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現在、各地で起こる内戦・戦争で、流れてはいけない血が流れ、そして貧困などの理由で、病気、餓えなで産まれながらも、死んでしまう子ども達。
なぜ、この様な事が起きていも神と呼ばれる存在は助けてくれないのでしょうか?
人間の行く末を見守っているだけなのでしょうか?
仮に神と呼ばれる存在が居たとするのなら、何様のつもりなのでしょう?
という訳で私は、神は、いないと言う結論に出たのですが、皆さんはどう思いますか?

A 回答 (28件中1~10件)

No.24です。


「因果応報」の法則について語るときいつも自分の無力さを感じます。「神」が血も涙も無い無機的な反応のように感じられてしまうとしたら、それは私の力不足です。

この宇宙に多くの天体があり、みなそれぞれ正確に軌道をまわり、互いに影響し合いながらそれぞれ生かされているとすれば、それは神が愛によって作りたもうた「自然の法則」だと思います。

地球上でありとあらゆる生物が生み出され、生かされています。これも「神の自然の法則」です。
すべてが慈しまれ生かされていることに「神の創造物に対する絶対愛」を感じませんか?

人もその営みの一員です。
「神」は愛により人に「行動の選択の自由」を与えました。人が試行錯誤しながら何が最も大切で尊いのかを学び、良い選択をマスターすることにより、自分と他者と共に幸福を分け合い、高めあうことが出来るようにという配慮からでした。
そのために神が人に与えたのが「原因と結果の法則」又は「因果応報の法則」なのです。

この法則から人は、自分が幸福になるためには、他者に自分がして欲しいことをすることが最も近道である、ということを学ばねばならないのです。

互いに奉仕し合う社会こそ天国だと思います。
キリストも仏陀もそう説いていると思います。

それなのに人は自分の自己中心的な、他者と敵対し征服しその財産を奪うことこそ自己にとって善であるという非常に物質中心主義の考えから、宗教をもその枠に無理やり押し込め、都合のいいように、自己弁護が出来るような勝手な解釈をしてしまったのです。
ここから宗教の対立が生まれました。

宇宙を創った神が人に嫉妬をするはずがないではありませんか!
全能であるはずの神がなぜ自分の気に入らない他の神を作る必要があるのでしょうか。
もし、全能の神をも脅かす別の存在がいるとすれば、その存在を作り出したのは一体誰ですか?
もし、別に創造者がいるならば、神は全能ではなくなってしまい、小さな神(大きな神に創造された進化途上の霊的存在)ということになると思います。

人は自分の霊性の低さのために神を理解できず、まるで人間のような姿をした、怒ったり、嫉妬したり、戦ったり(しかも他の神と)する「神」を作り上げてしまったのだと思います。

この世に満ちている不幸と戦争と悲惨さを一体どうすれば減らすことが出来るのでしょうか。
「神」は、はるか昔からその方法を使徒を通じて教えてくれたではありませんか。
人はそのメッセージを正確に理解することはなかなか出来ませんでしたが、尊い言葉は多く伝わっています。

 汝、隣人を己を愛するごとく愛せよ。
 己の欲することを他者に為せ。
 
これに尽きると思います。
これ以上の解決策があるでしょうか。

でも人は煩悩によって迷い、苦しむものですから、なかなかそこに到達できません。それに対するノウハウもちゃんと残されています。
もっぱら瞑想によるようですが、仏教にはかなりのことが「アーガマ」にのこされています。

それに耳を貸さないことは「神から賜った行動の自由の権利」によって人が選択したものです。

人は物質的観点からしか判断できないので、死や貧困は不幸であると判断しがちですが、霊的観点から判断するとそうもいえないようです。
「貧困」の経験から飛躍的に霊性を向上できる人もいますし、「巨万の富」によって貧者をないがしろにすることにより結果的に最も大切な「霊の富」を失ってしまう人もいるようです。

生まれつきの障害を自分の人生に設定し、苦しみながらも克服し、世の中の障害者に奉仕するような見事な人生を生き抜く人もいます。

自分が恵まれていると感じる人はその富を不幸な人に分け与えることにより、最も大切な「霊の富」を得ることができます。
物質的富は死後、失ってしまいますが、心の富は永遠にその人を豊かにし、身にまとうことができます。
それこそが霊の財産であり、宝石です。
「他者への奉仕」が「霊の通貨」です。

人は霊的存在であり、いま一時的に物質界の真剣ゲームに参加しているだけです。
やがては元の霊界に本来の姿で戻らなければなりません。
このときに身に付けることが出来るのが自分がひたすら他者に為したことなのです。
ごまかしはききません。
隠すこともできません。
それが霊的世界です。

ですから今こその霊的富を築けるチャンスなのです。

色々偉そうに書いてしまいましたが、この内容は
 「神との対話」や「シルバー・バーチの霊訓」などにもっと的確に載っています。
興味のある方は是非読んでみて下さい。
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一神教の「神」は宇宙全てをツカサドル原理ですから、


無限数の房宇宙理論の一階層の一宇宙の一銀河系の辺境の太陽系の、
一惑星の一時代の一地区の一生物の人間の一部の紛争や、
ましてや一個体の不幸や苦痛など
「ド~デモイイジャン!シッタコッチャネェヨ!」なのでしょう。

一神教の教義はあくまでも宗教であって哲学ではありませんから、
神の言葉を受け止められ伝えようとしたモーゼ、キリスト、マホメドさんにもわからないと思います。
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質問者さんの質問の言葉の中に答えがある、と私は思います。


内戦、戦争、国家の紛争,干渉は対立する立場の神が関係しています。お互いの宗教、神の存在が相手の宗教、神を認めないのです。
残念な事ですが。

神という名を利用しているのか、それとも本当に神が存在し、対立する相手を攻撃するようにさせているかは分かりません。
私は無神論者ですが、もし神が存在するとしたら、万物に平和をもたらす神ではなく、信じる者たちを救う神ではないでしょうか。
その事が紛争や戦争や内戦で、死も恐れない戦士を造り、出口のない戦いを繰り広げている一つの要因にもなっています。

世界中の沢山の神の更に 「その上の神」 が存在して、質問者さんの考えているような平和や幸福をもたらしてくれるとよいですね。でも、全ては人間の度量の中で、戦争、内紛、平和、幸福が決まるでしょう。そのために沢山の立場の人たちが努力していると思います。
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ひとつの考え方としては、神は創造主で救世主(メシア)ではないから、人間の窮状を救ってはくれないというのはあるでしょうね。


もうひとつの考え方としては、人間の滅亡が人間以外の視点から見たときには、必ずしも悲劇ではないというものですね。人間にとっての悲劇は、神にとっての悲劇ではないと、そういう論理です。これは、ひとつ目の奴よりは、私は納得できます。
ほかにもいくらでも説明はできるでしょうが、私はキリスト教の絶対神のこととか、他の宗教の神について詳しくないのであんまりわからないですけど、もしキリスト教の絶対神を指しているのなら、恐らくキリスト教に通暁する人たちが回答を寄せてくれるでしょう。でも、恐らく神がいないと思っているあなたとか私とかには納得できないと思います。

神は、いると思ってる人には存在するし、いないと思っている人には存在しないと思います。サンタクロースと同じ原理です。運命とか、そんなことも同じだと思います。信じたものが真実で、信仰の自由っつー奴ですね。実は、各地で起こる内戦や紛争のおかげで、先進国が安寧で豊かでいられるというパラドックスもあるし、こればっかりは非常に難しいと思います。ですから、本当に憂えるのなら、NPO団体に参加するとか平和活動に参加するとかいう方法をまず取るしかないと、当座であってもですね、ホワイトバンドしてるだけよりましですから、私はそう思います。
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私が今までに理解、獲得できた私見を述べさせていただきます。



「神」とは玉座に座った威厳のある存在などではなく、自然を営み、生命を作り出し、天体を運行し、すべてを寸分の狂いも無くかみ合わせ、進化をも司っているエネルギーであり、宇宙の法則だとおもいます。

このエネルギーはすべての生命を生み出した根本創造主ともいえます。
これは霊的なエネルギーです。
従って生命とは人も動物も虫も魚も植物もすべて霊的なものであり、しかも不滅です。
肉体より霊が離れてしまうと肉体に「死」が訪れます。

ですからキリストが霊の不滅を説き、仏陀が輪廻転生を諭したのだと思います。

「神」は人の人生にも厳然たる法則を働かせています。
それがヒンズー教や仏陀の教えにもある「因果応報」です。
それは「自分の行為とその動機がすべて自分に返ってくる」というもので、キリストも「蒔いた種は自分で刈りとらねばならない」という表現で教えています。

どんなことも、いい行いも、悪い行いも、やがてすべて
戻ってくるのであり、他者に対し善行を沢山つんだ人は人生の幸福としてそれを受け取り、他者に対し悪行を沢山行った人は不幸としてそれを受け取ります。

でも人は単純ではなく、時として善行の直後に悪事を働いたりします。盗みを働くと同時に施しをしたりもします。こうなると、どんな風に法則が働くかはもう人には理解できません。
「因果応報」の法則は人の知恵ではとても理解できないくらい複雑で難解ですが、「宇宙の法則たる神」は寸分の狂いもえこひいきも無く、正しく、正確に法則を働かせるそうです。

その法則の真の目的は「霊性の向上」です。

自分が他者に対して行ったことを、自分自身で経験することにより、自分がどういう存在なのかを学ぶのです。
そして、自分自身の未熟な霊性を少しでもその親たる「万物を生み出し生かしている完全なる霊性(神)」に近づけるべく努力することが目標です。

人には「神」から、限られた人生と地球という物理的に限定された枠内での「自由の権利」が与えられています。
つまりその中で何をしても何を選んでもいいのです。
勿論、他者に対し何かをする場合はその相手の因果も絡み法則が働くので、何でも出来るという訳ではないのでしょうが。・・

自由に行ったことに対しては全て因果応報の法則が働くので、全て自分で責任をとらされます。

この法則は輪廻転生のなかで働くので、ますます人にとっては理解し難いものになり、この世はとても不平等で無慈悲で情け容赦のない絶望的な救いがたいものに感じられるのです。

法則の全責任はすべて「神自身」にあります。
しかし、その法則の中から何を自分自身に引き寄せるかの責任はすべて人自身にあります。

無責任にしたい放題したあとで、その結果だけを「神」のせいにして文句を言っても何の解決にもならないのではないでしょうか。

人は「神たる万物の根本霊」の分霊であり、「神の雛形」ともいえます。ですから自覚と努力しだいでどんどん向上し、高い霊性を獲得することができるそうです。

そのことを仏陀は「因縁解脱」、「成仏」と言い、キリストは「神の御国に入る」と説明したのではないでしょうか。

高い霊性を獲得するともう生まれ変わる必要がなくなり(もう肉体を伴う学びを卒業した)苦痛というものが格段に減りこの世では想像も出来ない至福の世界でさらに向上を目指すそうです。

人は一人ぼっちではありません。どんなに地球に沢山の人がいても忘れられている人は一人もいないそうです。
必ず導きの聖霊が付いて指導しています。一人残らず。
でもその聖霊のアドバイスや忠告に耳を傾けるか否かはその人の自由です。
自分の心の中に湧き起こる考えをすべて自分のものだと
思っている人がいますが、霊からのインスピレーションであることが結構多いようです。
聖霊だけでなく邪霊も存在するので要注意です。
悪事にばかり心を奪われていると邪霊とお友だちになってしまい聖霊が近づけなくなってしまうともうお手上げです。
そんな人は死後、ますます邪霊の仲間になってしまうでしょう。そして今度は生者にあだをなすかもしれません。

人は繰り返しの人生の中で多くを学び、一歩づつ、学年を上がるように向上していきます。
繰り返し、繰り返し、何十回も何百回も・・・
死後の世界こそ本当に実体がわかる世界だそうです。

という訳で、私は神の存在を毎日実感しています。
毎日狂うことなく太陽は昇り、季節は移り、素晴らしく人格(霊性)の高い方々がこの地球には大勢いらっしゃいますから。
「神」は聖霊を通じて、人格の高い方々を通じて人間を助けて下さっています。
私も少しはお役に立ちたいものです。
でも、まずは自分の人格を高めることが先決ですよね。
それは重々自覚しているところです。
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なぜこんな質問をするのですか?


今、世界中で苦しんでいる人間をそこから救い出すために、神がこの世に降り立っているじゃないですか。kurotiruさん、それはあなたのことですよ。思い出して下さい!
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あなたの言うようなことは神の沈黙と言われ、神を信仰する人にとっては昔から大きな問題とされました。



この問いには明確な答えがないのです。
だから、この問いに躓き神への信仰を捨てる人は昔から今にいたるまで多いです。

しかし、この神の沈黙を大きな謎として問い続ける人もいます。
そういう人は神の働きを個人的に体験してるので、神の存在を簡単に否定できないのです。それで、この問いに苦しみながらも、神に直接、何故助けないのかと、問い続けるのです。

いずれにせよ、神の御心は人間には測りがたいのです。
そして、神は謎に満ちてるからこそ、信仰というのは苦しみを伴いますが、魂に届くほど深くなっていくのです。
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「神」の現実的存在は「神」という概念からの分析からでは決して得られず、我々の経験的直感を必要とする。


しかしながら神についての経験的直感が存しないことは明らかである。
すなわち存在論的には証明することはできない。
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神様は全知全能ですから、想定内のことと思います。


神はお願いを聞いて下さる程度の偉さではなく、感謝すべき偉さなのでそれ故、何があっても絶対?
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日本において「神」は人にとって畏れるべき存在です。


疫病や飢え、貧困をもたらすのも神です。

神とはそれぞれの定義によって様々であり、普遍性を持ちません。普遍性を持たない定義を全世界に当てはまるのは間違いです。

神がいないという証明は「不可能」です。
しかし、この証明の不可能性が神の存在を婉曲的に否定します。
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