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「我思う、故に我あり」ってどういう意味でしょうか。教えていただければ嬉しいです。

A 回答 (5件)

過去に哲学カテゴリーで同様の質問がありました。


私も回答しておりますが。
http://okweb.jp/kotaeru.php3?q=1403309

ルネ・デカルトの「方法序説」(本当はもう少し長たらしい名前の本ですが)のなかのことばです。
確実なものを求めて、デカルトはとりあえずすべてを疑ってみます。ところが、その疑っているという思考、その思考の実在を疑うと何が何だか解らなくなります。矛盾ですね。というわけで疑っている。それは自分だ。つまり、疑う、という思い(考え、といった方が正確ですが)をもっている自分が実在することもまた疑えない。ということです。
数学的な、公理をまず立て、それから論理的に説明する、という方法を改めて(というのはギリシアの、未熟ではあってもある意味同じような思考があるから)つくりました。ギリシア時代と違い、社会の混乱、宗教の分裂の激しい時代において、生き抜くための思想の再構築、という話ですね。(それをさらに徹底したのがスピノザだといわれていますが)

参考URL:http://okweb.jp/kotaeru.php3?q=1403309
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2006/08/07 19:29

デカルト(フランスの哲学者)の言葉です。

哲学のカテゴリーで再質問された方が良いと思います。
たしか、彼の著書「方法序説」の中の言葉です。
懐疑論に対して、方法的懐疑を推し進めて「思惟する我」の存在のみは疑い得ないという考え。
簡単に言うと、「今貴方が見ているものは本当に存在しますか?」と訊かれて純粋に論理的に証明するのは不可能(もしくはきわめて困難)ですが、この考えを突き詰めて、全ての存在を疑ってもそのように「考えている」『我』が存在しないと、「考えること」自体が不可能なので、『我』の存在は疑い得ない。と言うことだと思うんですが自信ないです。
哲学カテゴリーならばアカデミックに学ばれた方が回答くださると思います。
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この回答へのお礼

どうも。勉強になりました。

お礼日時:2006/08/07 19:30

デカルトは全てのことがらを疑ってみました。



たとえば、ここにある(と思っている)一本のペンはない、かもしれない。「現実」と思っているものが夢かもしれないですから。

全てを疑う方法によって、彼はあらゆるものは疑うことができる、不確かなものであるということに気が付きました。

しかし、疑いきれないことが一つありました。
それは、「今、わたしは考えている(思っている)」ということです。

「わたし」は人間ではないかもしれない。一匹の虫かもしれない。でも、「わたし」は、今、考えている(思っている)。それだけはどうしても疑いようのないたった一つのことだったのです。

「わたしは今考えている。つまり考えているわたしは存在する」

これが「我思う、故に我あり」という思想です。
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この回答へのお礼

どうもありがとう。

お礼日時:2006/08/07 19:30

いろいろな物事に疑いを持つことはできても、その疑っている自分自身の存在だけは疑うことができないし、信じざるを得ないということ



「私は考える、だから私は存在する」という意味のフランスの哲学者デカルトの言葉から。

英語では
I think,therefore I am

by シャープ電子辞書
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デカルトの言葉ですね。


「コギト・エルゴ・スム」だったかな。

世の中には、一体、何が存在するのか?
今、ある物事を考えている自分は、少なくとも存在しているはずだ!

・・・こんな感じの意味だったと思います。
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