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建築における装飾の意味って何かなって調べています。
機能主義がどうして主張されたのか、なぜ装飾が否定されたのか教えてください。
文献でもいいので教えてください。
ルコビュジエを調べて機能主義なんだと思ってたら、ロンシャンの教会とかどうなのかと思うし。ライトなんて装飾使いまくってるのに機能主義に分類されてたりでよく分かりません。

A 回答 (2件)

私の専門はデザイン史のほうで、建築を主にやった訳ではないので


上手くアドバイスにならないかもしれませんが…。

装飾というものが否定されはじめたのは、産業革命と機械化が
始まった頃に遡ります。それまでのクラフト・ワークが否定され、
大量生産できることが求められてきた時代です。
建築、という視点から見ましても、1900年代・パリのアール・ヌーヴォー
の頃のHector Gumard(パリ・メトロ入り口の設計が有名です)や、
ウィーン・分離派の作品などを見てみると、ここでは未だに
装飾=価値あるもの、という位置付けがなされています。

建築において、装飾=罪悪とみなされはじめたのは、
Adolf Loosが1908年に出した「装飾と罪悪」という1文が始まりでは
ないでしょうか?
デザインに於いて、過剰装飾が取り払われはじめたのは
ドイツ・AEG(ベルリンの電気会社)とPeter Behrensからです。
そこから「ドイツ工作連盟」→バウハウスに繋がる道が
できるわけです。

………と、はっきりいってここでは説明しきれません。
なのですが、とりあえずお薦めすることは
美術出版社/西洋建築様式史(2500円)が
全図版カラーで分かりやすく出ています。
そこから、前出の人々達に関することをつかみ、
(ドイツの動き・特にバウハウスのWalter Gropiusは
思想・デザイン共に近代デザインの礎を築いた人です。)
参考文献等を読み漁ることが良い、とおもいます。

デザイン史も関連がある、とおもいます。
ので、美術出版社/世界デザイン史、も入門版として
最適なので、軽く時代を掴めるとおもいます。

ライト・コルビジュエなど、個人的にスターなアーキテクト達も
必ず何かから影響を受けています。
ですから、彼らの作品集等にのっている参考文献等から
そのルーツを探ることも可能だと思います。

できれば、日本語より英語・仏語等ネイティブのサーチ・エンジンを
使ったほうが、より情報を集められると思います。

最後に…
「Form Follows Fanction」
by Louis Sullivan
これが、もっとも装飾とは何か、を示唆している言葉ではないでしょうか。
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  わたしは建築は専門でもないし、かつて学んだこともないので、答えは分かりません。ただ、機能主義と装飾ということについて、思う処を記します。
 
  装飾についてだと、紀元前3000年前のシュメールの建築物から、つい最近建てられた建築物に至るまで、建造物で「装飾のない」ものはないでしょう。純粋に機能だけと言っても、機能コンポーネントが見る人によって装飾に見えます。例えば、柱を付けると、円形にしても四角にしても、表面を打ちさらしコンクリートにしても、それが装飾だと云えば装飾に見えるでしょう。建築物の装飾の歴史などの図版を見ると、至る処の時代、装飾だらけです。
 
  それはともかく、「機能主義」とは、近代経済・近代技術社会の成立と無関係ではないでしょう。20世紀以前の支配階層や裕福階層は、服飾において、装飾だらけの衣服を付けていました。時代により、無闇に装飾が多いこともあれば、シンプルな場合もありますが、いずれも、時代時代で装飾だらけです。
 
  20世紀の近代社会の服装も装飾がありますが、しかし、「機能的」になっているとも言えます。このことは、20世紀が大量生産の時代で、工場技術の時代で、工場用作業服という作業に合理的にデザインされた衣服が造られたことと無関係ではないでしょう。無論、近代以前から、職人などの衣服・作業服は、機能重視のシンプルなものだったのですが、純粋に機能だけを考えて衣服のデザインが行われたのは、近代・現代社会でしょう。工場労働者の作業服としては、形がシンプルで、作業の邪魔になる不要な装飾はついていない、丈夫で汚れが付きにくいか、付いてもすぐ落ちるようなものが望ましい……などとなるでしょう。
 
  20世紀の仕事用の衣服は、この工場労働者の作業用制服に準じてか、機能性を重んじる形になっているのは事実でしょう。サラリーマンや政治家は、ダークスーツにネクタイを締めています。アラブの王族などは、白い長衣を着ていますが、あれはいかにも機能的でないでしょう。
 
  さて、機能を重んじるということと、装飾を廃するということは、必ずしもイコールではないと思います。建築の「様式美」というのは、時代がずれると、意味のない装飾に見えるものでも、それぞれの時代には、機能を持っていたことがあります。
 
  フランク・ロイド・ライトは、現代の様式美を建築に求め、それが、機能主義であったのではないでしょうか、「機能主義」というのは、一つの建築の様式で、それには固有の「様式美」があり、装飾は、様式美の一部として必要だったのだと言えないでしょうか。例えば、実際にそんな建築があるかどうか知りませんが、建物から角張った部分を取り、すべて曲線で建築すると、これは機能的だと言えます。しかし、その結果できる建築物は、何か、従来の建造物に比べると、不自然な感じがするでしょう。何故わざわざ、通路に丸みを付けるのか、通路や天井が丸みを帯びていた場合、これがまた装飾と感じられるでしょう。またそこに、様式の美が生まれるでしょう。
 
  機能的ということは、装飾を廃することではないし、装飾を廃すれば機能的になるかと言えばそうでもないでしょう。
 
  建築物は、そこを人間が利用する空間だと考えねばなりません。人間にとって機能的とは、無装飾を意味しないでしょう。装飾があっても、近代的現代的機能性を重視した建築は、機能主義だと言えるでしょう。また、近代的現代的機能性に合致しない装飾は、否定されるということになるでしょう。
 
  教会建築の場合、機能とは何かと云えば、神聖な場の確保と構成でしょう。すると、装飾と見えるものが、実は考え抜かれた上の機能目的の最小限のデザインである可能性があるでしょう。現代的な神聖空間を構成するという機能コンセプトからは、伝統的な装飾は否定されるが、それは装飾の全的否定を意味するのではなく、現代建築の様式美は、必然的に機能美を含み、それに合う装飾を求めると言うことではないのでしょうか。
 
  20世紀の芸術は、伝統的な調和を壊した処に、新しい美を見いだそうとしました。西欧で言えば、それは西欧文明の自己否定と同時に、止揚的な美の探求でしょう。デコンスルクシオンも、創造には破壊が前提になるということを、西欧の思想の根柢的前提=ロゴスを否定して行く過程で、どうしても出現するロゴスの確認という形で認めるものでしょう。従前の調和装飾を否定して、機能を建築に求めて行くと、否定した装飾が、機能の様式美という形で、再発見されるということなのでしょう。
 
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この回答へのお礼

ほんとにありがとうございます。とっても分かりやすいです。
卒論で近代建築における装飾の意味で頑張ってるんですけど、なにせ専門の先生いないし、もともと知識ないしで・・・・・。
アドルフ・ローストの装飾批判からなんとかコルやライトの作品に結び付けて頑張ろうって思うんですけど、なかなか進まず泣きそうでした。
わかんないことばっかりなんで、よかったらまた答えてください。
ほんとにありがとうございました。

お礼日時:2001/12/07 01:07

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