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開通当初の山手線に関して…

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  • 質問者:blueaxela15f
  • 投稿日時:2005/11/04 22:14
  • 困り度:暇なときに回答をください

山手線は、東海道線と東北線とを結ぶために、品川~赤羽間に開通したのが最初だそうですが、なぜ品川駅は東京駅方面を向いて接続したのでしょうか?一方の赤羽駅では大宮駅方面を向いて接続しているので、一見矛盾しているように感じます。
やはり東京駅からの天皇の利用を考慮していたためでしょうか?ご存知の方がいらっしゃいましたらご教示願います。

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No.2ベストアンサー20pt

  • 回答者:cubics
  • 回答日時:2005/11/04 23:25

まず、山手線は日本鉄道品川線として建設されたこと、日本鉄道は、現在の東北、常磐、高崎線などを建設した私鉄で、上野以北だったこと、既に存在した官営鉄道は、新橋(汐留)から南へ伸びる東海道線であったこと、などを記憶しておかれるとよいでしょう。

つまり、一体的な計画として東海道線と東北線を結ぶのではなくて、日本鉄道が、官営の東海道線に接続する目的で延長した支線が品川線、つまり後の山手線なのです。

上野から都心部を貫くことなく、比較的簡単に建設できる南進ルートが、当時は郊外の新宿、渋谷を通り目黒川沿いのルートのわけで、そこから接続する駅は、やはり東京の市街地内であった品川駅としたのでしょう。
(品川は仮開業時代から拠点駅であったはずですし、その次は大森駅になります。)

となると、高輪の丘陵部をまわって南の八ツ山側から進入するしかないですね。土木技術うんぬん以前に、路線計画としては至極妥当なものでしょう。

経営が別なので、直通運転の必要はなく(あるいは、できない?)、旅客の乗り換えや、貨物の受け渡しができれば十分だと考えたかもしれませんね。
東京駅ができるのは、明治の後の大正時代です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC% …
https://gnl.cplaza.ne.jp/walking/info0006.html

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この回答へのお礼

とても丁寧に開設して頂きありがとうございました。
確かに、大森に向かうのでなければ、目黒川に沿って品川に接続するのは自然だったかもしれません。
ありがとうございました。

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No.1ベストアンサー10pt

開通当時は、東京駅はありません。

こういう連絡線は、旅客列車よりも貨物列車を重視して考えましたので、新橋(当時の東海道線起点)から東北方面への貨物列車の運転を主眼に考えたのでしょう。この当時は田端操車場はありませんでしたから、高崎線と東北線の分岐点である大宮に貨物列車を向わせる事を考えたのでしょう。

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