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零戦のことをゼロ戦と言ってますが、零はレイと読みゼロとは読みません。なぜゼロと英語読みするのでしょうか?
ましてや戦時中英語は敵性語だったのでゼロを使ってはいけないはずです。
それとも当時からゼロは日本語で「零」と書いて正しかったんでしょうか?些細なことですが以前から気になっていますのでどなたかご回答お願いします。

A 回答 (11件中1~10件)

戦後60年ということで、私は大東亜戦争(太平洋戦争)を研究している者です。


零戦は正式には「零式(れいしき)艦上戦闘機」と言います。頭の良い連合軍の方たちは、「0(ゼロ)」を日本では「零」と漢字で表現することくらい知ってました。
また、零戦の存在を初めて知ったとき、そのあまりの運動性能(すごく軽量で、高い旋回能力など)に驚き、恐れました。そこで「ゼロ・ファイター」と敬意を表して呼びました。
さらに、戦争中墜落した零戦(損傷が少ないもの)を連合軍が大切に持ち帰ったこともあり、「ゼロ・ファイター」という呼び方は大きく広まります。
日本での「ゼロセン」という呼び方は戦後になって使われたものです。質問者さんが言われるように、英語は敵でしたからね。
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英語を敵性語としたのは戦争の中期以降で初期はまだ英語教育は残っていました。


勿論これは中等教育以上のケースで、義務教育では英語の教育はありませんでした。

陸軍は義務教育者が多く、多くの場合英語は知らなかったのです。
海軍の場合は兵器の部品や装備が海外の習慣が多く残って居ましたし、どうしても英語を使う事も残ったようです。

零式が正式名称であっても「ゼロ」と読む事はあったかもしれません。

零戦は神話的伝承が多いのですが、当時、戦闘機に搭載出来る高馬力エンジンがなく、重量を軽減する為に防御装甲は無視、構造も軽量化のため強度不足で一定以上の速度では振動を生じ空中分解するので急降下加速を制限しなければならず、、これがゼロ戦の弱点になりました。
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どうにも戦中から「ゼロ戦」と呼んでいたようです。

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『軍事板常見問題』より


http://mltr.e-city.tv/index02.html
第2次世界大戦常見問題「アジア・太平洋方面FAQ」から
http://mltr.e-city.tv/faq08c.html
【珍説】「ゼロ戦はパイロットの間でも親しまれていた愛称」というのは誤り。
 まず当時の日本人にゼロという言葉がなかった。
 それにモロ敵性語、一応部隊番号に英字は使われていたけど、海軍であっても士官以下が外語を使う事はなかった。
 軍事マニアなら、ゼロが戦後に始めて日本流布した事は誰でも知っている。
http://mltr.e-city.tv/faq08f.html#零戦
 【事実】
 公式の呼称は「レイセン」ですが、坂井三郎等パイロット達も、普通に「ゼロセン」と呼んでいたようです。
 「まず当時の日本人にゼロという言葉がなかった」というところからして間違いで、大きな図書館で戦前の文芸誌など読めば「ゼロ」は楽に見つかります。
 実際、昭和十九年十一月二十三日の朝日新聞にも、『荒鷲等からは零戦(ゼロセン)と呼び親しまれ』とあります。
 ちなみに零式観測機も、ほとんどの搭乗員が「ゼロ観」と呼んでいたようです。

 「海軍であっても、士官以下が外語を使う事はなかった」についても、例えば、阿川弘之氏はその著書の中で
「士官も下士官も使った日常語では、風呂がバス、ブリキ缶がチンケース、道具箱がギヤボックス、
色々あるけど、いずれにせよ、ことごとくが英語『みたいなもの』だから、戦争中世間に「敵性語廃止」の声が高くなっても、海軍は英語の全廃など到底出来なかった。(講談社刊『海軍こぼれ話』)」と書いておられます。
 阿川氏の考え方が海軍のメインだったかどうかはわかりませんが、こういう考え方の人たちがいたことは間違いないでしょう(引用終了)

次に敵性言語に関しては、

【珍説】当時の日本は英語を禁止されていた.
http://mltr.e-city.tv/faq08j.html#english
【事実】間違いです。
 海軍兵学校などは、最後まで入試に英語を残していました(略)後に英語教育は消えましたが、要するに戦況の悪化や学徒動員などで英語を含む全ての学業が吹っ飛んだというだけの話。
 基本的に英語の規制というのは民間などでの話です。
 今も昔も、民間の過剰な自主規制という日本人の性癖にさしたる差はなかったわけで。(引用終了)

 つまり「敵性言語」は自主規制であって、法律に基づいたものではありません。
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ゼロ戦という言い方は戦後だと思います。



ちなみに、連合国が付けた零戦のコードネームは、
『Zeke』です。

他に、

雷電・・・・・・・・・・Jack

紫電、紫電改・・・・・・George

烈風・・・・・・・・・・Sam

強風・・・・・・・・・・Rex

桜花・・・・・・・・・・Baka(馬鹿)

隼・・・・・・・・・・・Oscar

しょうき(変換不能!)・Tojo(東条)

飛燕、五式戦・・・・・・Tony

疾風・・・・・・・・・・Frank

などなど・・・
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零戦搭乗員の会の公式サイトです。


このサイトのどこだったか、はたまた零戦搭乗員の著書だったか思い出せませんが、当時は「れいせん」と呼んでいたそうです。

余談ですが、英語が敵性語だから使ってはいけない、というのは陸軍と憲兵が国民に押し付けた意味の無い「道徳?」でした。海軍では戦時中もそのような「道徳?」は無く、公式用語でも英単語は使われていたようです。

参考URL:http://www.b-b.ne.jp/zero/
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零戦の正式名称は、零式艦上戦闘機で、この零は、日本の紀元2600年に基づく零でした。



同じように、2式大型飛行艇は、2式大艇などと呼ばれました。

開戦当時、零戦の名前は、一般庶民には秘密にされており、ただ新型戦闘機とだけ公表されていました。

アメリカ軍は、相手国の飛行機にニックネームをつけていました。
零戦の事を、ゼロファイターと呼んでいました。
多分名前の由来を知っていたからでしょう。

このアメリカ軍の呼び名が、日本に広がり、ゼロ戦と呼ばれるようになりました。

アメリカ軍が、ゼロと呼んだのは、零戦21型の事で、それ以降の改良型は、別の名前で呼びました。

零戦をゼロ戦と呼ばれるようになったのは、海軍の秘密主義が原因です。
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http://namiki-shobo.co.jp/war2/tachiyomi/ww2001. …
このページの後半部分の『 最後に、「零戦」の読みについてお断りしておきたい。』以降は参考になりませんか?

参考URL:http://namiki-shobo.co.jp/war2/tachiyomi/ww2001. …
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戦時中の日本での呼称は、零式艦上戦闘機=「零(れい)式」でした。


この戦闘機を、欧米は「ゼロファイター」と呼んでいました。

戦後、これが混じって「ゼロ戦」という呼称ができ、これが一般的に使われるようになりました。
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正式には“零式(れいしき)艦上戦闘機”なんですが、当時あまりの性能の良さにアメリカ側が一般に、“ゼロファイター”と呼んで恐れていたので、日本でも“ゼロ戦”や“れい戦”と一般的に呼ぶようになったみたいです。



軍としての呼称は正式ではないのでしょうが、『これがアメリカの恐れるゼロ戦だ!』といった感じで、日本でもその呼び名が浸透していったみたいです。
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