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いまさら人に聞けないので、教えて下さい。

社会主義と共産主義の違いは?

よく労働組合の話で「共産党員」とか「共産系」とか耳にします。それとの関係も分かりません。

 また、日本共産党は日本を共産主義国にしたいのですか?だとすると、旧社会党はどうしたかったのですか?

 共産主義がかつてのソ連で、社会主義が中国、と聞いた事がありますが、合ってます?

 いろいろ聞いてすんません。教えて下さい。

A 回答 (4件)

> 社会主義と共産主義の違いは?



一言でいうと、
【1】社会主義は何種類もあるが、共産主義は一種類中心
ということです。
社会主義には、社会民主主義もあれば、穏健な改良主義もあり、「共産主義の前段階」と定義付けられた社会主義もあります。穏健な社会主義者は、「社会主義が高度に発達したのが共産主義。社会主義は共産主義の前段階」という定義には反発しています。また、社会民主主義者には、社会主義という名を嫌う傾向も見られます。
一方、
【2】共産主義は、(レーニン以降)マルクス=レーニン主義が中心
です。
レーニン(1870-1924)は、第一次大戦中のどさくさにロシアに帰国し、1917年十月革命を成功させてソ連を建国した人です。マルクス(1818-83)の理論に基いたとされていますが、マルクスは国家運営方法の細目までは書き残してないので、マルクス(、エンゲルス)とレーニンの思想を合わせて、マルクス=レーニン主義と呼びます。
ところが、話はどんどんややこしくなり、レーニンの後継のスターリン(1879-1953)が暴政を行ったため、世界の共産主義者には反スターリン主義を打ち出す者が多数出ました。各国の共産党といえども、少なからぬ党がソ連共産党と対立するようになりました。また各国で、自国の共産党を激しく批判する共産主義者が現れました。「新左翼」と呼ばれます。さらに、日本の新左翼は四分五裂し、内ゲバに明け暮れる仕儀に相成りました(「ゲバ」はドイツ語のゲバルトの略で、「力、暴力」の意)。
「君ら、みんな共産主義者なんだろう?」と呆れても、近親憎悪の凄まじさは手が付けられません。彼らは、マルクス=レーニン主義という点では大体共通なのですが、「共産主義は一種類中心」という言い方は、もはや皮肉になってしまいました。
なお、西欧の共産党はユーロ・コミュニズムの伝統があり、ソ連崩壊のはるか前から、ソ連型とは一線を画すことが多く、後には「共産党」の看板を下ろし、社会民主主義政党に変わった所もあります(西欧最大のイタリア共産党など)。日本共産党でさえ、1990年代初頭のソ連共産党解散の際には、これを大歓迎すると表明しました(日本共産党は外国の共産党をほとんどすべて批判しており、唯我独尊とも言われている。ソ連崩壊は、日本共産党よりも日本社会党に打撃を与えた)。

マルクス=レーニン主義は、奇妙なアマルガム(合金)です。
まず、マルクスの理論では、
【3】共産主義社会では国家が消滅する
ことになっています。
プロレタリアは全世界を獲得し、階級も国家もない世界になるというのです。従って、「共産主義国」という言い方は、それ自体が誤りです。マルクス主義に賛成・反対にかかわらず、使うのは避けた方が賢明でしょう。

> また、日本共産党は日本を共産主義国にしたいのですか?

【4】日本共産党の究極の目標は、「共産主義国」ではなく「共産主義社会」
のようです。
次に、マルクスの弱点は、「国家」についてあまり深く考えていないらしいことです。消滅するようなものについて考えても仕方がない、というわけです。ところが、共産主義社会はなかなか実現しそうにないので、前衛党(名前は共産党など)が国家の実権を握り、それを目指すことになります。
これはつまり、
【5】消滅するはずの国家が、当面は逆に「巨大な政府」となって自由を抑圧する
ことであり、矛盾をはらんでいます。

> だとすると、旧社会党はどうしたかったのですか?

旧日本社会党は、戦前の無産政党系が大同団結して、1945年に発足したものです。つまり、結党時から「寄せ集め」であり、それこそ冒頭で述べたように、社会民主主義もあれば、穏健な改良主義もあり、共産主義者までいました。そのため、同党の歴史は左派・右派対立に終始する様相を呈しました。左派の影響が強い文書「日本における社会主義への道」、通称「道」が綱領的文書とされたのですが、
要するに
【6】旧社会党はどうしたいのか、党内で一本化されていなかった
のです。

なぜ社会党に共産主義者がいたかというと、
【7】共産党は戦前の「講座派マルクス主義」の流れ、社会党左派は「労農派マルクス主義」の流れ
だったからです。
共産党は分派活動を許さない党なので、「マルクス主義者なら皆いらっしゃい」とは言いません。詳しい話は脇に置いて、大雑把にいうと次のようになります。
〔戦前〕
講座派・労農派の論争は、マルクス主義者内部にとどまらず、戦前の日本の社会科学において、最大級の論争でした。「講座派」は、明治維新を支配階級内部の権力移動と捉え、日本は未だ半封建的な絶対主義国家であり、来るべき革命は天皇制廃止のブルジョア民主主義革命で、そこから社会主義革命を目指すとしました(二段階革命論)。これに対し「労農派」は、明治維新を一種のブルジョア民主主義革命と捉え、日本はすでに近代資本主義国家であり、来るべき革命は社会主義革命であると唱えました(一段階革命論)。論争は盛んでしたが、共産党は当初から非合法とされ、早々と壊滅状態に追い込まれました。
〔戦時中〕
無産政党諸派も、ほとんど大政翼賛会に組み込まれてしまい、侵略戦争の片棒を担ぎました。共産党員の一部は虐殺され、残りは転向させられ、転向しなかった者は獄につながれました。
〔戦後〕
大政翼賛会は解散し、共産党員は釈放されました。国民は、大本営発表に騙されていたことを知りました。共産主義者は、拷問にも獄窓生活にも耐えて戦争反対を貫いたので、国民(の一部)の目には、後光が差して見えました。合法政党として再建された共産党は、労働運動や農村運動を主導しようとしました。しかし、非共産党の無産政党も負けてなくて、「共産党による労働運動引き回し」に反対し、主導権を取り返そうとしました。

> よく労働組合の話で「共産党員」とか「共産系」とか耳にします。
> それとの関係も分かりません。

これは、労働組合が戦後初期から共産党系と非共産党系に分割され、勢力争いをしたということです。その後、非共産党系である総評は社会党の支持母体となり、同盟は民社党の支持母体となりました。
以上のように、
【8】労組の系統は「社会主義と共産主義の違い」というより、主に運動・組織の流れの違い
と言えます。
なお、不思議なことに米国は戦時中から講座派の理論を研究していて、占領政策でブルジョア民主主義革命を目指した一面があるそうです。

> 共産主義がかつてのソ連で、社会主義が中国、と聞いた事がありますが、合ってます?

これは間違いでしょう。両国とも「共産主義社会」を究極の目標とし、社会主義を共産主義の前段階と位置付け、まず社会主義の実践を目指しています(いました)。当初は蜜月時代もありましたが、ソ連は中国を子分にしたがっているかのような態度を見せました。中国は、フルシチョフ(スターリン批判)以後のソ連を「修正主義」と批判し、両共産党は激しく対立して、国境で武力衝突にまで至りました。なお、1980年代末以降の目まぐるしい国際情勢の変化については、ここでは記述しません。

以上、だらだら長い回答で、No.3 さんの回答の方がコンパクトにまとまっていますが、お急ぎの場合は【1】~【8】だけでも頭の片隅に入れておかれると、いかがでしょうか……。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!!
大変丁寧で私みたいなアホでも解るように説明していただき感動しています!

ただ・・・No.3の方へのお礼にも書いたように、正直全部は理解できません・・・。

今後も興味をもってこういった事に触れる第一歩になりました。

ありがとうございます!!

お礼日時:2005/09/14 22:21

社会主義と共産主義は、長い歴史があり、多くの立場がありますが、19世紀にマルクスという人が現れ、『共産当宣言』や『資本論』という影響力の大きな本を書いたために、マルクス主義が主流になりました。

マルクス主義を信じる人たちは、自分たちの社会主義を〈科学的社会主義〉、自分たち以外の社会主義を〈空想社会主義〉と区別しています。

2の方が書いているように、マルクス主義は、国家も階級も無い、理想の共産主義社会を実現することを最終目標にしていますが、いきなり実現するのは無理なので、途中段階として、国家の力によって、社会と人間を改造する社会主義段階を通るとしています。

社会を改造しようとすると、強い抵抗が起きるので、ソ連を作ったレーニンは、共産主義社会へ向かう動きが、逆戻りしないように、労働者階級が独裁的な権力を持ち続けるべきだと主張しました。ロシア革命の後の選挙で負けると、レーニンは暴力で議会を停止し、独裁権力を確立しました。これを〈プロレタリア独裁〉と呼びます。

レーニンが実行した〈プロレタリア独裁〉は、民主主義の否定なので、論争が起こりました。〈プロレタリア独裁〉を受け入れない人たちは、社会民主主義者と呼ばれ、社会民主党ないし社会党に留まりました。〈プロレタリア独裁〉を必要と考えた人たちは、社会民主党を出て、共産党を結成しました。

世界的に言うと、社会党と共産党の違いは、〈プロレタリア独裁〉を受け入れるかどうかですが、日本の場合は違います。マルクス主義が入ってきたときに、マルクス主義を日本に応用した場合、明治維新を、フランス革命と同じと考えるか、フランス革命以前の絶対王制の確立と考えるかという論争が起きました。

明治維新を絶対王制と考え、社会主義革命の前に、フランス革命のような市民革命を起こす必要があると考えるグループが、日本共産党を結成しました。
そして、明治維新はフランス革命と同じだと考え、いきなり社会主義革命を起していいと考えるグループが、日本社会党につながる党派を結成しました。

日本社会党には、ヨーロッパ的な社会民主主義者もいましたが、まず民社党が分離し、次に、民主党が分離しました。民主党が分離した後の社会党には、社会民主主義者はいなくなり、一段階革命論を取る左派だけになりましたが、共産主義はイメージが悪いので、中味とは違う〈社会民主党〉という党名に変えました。労組との関係ですが、社会党系の組合の大部分は、民主党に流れました。

1の回答は間違いだらけですが、〈ソ連は「共産主義である」と宣伝した時期があります〉というのは、フルシチョフが、80年代にソ連は共産社会に移行すると予言したことを、誤解しているのだろうと思います。
フルシチョフの予言は外れ、ソ連は80年代に崩壊しました。
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この回答へのお礼

 ありがとうございます!
丁寧に教えて頂き少し感動しています。
正直いって全て理解はいまだに出来てません・・・。
ただ、理解及び自分なりの考えを持つ 基本的な一歩になりました。
 ありがとうございます。

お礼日時:2005/09/14 22:16

池上彰という人が書いた本の中に書いてある事を私なりに要約すると


 資本主義を打倒して資本の国有化をして、社会主義になった状態だと生産力が低い状態です。これが時間がたつと国家が経済をコントロールして需要と供給を計算してものを生産するので、経済の効率がよくなる。企業間の企業秘密がないので、新しい技術がどんどん発達する。資本家に労働者が搾取する資本主義ではないので労働者は、自ら進んでどんどん仕事をする。やがて生産力が向上した共産主義を実現します。
 両者の区別を生活物質を例にすると「社会主義では労働に応じてうけとり、共産主義では必要に応じてとる」となります。これは、例えば、100人の人がいて100の物質が手に入ったら一人1ずつわけるのが社会主義。共産主義は欲しいだけとれるので100人のうちある人は30、ある人は100とかほしいだけとれる社会。
 社会主義が高度に発達したのが共産主義ってことです。また共産主義は平等が行き届いた最終地点なので国家という概念も消滅します。(2つ国があったらどちらかに優劣が発生するため)

 日本共産党はかつて共産主義社会を目指していました。だけど今はさすがにソ連が崩壊してそれはめざしてないと思います(すいませんここは推測)

>共産主義がかつてのソ連で、社会主義が中国、と聞い>た事がありますが、合ってます?

これは上の説明を聞けばわかると思いますが違います。どちらも厳密には社会主義国です。ただし社会主義も共産主義も全く同じ意味でつかってしまう場合もあるので共産主義でもいいんじゃないかな。(繰り返しますがどちらも、厳密には社会主義、世界中に国家というものが存在しない平等な究極の世界が共産主義なので)以上です。
 あと、原始時代のみんなが必要な分だけ狩をしたり、木の実をとったりしていたときの状態を原始共産主義というそうです。
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一部の人々の利益を確保する目的の社会構造が社会主義。


構成員全員の利益を確保するもく的の社会構造が共産主義。

労組はわかりません。
日本共産党の考え方は知りません。
どちらも社会主義です。ただし.ソ連は「共産主義である」と宣伝した時期があります。しかし.ソ連がなかなか後悔しなかったレーニンの行動を見ると社会主義です。
なお.2次大戦前の日本は世界有数の社会主義国家でした。
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