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水子地蔵

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  • 質問者:teki
  • 投稿日時:2001/11/20 21:54
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私の母が昔に流産したことがあり、その供養に行きたいというので近くで探しているのですが、都内だとどこにあるのでしょうか?

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No.3ベストアンサー20pt

  • 回答者:amida3
  • 回答日時:2001/11/21 08:04

最近、水子の霊がいろいろな障りをもたらすと言って、その供養をさせる寺や宗教が盛んに流行し、マスコミにも取り上げられたりしています。
ご貴殿の相談ように流産なさる方、他方無軌道な快楽の果てにおおっぴらな妊娠中絶をなさる方、さまざまでありますが、これらの昨今の事情も手伝って水子供養なるPRが一部では一層盛んになっている状況です。
まずは、ご自身の宗教宗派の中で御考えいただくのが筋ではないでしょうか。
亡き先祖の供養は、自己の家の宗教で行い、「水子」だけが別の宗教で別のところに追いやればそれでよろしいのでしょうか。
また、水子という理由で本当に特別な供養が必要なのでしょうか?

たしかに仏教では生命の誕生は受胎の時にあると考えます。ですから水子といえど
も、この世に姿を現さなかっただけで、生命をもった立派な人間であるとみなければなりません。仏教では満年齢よりも数え年を用いるのも、こうした理由があるからです。したがって、私たちが人の生命を大切に思うと同じように、流産した未だ見ぬ赤ちゃんの「いのち」を重んじなければなりません。それにしてもその水子を供養しないと、私たちに祟(たた)られるなどということはあるのでしょうか。いえ、断じてありません。祟るのは自分自身、障りの原因は全て私たち自身の心の中にあるのです。

なにかあると水子に責任転嫁するかのように、水子がたたるとか、水子だから特別な供養をと考えるのは大きな間違いです。「水子のせいで」と水子を悪者にしてしまいかねないのは、私たち自身なのです。

水子という用語も、本来、江戸時代の飢饉などで、出生後、口減らしで故意に殺害した子供に対する用語だったのが、現代(もっともこの20年前ごろから新たに生じた言葉ですが)では、主に人工中絶した子を指し、その後流産した子をも含むようになってきています。

現在、行われている一部の寺院や新興宗教的寺院等で行われている水子供養というのは、わずか20年ほど前からできた新しい風習です。水子が「タタリ始めた」のもその頃からのようです。単なる迷信、いや、単なる脅しであります。
現在、世間一般でなされている形の(多くの人が思っている)水子供養など、仏教とは一切必要ない世界です。その点に関しては、水子供養寺や霊能者と称する者たちによる「霊感商法」に似たようなものでしかないことを強調しておきます。

ただ、いわゆる「水子」をつくると(自然な流産などの場合もそうですが、特に、人工的な堕胎を行った場合)体調が崩れたり、人間関係などに亀裂が入ったりすることはあります。
これは、タタリではなく、自らがなした行為の結果であったり、自然の摂理として縁無く命終わっていくにすぎません。

(ご貴殿の相談の場合には、自然流産でございますから、次の5行は関係ございませんが、話の都合上書かせていただきます。)

堕胎の場合は、理由はともあれ、ある意味、最も自分に近い生命である子供殺しで
ありますからその理由が自分の快楽のため・・・などの場合、そのような意識が自分の中に存在していないかどうか、もう一度見つめ直すべきであります。
親の側の理由によって子供を「殺した」ことがあるならば、形ばかりの「水子供養」など、何の役にも立ちません。子供殺しの罪の償いこそが本当は必要なのです。

結論から申しますと、亡くなった水子が迷っているのではなく、生きている私たち
が、実は迷いの存在なのです。人の言うことが気になり、直ぐに迷ってしまうので
す。人生順調に行っているときは、自分は偉く強いつもりでおりますが、人間とは、非常にもろく弱い存在です。車で道に迷っているごとく、あっちにフラフラ、こっちにフラフラ、いつ事故を起すかわかりません。
私たちは、しっかりと地に足をつけて人生を歩んでいるつもりですが、そうでもな
いようです。特に、この目には見えない悪霊には、現代でも多くの人々が苦しめられているのです。それは、亡き方を悪霊にしてしまっている私の側に問題があります。
人間は、順調なときは、すべて自分の手柄にしますが、ひとたび、うまくいかなく
なると、何かのせいにするのです。悪いことがあると、先祖のせいにしたり、自分が流産やおろした水子のせいにしたり、墓が悪いとか、仏壇の向きが悪いとか…、きりがありません。それを「迷い」と言います。
しかし、どうしたら、この弱い存在の私が、人生を迷うことなく、生ききることが
できるのか。それは、「どんなことがあっても、あなたを捨てることがない」と、わが「いのち」を支えてくださる「まこと」なるものに、出遭うしかありません。
まずは、ご先祖方と同様に縁のあったものの供養として、ご自身の菩提寺や同じ宗派の寺院を訪ね相談されることをお勧めします。
水子供養なるものを勝手に行い、そこでもらったものを、あとになって自分の宗派のお寺に来て、「これどうしましょう」と相談されても、菩提寺では困ってしまいますのでね。

以上、多少、乱暴且つ乱文で恐縮ですが、amida3@坊さんからでした。

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この回答へのお礼

いろいろ詳しいことありがとうございます。
コピーして(良かったのでしょうか?)母にわたしておきますね。

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No.2ベストアンサー10pt

  • 回答者:kotoko
  • 回答日時:2001/11/20 23:29

この回答へのお礼

ありがとうございます。都営三田線の芝公園駅近くなら、
いけそうです。

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  • 回答者:noname#1595
  • 回答日時:2001/11/20 22:08

都内は、分かりかねるのですが、同じような質問があります。
参考URLに書いておきます。

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この回答へのお礼

その質問も見たのですが、それでも分からなかったので、
このような質問をしたのです。
でもありがとうございます!!

  
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