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 「挨拶」という言葉が前から気になっていました。まず第一に、漢字です。この語の中で以外は使われたのを見たことがありません。辞書で調べてみると、「挨」も「拶」も「押す」という意味のようです。
 それで、禅宗で、師が弟子の修行の進み具合を試すために問を発し、弟子が答える、この繰り返し、つまり禅問答をすることを「挨拶」と言っていた様です。この禅宗のいわばテクニカルタームが、一般の人たちの中に取り入れられて、社会生活や人間関係を円滑にするために行っているあのやりとりを表現する言葉として使われるようになったらしいことが分かりました。
 さて、私の教えていただきたいことは次のとおりです。こんな語が、幼稚園の子供でも知っている日常語として使われるようになったのが不思議でならないのです。この語が一般の人に使われるようになる以前は、あの行為をいったい何という言葉で表現していたのでしょうか。もしなかったのなら、「挨拶」がこのように広く普及したのは理解できます。もし何らかの言葉があったのなら、置き換わった理由として考えられることも、教えていただけると幸いです。
 よろしくお願いします。

A 回答 (2件)

100%推測で、自信はまるでないのですが・・・。



「挨拶」というのは身分の上下にかかわらず使える言葉ですよね?
でも昔は身分制社会でしたから、
(1)身分が上の者が下の者に会った場合
(2)その逆
(3)同じような身分の者に会った場合
と「挨拶」に相当する言葉は最低3種類あったのではないでしょうか?

たとえば(2)なら「謁見」「拝謁」がイコール「挨拶」になるとか・・・?

この回答への補足

「回答の形をとって、なぜコンな質問をしたのかを別稿で書きます」と書いたのですが、ここに書きます。
ありがとうございました。

「挨拶」と言う言葉が普及して、こどもでも使う言葉になったのは、明治時代に学校が出来てからではないかと、同僚から指摘されました。きっとそうなのでしょう。しかし、私の疑問(一体あの行為は何という言葉で表現されていたのか?)は謎のままです。やはり私の推測通り、ぴったりする言葉がそれ以前はなかったのではないか。だから、こんな難しい言葉が、すっと浸透していったのではないか。
実は、今、存在すると便利な言葉がその言語にないために、思いも掛けないような外国語が使われる例をいろいろ集めています。発端は、なぜフランス語、スペイン語、イタリア語、ポルトガル語、ルーマニア語などロマンス諸語で、英語の "east, west, south, north" が使われている(もちろん少しなまって)のかを考察したことでした。色々調べたり考えたりした結果、次の仮説を立てました。ラテン語以来、ロマンス語には東西南北を専用に表す語がなく、他の語を利用して表していた(「小熊座」で「北」を、「正午」で「南」を、等々)ためである。
それで、そうした例を日本語でも探してみようとしていたのでした。最初に見つけたのは、「洗濯」でした。この語は中国人でもほとんど知らない語のようです(なにか特殊な儀式に関する言葉のようです。)しかし、室町時代には普通の日常語として使われるようになっている。こんなとんでもない外国語が誰でも使う日常語として定着したのは、「衣類を洗う」という行為をぴったり表す語がそれまでなかったからではないか、というわけです。
そして、「挨拶」です。この禅宗の専門用語が今のように日常語として、定着したのも同じ理由ではないか。私の質問の背景はいじょうのとおりです。ご協力ありがとうございました。

補足日時:2001/11/05 09:26
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この回答へのお礼

ありがとうございました。しばらくコンピューターに触らなかったので、お礼が遅れました。
私も、身分制との関連を考えていました。だから、現在使っているような意味での「挨拶」という語を必要とする範囲も少なかったし、同じ身分同士であの行為が行われた場合でも、特にそれを表す語がなかったのかな、と考えていました。お答えをいただいて、さらにその思いを強くしました。
お礼代わりになぜこのような質問をしたのかを、別稿で回答の形をとった、「ありがとうございました」という回答をお読みください。

お礼日時:2001/11/05 09:13

 特になんとも言ってなかったと思いますよ。



 たとえば、「パソコンに詳しい人が初心者に教える」という行為は、最近よく見られるようになりました。
 でも、この行為自体を専門的に扱う単語ってないですよね。「パソコン指南」「パソコン指導」「パソコン教室」なんかも、どれもいまいちパッとしませんし。
 でも、逆になくても別に困ってないですよね。

 ですんで、「声をかける」とかそういう感じで言ってたんじゃないでしょうか。
 母親が子供に「挨拶しなさい」と言うところを、「道で人に会ったら一言声をかけなさい」と言っても何ら不自由はないっちゅー寸法です。

この回答への補足

お礼の欄で「回答の形をとって、なぜこんな質問をしたのかを別稿で書きます」と書いたのですが、ここに書きます。

ありがとうございました。

「挨拶」と言う言葉が普及して、こどもでも使う言葉になったのは、明治時代に学校が出来てからではないかと、同僚から指摘されました。きっとそうなのでしょう。しかし、私の疑問(一体あの行為は何という言葉で表現されていたのか?)は謎のままです。やはり私の推測通り、ぴったりする言葉がそれ以前はなかったのではないか。だから、こんな難しい言葉が、すっと浸透していったのではないか。
実は、今、存在すると便利な言葉がその言語にないために、思いも掛けないような外国語が使われる例をいろいろ集めています。発端は、なぜフランス語、スペイン語、イタリア語、ポルトガル語、ルーマニア語などロマンス諸語で、英語の "east, west, south, north" が使われている(もちろん少しなまって)のかを考察したことでした。色々調べたり考えたりした結果、次の仮説を立てました。ラテン語以来、ロマンス語には東西南北を専用に表す語がなく、他の語を利用して表していた(「小熊座」で「北」を、「正午」で「南」を、等々)ためである。
それで、そうした例を日本語でも探してみようとしていたのでした。最初に見つけたのは、「洗濯」でした。この語は中国人でもほとんど知らない語のようです(なにか特殊な儀式に関する言葉のようです。)しかし、室町時代には普通の日常語として使われるようになっている。こんなとんでもない外国語が誰でも使う日常語として定着したのは、「衣類を洗う」という行為をぴったり表す語がそれまでなかったからではないか、というわけです。
そして、「挨拶」です。この禅宗の専門用語が今のように日常語として、定着したのも同じ理由ではないか。私の質問の背景はいじょうのとおりです。ご協力ありがとうございました。

補足日時:2001/11/05 10:16
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この回答へのお礼

ありがとうございました。しばらくコンピューターに触らなかったので、お礼が遅れてしまいました。
私も,ぴったりした言葉はなかったのではないかと思っていました。お答えをいただいて、その意をさらに強くしました。
お礼代わりに、なぜこのような質問をしたのかを、別稿で、「ありがとうございました」のタイトルで、回答の形をとって、書きました。よろしければ、お読みください。

お礼日時:2001/11/05 09:18

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