アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

江戸時代の銭湯について調べています。
江戸時代の銭湯が流行した背景には水不足・火事へのリスク排除といった社会的要因がありましたが、それ以外に、江戸の銭湯以前は体を洗う・仏教の功徳という目的から江戸に入り銭湯に対する遊びの心が生まれたということも要因だと考えているのですが、その遊び心に一役買ったのに吉原遊郭の存在があるのではないかと思うんですが(勝手な私見で論証もありません)、銭湯と吉原は別格じゃないかと周りにはアドバイスもらって混乱しています。ご存知の方アドバイスお願いいたします

A 回答 (3件)

寛永13年ごろから風呂屋が江戸に出現し、その中に湯女がおり、吉原


より手軽に遊べるということで、人気になりこの頃より吉原が衰退し
始めたといわれています、詳しくはURLで

参考URL:http://www5.ocn.ne.jp/~ukiyo26/yuya11.html
    • good
    • 0

>遊びの心


大人のお遊び ということで
http://www.1010.or.jp/menu/history/rekishi04.html
http://www5.ocn.ne.jp/~ukiyo26/yuya11.html

が、男衆に人気で増えていった。....時代は違えど、性に関する興味は変わらないと・・・
遠くの遊女より、近くの湯女ってとこ でしょうか。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

お二方ありがとうございます。
よろしかったら同じ歴史でもう一問質問していますのでご存知でしたら是非お願いいたします

お礼日時:2005/10/27 12:35

現在の吉原にある特殊浴場からすると風呂と結びつくと思うのですが江戸初期やそれ以前の遊郭にも風呂はあったと思われますが、遊郭=風呂というように結びついていないと思います。



幕府非公認のところですとそういうサービスを提供する風呂も存在したようですが。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!