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「教えて下さい」というかみなさんの意見を伺いたいです。

「本当の優しさ」ってなんだと思いますか?

私には、とても尊敬する人がいます。
それは自分の人生観を変えた人、元彼です。

彼から教わった唯一大切なこと。
それが、人間にとって本当に大切な部分。
「優しさ」とは何かです。

彼に教わった「本当の優しさ」とは、
「自分が一番しんどい時に、人のことを考えてあげられること」です。

人間みんな本当のどん底に陥った時って、
結局一番大事なのはどんな人も自分だと思うんです。
でも、でも、そんな時でも自分以外の誰かのことを
考えることができる人がいたら、それが本当の意味での
優しさだと思います。

みなさんはどう思いますか?
みなさんそれぞれに思う「本当の優しさ」聞かせてもらえればと思います。

A 回答 (7件)

私もまさにその通りだと思います。


優しいといわれる人の中には自分が調子のいいときに単なる自己満足や気まぐれや優越感から人に優しくする人もいます。
しかし人は辛いとき、苦しいときに本性を現します。それでも人のことを考えられる人はやっぱり優しい人だと思います。
また、私の考える優しさは相手が間違った方向に行っているときには厳しい口調を使ってでも引き戻してあげられる人です。このとき、どんなに辛らつな言葉を使っても相手は怒ることなく素直に聞いてくれるような言葉を使う人が私の理想です。
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございます。

私の思う「優しさ」に近い考え方の人がいるとわかって
とてもうれしいです。

「相手が間違った方向に行っているときには厳しい口調を使ってでも引き戻してあげられる」人。
そんな人が私の周りに実際存在します。
その人に「間違ってるよ」って言われても、
私もその人もお互いを信頼しているので、
すんなりその意見を受け入れることができます。

そうやって自分を理解してくれる人が増えるといいですね。

お礼日時:-0001/11/30 00:00

「優しいひと」と、「優しさ」のち・が・い、、、、



女性は、「優しい人が好き!」とよくいいますよね~
ただ単に「優しい人」というのは、「優柔不断な人」で
あったり、「気の弱い人」だったということが、付き合い
を深めていくに連れて知れていきます。
この場合、のちのち二人の関係をまずくする要因のひとつ
になることがあります。

「本当の優しさ」ってなんなんでしょうね~?
自分がどん底のときにでも、他人を思いやれる人そういう
行為を優しさとよぶんでしょうか~?
確かに相手の立場になってものを考えれることは、すばらしいことだと思います。

しかしながら、その行為が相手にとって重荷におもえる
ものだったらどうでしょうか~?
一概に、本当の優しさといいきれないものがあります。

「人間みんな本当にどん底に陥っ時って、
 結局一番大事なのはどんな人も自分」

そうですね。それは、それだけ必死なのです。
そんなときに、誰かのことを考えてあげるという行為よりも・・・・・
しんどいはずの彼が、他人をおもいやっている。
その彼をいたわり気遣うことのほうが、わたしには
本当の優しさのようにおもえます。

おうおうにして、日頃自分のことはさておき自分以外の
人のことを優先にする人は、甘え下手なところがあります
それを感じ取って、違う場面でおもいっきりくつろがせて
あげることができれば、人と人が交互にささえあっている
「人」という文字のような関係になるのでは、ないでしょうか~?

あたえるだけの優しさも、してもらうばっかりの立場も
偏りすぎると上手くないように思えます。

人と人が、互いに慈しみあうことのできる関係が
本当の優しさだと私は、考えています。
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この回答へのお礼

いやあ、やっぱりいろんな人に意見を伺うことって大事ですね。

「その行為が相手にとって重荷におもえる ものだったらどうでしょうか~? 」

そうですね。そういう場合もありますね・・・。
その場合はきっと「優しさ」というよりは、「自己満足」の世界になるのでしょうね。

「あたえるだけの優しさも、してもらうばっかりの立場も 偏りすぎると上手くない」
どんな気持ちも「対 ひと」であること。
忘れないようにしますね。

お礼日時:-0001/11/30 00:00

本当の優しさ・・・良く聞く話ですよね。


元彼が言っている「「自分が一番しんどい時に、人のことを考えてあげられること」は確かにその通りだと思います。
ただ、状況にもよりますが、自分が一番しんどい時なら自分の事を考えればいいと思いますよ。ただそういう状況下でも困ってる人が居ればその人の事を考えてあげれるのは大事なことだと思います。これは優しさというよりかは人間としての「器」の問題じゃないですかね?
ましてや「自分が一番しんどい時」ってそうそうあるものじゃないでしょうから、それだと本当の優しさをなかなか出せないことになってしまうような気がするのは私だけですか?(笑)

優しさに嘘も本当もないと思います(気持ちの問題ですから)が、自分にとって理想的な優しさというならば、どんな時でも純粋に相手の事を考えてあげれる事だと思います。そしてそれは相手の感情に左右されるものではなく、その相手が一人の人間として自立していける方向へ、本当に望んでいる方向へと導くものだと思います。

相手の心地よい言葉を並べて励ますのも優しさでしょうけど、例えその時には相手に嫌われようともその人にとって、その人の人間性と将来にとって良いと思うことをしてあげるのが優しさでしょう。
そうですね、つまり本当の優しさとは相手から見た自分というものを一切考えないでいられる状態での優しさではないでしょうか?、相手から見て自分がどう思われるかなどと気にしている状態では本当に相手のことを考えているとは思えませんから。

そしてその場合は、本当に本気の優しさですから多少不器用だろうと必ず伝わるものですし、どんなに良い事を言っても相手に伝わらなければ意味がないので、自然と相手に理解しやすい、受け入れやすい言葉を選んで伝えるのも当たり前になっているでしょう。

うーん、もっと言えば「優しさ」を意識しているうちは本当の優しさには到達できないような気もしますね。自分の身体からごく自然に出てくるものが本当の優しさだと思いますよ。
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「本当の優しさ」の定義は難しいですね。


「本当の」っていう形容が難しいね。

私は皆さんがおっしゃっているように大切な人にはきつい忠告をする方なんです。「相手のためを思って」と言う気持は正直言って曖昧なの。案外、自分の考え方に同調させようとして言っているのかもしれません。

悩んだ時は加藤諦三氏の著書を読んだり、三浦綾子さんの本を読んだり、聖書を読んだりしています。

やはりこれらの本から得られる答はあなたがおっしゃるように「自分よりも他人の幸せを願うこと」という要素も含まれているようです。
「風と共に去りぬ」という映画をご覧になったことはありますか?その映画のヒロイン、スカーレットの親友「メラニー」の生き方が私の理想です。彼女こそ本当に優しい人だと思います。メラニーが死ぬ場面は何度見ても号泣させられてしまいます。

なんだか抽象的でゴメンナサイ。
私自身、「この人って優しい人だなあ」と感じる人は、全員「自分の弱さを自覚して、それを隠さない人」です。何度も傷ついて立ち直って、「人を怨んだこともあるよ。」って正直に言える人たち。こういう人が私の周りにいる間は私も「優しい人間」の一人なのかもしれないと思っています。
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私にとっての「本当の優しさ」とは「強さ」です。


自分は昔「優しい」とよく言われましたが、
今思えば、他人に評価されたがりの、怖がりゆえの態度だったと思います。人が不幸な時でないと自分をしっかり持ち、相手を支えられなかったんです。自分の事を真面目に考える事が怖くて、人の心配ばかりしていたと言えます。
だから私の意見で言えば、brunaさんの言う優しさは偽善の様に感じてしまいます。
「自分がどん底の時に人の事を考える」のは「逃げ」であると思ってしまいます。自分の問題を考えるのが辛くて行う行為に思ってしまうんですね。
「自分がどん底にいる」と感じた時は人に頼って、自分の問題を直視し、這い上がる事が一番大切ではないでしょうか?
周りが「あの人はどん底にいる」と思っても、自分でどん底にいないと感じる「強さ」が必要だと思います。
私は強さを持った上で他人を思いやれる優しさに憧れます。

憧れとは別に、本当の優しさで無くとも、偽善であろうが何だろうが優しさと自分が感じればそれは「本物」であるとも思うようになりました。
自分が弱くで偽善で優しかった事も、その時は気付かず
本当にその人の為に思った事は本当です。
何年が経って、ある人に「あの言葉(優しさ)に救われた。尊敬している」と言われ、「昔の自分は偽善者だったのに」とものすごく恥ずかしかった事がありました。
でも相手がその優しさに救われたなら良かったと思います。
自分の優しさが、甘えや偽善や本物なんで相手は関係ないでしょう?
本当の優しさは、与える自分にはなく、相手が感じる事だと思います。
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「優しさ」って、形のないもの。

ある種の行為からにじみ出ては来るものの、同じ行為を数人に対してしたとすると、何人かは「よけいなお世話」といわれたりすること、よくありますよね。

僕が考えるに、「常に相手にとって最良のケアをしてあげたい、そのように常に努力すること」だと思います。ときに厳しく、ときにいたわりを持って。たとえばそういった行為が相手にとってうざく感じられたりすることがあっても、「最良のケアをしてあげたい」と言う気持ちがあったとすれば、その気持ち自体が「優しさ」になるように思っています。

「最良」なんて、考えてみれば不可能なことではあるのですが…
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こんにちは♪


少し自分の話をさせてください。
わたしは、これまでの26年間 無事に生きてこれたのは、つくづく、周りの人たちのやさしさがあったからこそだと思っています。小さい頃は身体が弱くて、すぐに咳き込みました。夜中でも寝ずに、両親が私の背中をさすってくれたり、お薬を飲ませてくれたり、海岸ぞいを車で走ってくれたり(海風を吸うと咳が静まるため)、救急病院に連れていってくれたりしました。学生になって、両親が他界しました後は、ふたりの兄がわたしの親代わりとなって、結婚するまで面倒を見てくれました。結婚式で、”新婦の手紙”を司会者が読むと、普段明るく強い二人の兄が他人の目もくれずに号泣しました。結婚式以降、兄の手から主人の手にいきましたが、主人は新しい家に私の愛猫を連れてくることを了解してくれましたし(壁をがりがりするのでとても嫌だろうと思うのです)、ご両親の間を上手に取り持ってくれたり、私の喜びそうなことをすすんでしてくれたり(クリスマスの飾りつけなど)・…生活が上手くいくよう、とても配慮してくれるのが分かります。もちろん、ここでは書ききれない、友人や知人の優しい心配りも沢山、思い出されます。… 「本当のやさしさ」という言葉が適当なのか分からないけれど、この質問を拝見したとき、自分の人生を語ってみようと思って書きました。(^^;
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