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よく特攻隊員はパラシュートをつけずに出撃したと語られることが多いのですが、本当にパラシュートをつけずに出撃、というか操縦ができたのでしょうか。

海軍機の操縦席のイスはお椀状の形をしていて、お椀のくぼみの部分に搭乗員のお尻につけたパラシュートがはまる形になっていたと思います。つまりパラシュートがクッションの代わりになっていた訳です。
パラシュートを着けないとなると、お椀の上に直接座ることとなるので、操縦できないことは無かったでしょうが、戦闘行動はとれないと思うのですが。

機種によってパラシュートの装着方法が違うのでしょうか。

A 回答 (4件)

落下傘を着けなかったのではなく、縛帯(落下傘と体を結ぶベルト)を着けずに出撃することが多かった、と下記参考文献に書かれています。



特攻隊員に限らず当時の飛行兵は「被弾したら自爆するのが潔し」とされ、落下傘を軽視する考えが主流でした。練習時は規則があるので装着していましたが、出撃に際しては落下傘をつけないのが「決死の覚悟」を示す証であるかのような風潮があったのです。「皇軍兵士は落下傘降下をしない」ということは当時の新聞や雑誌により国民に報道されていたため、横空の山崎上飛曹が落下傘降下した際に敵兵と間違えられて住民に殺害されるという事件さえ起きています。

旧海軍の落下傘には「腰式(八九式落下傘)」「座褥式(九七式落下傘)」「背負式(零式落下傘)」の3種類があり、このうちお尻に着けるというのは腰式になります。
ちなみに、九二式というのは陸軍の落下傘です。座褥式は腰式と同様に落下傘の上に座るタイプですが、はじめから座席に装着されているもので、背負式は座席の背当ての部分に装着されているものです。腰式はごく初期の機体(中錬など)に使用され、背負式は零戦52丙から採用なので、太平洋戦争での主流は座褥式といえます。
座褥式の場合、座席に落下傘が装着されているわけですので、それをわざわざ取り外して出撃、ということはありません。彼らは「決死の覚悟」を示すために、縛帯を着けづに出撃していったのです。

【参考文献】
「日本海軍航空隊軍装と装備」No.655 モデルアート2004.4月号臨時増刊
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2005/11/04 23:25

あなたの予想は正解です。


九二式落下傘ですが、実は椅子になっています。
落下傘の開傘側の反対側に、尻引きが付いています。それに座るのです。開傘装置は縛帯に絡めておき、被弾・脱出後に紐を引っ張れば開傘する仕掛けです。但し秒速6mで落ちていきますのでかなり怖いかと思います。

それと操縦席は落下傘を想定して設計されていますので、落下傘を付けないと20cmは座高が下がります。顔の分だけ座高が下がるので、戦闘どころか飛ばすことも出来ません。

九二式落下傘ですが、座ると気持ち良かったですよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2005/11/04 23:25

 残念なことに読んだ文章の表題や作者名、それが掲載されていた雑誌の名前などを忘れてしまったのですが、



 鹿屋とか国分から特攻として出撃したあの当時のことを、整備兵だった方が書いた文章のなかに、「20mm機関砲の弾薬は底を付いていた(中略)、落下傘すらももはや手元には幾つも残ってはいなかった(中略)、落下傘が納まる部分に座布団を押し込んで.......」、といった記述がありました。しっかり記憶しています。クッションの良くきいたセスナ機のコクピットに座るたびにその部分を思い出します。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2005/11/04 23:25

当時の状態は推測ですが、日本人は乗機、乗艦と共に死ぬのが当然とする気風がありました。



必死を覚悟で出撃するのにパラシュートの用意はそぐいません。 
操縦に何の助けにもならない軍刀を携えて乗り込む人もいました。

当時のパイロットは既に練達の乗員は底をつき、未熟な状態でしたから、自由な回避運動などは期待できずただ飛行するだけでした。

複数の乗員を必要とする機種では常備パラシュートは
格納場所に備え身につけるのは使用直前でしたが、特攻出撃の場合は、乗員の数も最小限度に減らしたと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2005/11/04 23:24

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