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長い歴史の中で、重要なポジションである
軍師はたくさんいますが、一体、誰が
最強なのでしょうか?

ちなみに、私としては、

中国の場合、

1)孫子(孫武と孫ピン)

2)太公望

3)張良

4)司馬仲達(個人的に好きです。)



日本の場合   

1)毛利元就
※大内に仕えていた時代。
 ただ、最終的には独立していますので、
 軍師というカテゴリーは越えているのかな?

2)真田幸隆


皆さんは、どうですか?


また、日本・中国と特に国境は関係しません。

A 回答 (9件)

私は日本では戦略家として「竹中半兵衛」「織田信長」戦術家としては「明智光秀」を推します。



中国(といっても知ってる範囲ですが・・・)では、
戦略家としては「孫武」「諸葛亮 孔明」です。

「孫武」は『孫子の兵法』を記した方です。
(最近では「孫殯」が記したのではないか、とも言われています。)
これを読んでいただければ分かると思いますが、
この書物には具体的な戦術などは明記されておらず、”兵法の心得”という面が強い書物です。
逆に玄孫の「孫殯」が残した兵法書には具体的な戦術が記されている箇所があり、やはり時代のニーズとともに兵法というものは複雑になっていったのではないか、と思います。

「諸葛亮」ですが、彼は”三国志演義”によってつくられた感が強い人物です。
細かい記述は参考サイトのレポートを見ていただきたいと思います。
少なくとも優れた「戦術家」ではないことは確かですが、戦争に至るまでの準備などや神がかりな政治力も含めると軍師と言えるか分かりませんが優れた「戦略家」ではあったようです。


『最強軍師』というのは必ずしも存在するとはいえませんし、その当時の合戦の常識など考えてもいろいろな意見もあるでしょうし、軍師として歴史に名や功績を残している時点でどの軍師も『名軍師』でしょう。


でもこういう質問は楽しいからオッケーです(´∀`)b

参考URL:http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Club/5916 …
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。参考になりました。

お礼日時:2005/09/24 23:12

西洋ではカール・フィリップ・ゴトフリード・フォン・クラウゼヴィッツ


ニコロ・マキャベリ
マキャベリは軍師というイメージじゃありませんけどね

中国ですと
太公望は伝説じみているから張良を推します

日本だと
直江兼続と言いたいところだけど、彼は郡市と云う枠に捉えられそうにないので
竹中半兵衛でしょうかね
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
やはり、張良ですか。

お礼日時:2005/09/24 23:11

日本の歴史はあまり、得意ではないので中国について答えます。



やはり、中国で数多くナンバー2をだしたといえば、個人的に春秋戦国時代だと思うので、そこからいきますが。。。
1、ハンレイ
あの、呉越戦争を多くのことわざも出しながら、平定したことにより、弱小国を下克上ができるということを証明したことに大きな力があったからだと思います。
そして、平定後身を引いて商人になったりしながら生き延びたところがすごいと思います。
2、楽毅
戦国時代末期に趙という大国にたいして中山の王様の息子だけを守ろうと人生の半分を使い守りきったところが神業だと思います。
また、後半でも、燕を中原まで勢力を広げさせたし、斉を滅亡寸前まで追い詰めたことは天才だとおもいます。。。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。参考になりました。

お礼日時:2005/09/24 23:12

 日本は大村益次郎だと思いますよ。

彼の戦略眼は戊辰戦争を1年足らずで終わらせ、兵器生産計画はその後の士族叛乱鎮圧に多いに役立っています。
 戦国時代の武将や軍師には、完全な全国平定を実現した者がおらず、玉虫色終戦にもっていったのが限界でした。

 中国では耶律楚材がトップ級です。金をまとめていた後、モンゴルをまとめ、度量衡の統一を推進したのは彼の成果かと思います。また宋美齢(蒋介石の奥さん)も戦略家としては秀逸です。負け戦であった日中戦争に米英を引き込み、最終的勝者に持っていったのは彼女の成果です。

 ヨーロッパでは、フランツ・ハルダー参謀総長ではないでしょうか。第二次世界大戦勃発時のドイツ陸軍参謀総長で、ポーランドを一週間、フランスを3週間で制圧、対露戦でもブラウ作戦を立案してウクライナ一帯を制圧した名参謀です。皮肉にも路線対立でヒトラーによって解任された翌月、スターリングラードの敗北が起こります。更に人生の策士です。ヒトラーと対立したため、ダッハウ収容所に収監されました。戦後解放され、反ヒトラーの代表の一人となっています。

 米国ではマーシャル元帥です。第二次世界大戦の作戦計画を立案した人物で、戦後の日本・ヨーロッパの復興計画を立案しました。この計画の成果がイラク戦争にも関係しているそうです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。参考になりました。

お礼日時:2005/09/24 23:12

ひとえに「軍師」は難しいですね。


副将、ナンバー2ならば分かりやすいですが。

「軍師」=「参謀」とすれば司馬仲達、孔明は大将として前線にいましたので難しいです。
三国志の軍師は「カク」ですかね。
曹操を打ち破り馬超を破りと凄まじいです。

日本では本田正信…でしょうか。
最高のナンバー2は豊臣秀長を押します。
まぁこの二人はナンバー1との密接な関係が特徴ですね。

世界的にはモンゴル帝国の耶律楚材なんかどうでしょう?あれだけの異民族社会を統括した才幹はすごいと思います。が、超マイナー…。
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この回答へのお礼

なるほど、ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2005/09/24 23:13

私の偏見では、豊臣秀長(豊臣家)、太原雪斎(今川家)、片倉小十郎(伊達家)、黒田官兵衛(小寺家、木下家)、白井入道浄三(千葉氏)。


このうちで業績から考えると、豊臣秀長を名参謀に推したいと考えます。
秀吉の天下獲りは彼無しには果たしえないものです。
賤ケ岳の合戦では、佐久間守政の軍勢を引き留めた沈着冷静な武将であり、蜂須賀小六が秀吉に味方したのも、秀長の人柄に信頼を置いたからといわれています。
彼の死により、豊臣政権があっけなく坂道を落ちましたが、これを考えても彼のすごさが判ると思います。
彼が生きていれば、利休の切腹も朝鮮出兵も無かったといわれてますし、家康並みの寿命があれば、恐らく関ヶ原の合戦も無かったのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

なるほど、ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2005/09/24 23:13

中国では諸葛孔明、日本では竹中半兵衛でしょう。


私的には山本勘助がすきですが。
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この回答へのお礼

山本勘助ですか。
いいですねぇ、川中島を盛り上げた立役者ですからね。

お礼日時:2005/09/24 23:14

mikichan-eさんと同じく、中国なら仲達かな。

私も好きです。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。
ただ、仲達の場合、最終的には
曹家を乗っ取りしていますので、
軍師はどうかな??と思いますが。

補足日時:2005/09/23 10:33
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日本の場合は軍師といえるような存在は秀吉に仕えた竹中半兵衛、黒田官兵衛くらいでしょう。


あげられている毛利元就や真田幸隆は部将ではあっても主将のそばで策を考える軍師(近代の郡で言うスタッフ=参謀)ではありませんでしたし、そういう扱いをうけたこともありません。
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この回答へのお礼

なるほど、ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2005/09/24 23:13

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