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「我思う」のように、主語「我」の後ろに「が」や「は」が入らない日本語表現は、昔は、口語でも使用されていたのでしょうか、それとも、昔でも、文語でしか使用されなかったのでしょうか?

A 回答 (2件)

古事記の中に



『吾、イヅシヲトメを乞へども、・・・』
(私はイズシヲトメを(妻にと)望んだが、・・・)

『吾先づ問はえたれば、吾先づ名告り為む。』
(私が先に問われたので、私が先に名乗ろう。)

と読み下されるものと考えられている文があります。

我(あ・あれ)、吾(あ・あれ)は、たいてい「が」「の」「は」「を」等の助詞で受けられているのですが、この例のように一部で助詞が省略されています。

また、万葉集の中にも、「我」の後に助詞を省略しているものがいくつかあります。

例:紫の にほへる妹を 憎くあらば 人妻故に 我恋ひめやも (#21)

短歌だから口調を整えるために助詞を省いたのでしょうけれども、省いても構わないとする用語法があったことは分かります。

「我」に限定しなければ「秋立つ」「船出づ」等、助詞が入らない例は多数あるわけですし。

なお、これらは書かれた言葉ですから、これが口語とどの程度一致していたのかは別に考える必要があります。

万葉集の東歌(東国で採集されたと考えられている歌)にも「我思ふ」的な表現があります。

例:馬来田の 嶺ろの笹葉の 露霜の 濡れて我来なば 汝は恋ふばぞも (#3382)

この当時、東国での識字率はゼロに近いほど低かったであろうと考えられるので、東歌の言葉は書き言葉ではなく話し言葉に近いと考えてよいかと思います。ですのでこの当時、話し言葉にも「我思ふ」的な表現があったであろうと想像できます。
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この回答へのお礼

ていねいなご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/09/01 20:33

これは、フランスの哲学者、デカルトの言葉です。


訳す時に、漢詩、漢文の訓読方を用いたもの。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2005/09/01 20:32

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