチャレンジをしてみたいと思います。いろいろ教えていただきありがとうございました。

お礼日時:2001/11/06 18:48

三角縁神獣鏡は、畿内説に係わらず、邪馬台国が魏国朝貢にさいして贈られた鏡です。

日本国内からしか発見されていません。

当時の東アジアは、政情が非常に複雑でした。高句麗を抑止するために、楽浪郡を置いたのは有名ですよね。でも、朝鮮半島は、馬韓、辰韓、弁韓などの小国は、常に権勢しあっていたと言われています。
また、黒龍江付近の砂金の権力を背景にした、ツングースカ族の軍事的圧力もあったと言われています。
その方面から見れば、やはり邪馬台国のような後進国でも、軍事的パートナーとして、非常に重要でした。

そこで、特別扱いで、特に卑弥呼がシャーマンだったと言う事で、「鏡」が最もふさわしいと考えました。また、当時、青銅の需要を大陸に頼っていた事もあり、青銅鏡が与えられたのです。
魏から贈られた「三角縁神獣鏡」には、魏国文帝の黄初四年、明帝の景初二年のものと、その子、少帝の正始元年、正始五年のものが有ります。
実際には、日本国内で発掘された、魏国産と刻まれている鏡は230枚以上ありますが、上記の年号のものが本物で、その他の物は、邪馬台国周辺の小国家が、魏にあやかって作った、彷製鏡(模造鏡)でわないかと言われています。

なお、特別あつらえでしたが、景初二年に邪馬台国の難斗米が使者として、魏を朝貢しましたが、黄初四年はそれ以前のものですから、当時すでに有った、「三角縁神獣鏡」で間に合わず、追加発注の形で、足りない分は後から楽浪郡へ届けさせたといいます。当時、鏡100枚は、大国魏にしても相当の出費でしたので、生産もまにあず、あった三角縁神獣鏡を全て与えたのではないかと言うかたもいます。

ただ、『魏志』は、写本によって誤字、誤写が多いことで有名で、それが邪馬台国論議を複雑にしています。
また、発見される鏡が「大阪・黄金塚古墳」の三角縁神獣鏡のように、古墳時代になってから、古墳に埋葬者と共に発見されるので、支配階級の特権者が世襲的に保存継承していたとも言います。

ですが、最近は、これらの全ての三角縁神獣鏡が、全て国内で生産された説を有力視する動きもあります。

ごめんなさいね。厳しい質問のし方を要求しました。ですが、様々な見方をする方々がいますので、すこし絞り込んだ質問をお願いしました。

ですが、「三角縁神獣鏡」が今のところ日本でしか発見されていないのは事実です。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。魏の周辺諸国には邪馬台国以外にはそのような史実は見つかっていないと理解しました。
当時の魏がどのくらい官僚制度が確立されていたかわかりませんが、もしかなり確立されていたら前例の無い事をするのにはそれなりの抵抗があったのではないかと推測します。そのようなことを示唆する文献でもあれば又面白いのですが・・・

お礼日時:2001/11/02 19:45

>当時の魏において特別の鏡を作って邪馬台国以外に周辺の国に与えたような・・



とございますが、周辺の国とは、「魏の中国周辺の諸国」のことか、
「邪馬台国周辺の委国の中の諸小国」のことかな?
結構、デリケートな回答が必要ですので、補足願います。

この回答への補足

周辺の国は「魏の中国周辺の諸国」のことです。宜しくお願いいたします。

補足日時:2001/11/01 16:32
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