関東とそれ以外の地域のAMラジオ局について
関東ではAM局を4,5局受信できますが
それ以外の地域では1,2局しか受信できません。
関東では各県にAM局があるわけではなく
東京に5局が集中して広域に放送していますが
それ以外の地域では各県の1局が県域で放送しています。
関東以外の地域でも広域(東北全域や九州全域といった具合)をエリアとする局を複数おくことはできなかったんでしょうか。
なぜこのような形になっているのか
知っている方がいらしたらぜひおしえてください。
回答(3件)
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No.3ベストアンサー20pt
#2 です。
昭和 26 年 4 月 21 日に、最初の予備免許が 16 社に与えられました。
東京「ラジオ東京」「日本文化放送協会」
名古屋「中部日本放送」
大阪「朝日放送」「新日本放送」
札幌「北海道放送」
仙台「仙台放送」
富山「北日本放送」
金沢「北陸文化放送」
福井「福井放送」
京都「京都放送」
神戸「神戸放送」
徳島「四国放送」
広島「広島放送」
福岡「ラジオ九州」
久留米「西日本放送」
その後、16 社は資金を集め開局に向けて動き始めました。
そして、昭和 26 年 9 月 1 日午前 6 時 30 分に「中部日本放送」が放送開始
その日の正午に「新日本放送」が放送を開始しました。
その後は、昭和 26 年 11 月 11 日「朝日放送」開局と順次開局していきました。
上記以外は、昭和 28 年頃から免許が与えられ
東京に増えるのは、昭和 29 年 7 月 15 日開局の「ニッポン放送」以降です。
この回答へのお礼
たびたびご回答ありがとうございます。
参考になりました。
やはり東京にだけ増えたのはそれなりの需要があったからなんでしょうかねぇ…
昭和 25 年 6 月に「電波三法」が施行され、電波管理委員会が発足したのですが
そのころ、全国各地から出された民放免許の申請は 70 を超えていました。
12 月になって委員会は、最初の民放を免許するさいの具体的な方針を発表しました。
その内容は「さしあたり東京に 2 局、その他の地域に各 1 局の民放を免許する。」ということでした。
そこで複数の申請が出ている地域では統合が必要となり、大多数の地域で話し合いがまとまりました。
しかし、大阪だけは話し合いがまとまらず、例外として 2 局になりました。
なので、現在も 1 局の県が多いのです。
この回答へのお礼
なるほどそういうことなんですね。
てことは東京の局はそれからふえたってことでしょうか?
No.1ベストアンサー10pt
参照URLの「広域放送が生まれた理由」という項目で、
現在ある3つの広域圏の生まれた理由が書かれています。
直接AM局に限定した話ではないと思うのですが、
ご参考までに。
この回答へのお礼
ありがとうございます。
さっそくみてみます。
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