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こんにちは。
一国家としてモンゴルが中国にならなかった
のはどういう理由からでしょうか。

A 回答 (5件)

モンゴル人は農業民族・商業民族としての中国人を嫌っていたのですが、モンゴル国内で経済的な影響を強めていく中国人に抵抗する力がありませんでした。



そこで清国政府の崩壊に乗じて、もう一つの隣国である強国ロシアの力を借り、中国の影響力からの独立に成功したのです。その頃ロシアも変革期で、ちょうどロシア革命が成功した時期だったので、モンゴルも世界で二番目の社会主義国家となりました。1921年のことです。

今で言う内蒙古も新国家に組み込もうという動きもあったのですが、間には広大なゴビ砂漠が広がり、なかなか統一した動きが取れなかったようです。最終的に内蒙古は中国に取り込まれ、現在でも中国の一自治区として存在しています。
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外モンゴルは赤化して独立したのです。


内モンゴルは満洲国だったので、その後中国になりました。
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モンゴルのうち、外モンゴルは、独立国ですが、内モンゴルは、中国に併合されています。


(内モンゴル自治区)
モンゴル人の人口は、内モンゴル(580万)の方が、外モンゴル(270万)圧倒的に多いのですが、内モンゴルでは、中国人の方が、より多いため、実質中国になってしまっています。

また、ロシア内にも、モンゴル人の自治共和国などがあります。
アガ・ブリヤート自治管区、ウスチオルダ・ブリヤート自治管区、カルムイキア共和国、トゥーバ共和国、ブリヤート共和国、ハカシア共和国などがあります。
これらロシア内のモンゴル人の人口は、約250万人になります。
(地理的に、カルムイキア人は、モンゴルと、同一国家を形成する事はできませんが。)

つまり、モンゴルは、中国、ロシア、独立のモンゴル共和国の三つに分割されています。

ロシア領のモンゴルは、旧ロシア帝国時代に併合された地域です。
外モンゴルは、清の時代に清の領土になっていましたが、ソ連の力を借り、中華民国より独立した地域です。
その時中国領に残ったのが、内モンゴル自治区です。
すでにその時には、モンゴル人よりも中国人の方が多くなっており、独立できなかったのだと思います。
(当時の人口割合の資料を見たわけではありませんので、想像です。)
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ご質問の趣旨は、「本来中国の支配下にあったモンゴルが独立できたのはなぜか」


ということでよろしいでしょうか?
確かに、清朝の支配地域の中で独立を果たしたのはモンゴルだけで、
モンゴル人もこのことを誇りにしています。
理由として考えられるのは、
・チンギスハーン以来の伝統で、
 自分たちは中国の一部ではなく独立した民族である、という意識が高かった
・騎馬-狩猟という生活様式から、即戦力としての人材が豊富だった
・清が過酷な圧迫政策をおこなって、モンゴル人の不満に火をつけた
などでしょうか。

独立への道のりは決して平坦なものではなかったようです。
参考サイトで年表を見ることができます。
1900年から1921年あたりまでが該当部分です。

参考URL:http://www.monpaku.com/learn/mongolia-study/mong …
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中国北部にもモンゴル民族が住んでいます。

 旧ソ連との力関係が有ったのではないですか。
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