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対馬藩・宗家は、朝鮮とはどんな関係にあったのでしょうか?
外交窓口という事で小大名ながら十万石格・四品侍従という国主格の扱いだった様ですが、なぜ公儀は長崎の様に遠国奉行を置かずに、西軍だった宗に任せたのでしょうか?

A 回答 (1件)

対馬藩は幕府から日朝関係をまかされて、朝鮮に倭館という実質的な大使館兼貿易代表部を持ち朝鮮との貿易をとりしきっていました。


そのため対馬藩の実際の収穫高は飛び地領をあわせても1万数千石(しかも米はほとんど取れない)しかないにもかかわらず、日朝貿易の利益で幕府から10万石格を認められていました。
この貿易がいちばん盛んだったのは家綱から綱吉の時代で、貿易品としては日本からは銀、朝鮮からは高麗人参というのが主要品目でした。
なぜ、遠国奉行をおかずに対馬藩に任せたかはわかりませんが、日朝関係は江戸時代以前から対馬藩が取り仕切っていたのと、オランダや中国とは異なってこちらから出かけていく形態で、公儀が直接外国と交渉するのはまずいということもあったためではないでしょうか。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
貿易でぼろ儲けだったのでしょうか。

お礼日時:2005/10/03 21:51

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