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時代小説を読んでいるといつの時代にも
医者がいたと思うのですが、

医学がそれほど発達していない時代、医者になるためには自分で医者だと名乗れば医者になれたのでしょうか?
江戸時代に医学を学ぶ学校や医師免許はあったとは思えないのですが。

A 回答 (5件)

1883年に明治政府により「医術開業試験規則」と「医師免許規則」が布告されるまでは標榜医師で、誰でも自由に医者になれました。


江戸期の医者の身分は士農工商の工にあたりますが、人の命を扱うため、武士に準じる身分とされますが、身分としては高い物ではないので、武家の次男以下が勉強して医者になる例も少なくなかったようです。

少し明治時代の医者も書いておくと
「医学士」---東大など、大学で医学を学んだもの
「ドクトル」--欧米の医学校で学んで帰国した者
「別科卒業生」--東大などの短期コースの卒業生
「医学得業士」---医学士が3人以上教授として教えている
       いる専門学校卒業生
「特例」---明治15年に開業医の子弟でに25歳以上の者
「医術開業試験及第者」---検定試験で合格した者

以上が医者と呼ばれ、野口英世はこの医術開業試験及第者で、予備校で勉強しましたが、予備校では東大などの学生が自分が聞いた授業を伝えるという形で講義をしていたようです。
当初は実習無しでペーパーテストのみで合格する医者もいて、合格後実際の患者を診察できず途方にくれる新米医師もいたようです。

話が飛びますが、うちの叔父は税理士資格が無試験で貰える特権をもってましたが、実務が全く分からないので権利を放棄し、代わりに税務大学の講師の職を得ました。
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華岡塾とかありました、1800頃に全身麻酔を用いて手術を行った華岡青州の私塾です、緒方洪庵(1810~1863)の適塾などです。


弘前藩の藩医の資料ですが参考にどうぞ。
http://hippo.med.hirosaki-u.ac.jp/~mlib/itenjika …
日本医事史
http://www.osaka-minami-med.or.jp/ijisi/ijishi07 …
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それは誤解です。



明治政府がドイツ医学の採用を決定するまで、わが国では東洋医学が主流でした。
五・六世紀頃には東洋医学は中国大陸より他の諸文化とともに輸入され、行われていたことが記録されています。
大宝律令(701年)には唐の制度にならった医療制度が定められており、養老律令(710年)では医鍼生(現在の医学生にあたる)の教科書として「甲乙経」「脈経」「黄帝内経」その他の中国医書が指定されています。
984年には丹波康頼の「医心方」(いしんぽう)が著されています。
江戸時代には各藩の藩校教育として医学が重視され、また、幕府は江戸医学館という教育・研究・臨床のための公的施設を設置し、多くの業績を挙げていたのです。
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学校はありませんでしたが、有名な医師の下で修行していて、それが卒業証明の代わりでしょう。

恐らく、誰でも開業はできたと思いますが、結局実力がない医者は淘汰されたことでしょう。
それは、剣術の道場でも学校(寺小屋)でも同じことです。
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江戸時代にも医師免許はありました。

これを発行するのは典薬頭の小森家の権限でしたが、必ずしもこれをもたないと医師ができないというものではありませんでした。
しかし、だからといって何の経験もないものが勝手に名乗っただけでは世間からは認められません。先輩の医者のところで修行してそれなりに知識や経験を得てからひとり立ちすることが多かったようです。
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