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取り留めの無い質問で すみません。
(回答があるものとは 思っていませんので アドバイスをください。)

半年前に、
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=79824
で 質問させていただきました。

なんか またまた わからなくなってきました。
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別にお金が一番で生活しているわけではないのですが、何かの活動をすると「お金の工面」の優先順位が高くなってきてしまいます。
労働そのものの価値が認められず 「お金」にならないと意味が無い世の中が「資本」主義??11月23日は 「勤労」感謝の日でしたが(これについては、http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=171090 で 遠回しに質問しました)

「資本」主義社会における ボランティア、福祉活動、奉仕活動とは なんなんでしょうか??

と悩みつつも こどもたちとの活動は続いております。
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先日 深夜のTVで 「エンデの遺言」を見ました。
(NHK 再放送)
「資本」(お金)主義について 考えさせられます。
参考資料(本など)がありましたら 教えてください。区立図書館で探しましたが10冊程度しかみつかりませんでした。(地域通貨、コミュニティなども含めて)

A 回答 (4件)

>「資本」主義社会における ボランティア、福祉活動、奉仕活動とは なんなんでしょうか??


に対する私の意見を述べさせていただきます。
前回の質問も拝見させていただきました。
質問の内容を逆転させて考えています。
人間の生命活動における経済主義とは・・・。
私の生活の根源にある考え方は「結い」です。
ご存知とは思いますが、集落単位の労働力の貸し借りです。資材を伴う時もあります。
わかりやすい例が「萱葺き屋根の吹き替え」です。
集落の一軒で屋根の葺き替えをする場合、集落に住むすべての住民が自宅に貯めていた萱を持参して、葺き替えに従事します。
義務ではありませんし、労働に対する対価も支払われません。
自分にもやがて恩恵が来ることがわかっているからです。
貨幣経済が発達する前のことを考えたほうが、結いの存在意義がよく理解できると思います。
自分の生活は自分で守ることが大前提です。
百姓ならば、百姓の名の通り自分でやることができることはすべて自分でやります。
百の名を持つ、すなわち百の技術を持つということです。
しかし、なんでも自分でできるわけではありません。
集団の利益として必要な活動も生じます。
たとえば、水路を開ける、道を開けるなどが当てはまります。
いわゆる公共の利益というものに該当するでしょう。
この当時に現在のボランティアを当てはめるとどうなるでしょう。
大概の方はボランティアには参加しません。
できないといった方が適当でしょう。
自分が生きていくだけで精一杯なのです。自分の生活に利益をもたらさない活動に労力を割くだけの余力がありません。
「結い」と「ボランティア」の違いは、労働力を提供した時の見返りの有無です。
見返りを求めるといっても、現代のように目先の利益にはこだわりません。
自らの生命の維持に有益か、巡り巡ってでも生活に役立つかどうかが大事です。
例にあげた『屋根の吹き替え』などは数十年に一度訪れるかどうかという気の長い話です。
諸外国におけるボランティア事情には精通していないので、国内の身近なボランティアを見ての意見となってしまいますが、ボランティアには何らかの余力を要求されます。
自分の生活に精一杯の人が参加できる余地がありません。
結果として余裕のない分を『経済的保障』として受け取ることになります。
私が携わっているボランティア活動の一つに「クラフトフェア」の開催があります。
全くの個人開催ながら、県下でも有数の集客人員があります。
私もクラフトマンの端くれですが、自ら出店することはありません。
できないといった方が適切です。
日本全国から200人を超えるクラフトマンを選び出し(基本的に抽選)、数万人の客さんを受け入れなければなりません。
これを仲間3人とともに企画運営しています。
もちろん無報酬です。
しかし、私はこのボランティア活動は「結い」として位置付けています。
自分の住んでいる地域に、手づくりのものの良さを知らしめ、人間が古来から営みとしてもち続けてきた『生業』の本質を見ていただくことにより、地域の文化的素養が向上します。
自治体の文化レベルも向上します。
結果として私の仕事にも好影響を及ぼすかもしれないからです。
私は現在経済主義を否定した生活を、経済主義の社会の中で如何に取り入れていこうかと試行錯誤しています。
人里はなれたところでの『自給自足』ではなく、人里で金銭欲に駆られずに人として生きる術を探しています。
目指すところは百姓になりそうです。
地の利を活かし、生活に必要なものを得、他者が必要とするものも地の利から作り出す。
そのお礼として、私が作り出せないものをいただく。
私の必要としているものを他者が提供できない時には『兌換券』として金銭を頂戴する。
お金の発祥の原点に返ろうと思っています。
ボランティアも本来は、結いの精神に則るべきだと思いますが、日本に結いの精神が消滅しかけている現状では、共通の意識をもつことは難しいと思います。
ボランティアなどと訳のわからない言葉は止めて『結い』と、日本人らしくいってもらいたいと思っています。
結いとは助け合いということになると思います。
結いがあって、その上にほんの少しでも余力があって、心意気がある者が、手弁当で参加して初めて「ボランティア」となるのかもしれません。
ボランティアに参加するものの精神の問題であって、かかる経費の処理方法はたいした問題ではないと思っています。
もっともっと人が生きていくということに真剣になって取り組まない限り、ボランティアは安っぽいものとなってしまうでしょう。
そのためにも、人間という種が、地球が存在する限り生を維持できるためには、今の私達が何をやらなければならないのか、どのような『結い』が必要とされているのかに関して考えるべきでしょう。
現代の資本主義、経済社会は人間の「種の保存の法則」に反していますから、種の保存に則るべきボランテイア活動とは、相反する関係といえるでしょう。
これが私の結論です。

この回答への補足

早速ありがとうございます。
「資本」主義社会は、「資本が一番」であり 「人」とかを2の次にしているということですよね。
難しいことはわかりませんが、(人でも動物でも環境でもなんでも良いのですが)相手を「認識する」ことだと思います。人間で言えば「私があなた で あなたが私」。こういう部分が ちょこっとずつでも 想像=imagine できれば 人間的なのかなぁと思います。
私は 大企業の従業員なので まさに (自由)「資本」主義社会の真っ只中におります。rakkiさんのように 「農業」までは できないと思っています。PTA活動がせいぜいです。
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今 本を読み始めたところで 「へぇー」「ほー」って感じです。エンデのインタビュみたいなのとか フランシス・フクヤマとか。あと 博報堂の open money(Let's)について(広告)を読んでいます。でも 読んでるだけです。自分の考えかたが変わるかもしれない予感はします。
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「資本」主義社会でなかったら ここまで 科学は進歩しなかったと思います。もちろん進歩した代償として環境(次世代)にものすごい負荷を掛けていますが・・・。

補足日時:2001/11/29 12:41
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ボランティアの元の意味はは自らすすんで行動することであって、奉仕活動ではありません。

労働組合の専従役員のように、その方が効率的に組織が運営されるならばボランティア団体の役職にある人がお金をもらってもいいと思います。

ボランティアにはある目的があります、それを実行するのに既存の役所や企業に頼んでも費用などの問題でできない時に、奉仕活動という手段を使って実行するのです。と以上のように考えるのはどうでしょう?なおボランティアは最初以外はほぼ日本でのボランティア、つまり奉仕活動・福祉活動の意味で使いました。

この回答への補足

ありがとうございます。

http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=79824 は 読んでいただけましたでしょうか??
pfmさんの ご意見と似ていると思います。(私の考えが)
(でも 「実費」(運営費)が掛かる場合に、その対象者やそれに近い領域の方々にお金を要求する という 私の考え方は間違っているかも知れません。)
【でも 多くの皆さんは (ボランティア=)「無償」を唱えております。】

更に この質問では ボランティアを「はたらくこと」へ透過させてみました。
エンデの考え方(まだちょっとですが)を知って なんと言うか ボランティアを実行するために 「お金」がかなりの優先順位になってしまう自分の考え方に限界を感じました。人が自分でない人のために存在するものならば お金など関係ないのではないだろうか?と。人と関わりたいから ボランティア(能動的な活動)をするんですよね??人が人と関わるために存在するものならば、何故 その行動にお金がからんでくるのか??

そうか エンデの言う「2つのお金(株式市場を廻る資本と 日常使うお金)」のうちの 「日常使うお金」がボランティアなどに関わるお金のことかぁ・・・。
でもそうなると そのお金を「政府(役所)」「企業」など 資本主義そのものの側からもらってくるとなると どう解釈してよいのでしょうか??(政府はお金を発行し管理しているし、企業はそのお金を資本として利用している)

なんか わからなくなってきました。
また 考えてみます。ありがとうございました。

補足日時:2001/11/30 08:11
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どうもその節は・・・



ボランティアと資本主義ですか・・ そうですねぇ やはり「生きる」というのに余裕ができたからこそ考えられるのではないでしょうか?
>別にお金が一番で生活しているわけではないのですが、何かの活動をすると「お金の工面」の優先順位が高くなってき
>てしまいます。

が現実だし、事実だと思いますよ。もうこうなると哲学的結論も出てくるとは
思うのですが、究極は人間も地球構成生物の一つと考え、動物も食べるけど
動物に食われる、疫病で大量死する。地球のある部分でしか生活できない。
種の保存のみのために生殖行動を取る。
こうなったら資本主義もボランティアも何もなく、ただそこに星があるという
状態でしょう。

ヒトは文明を知り、持ちました。それを発展させ伝承させることを神と約束
したのでしょう。だから唯一動物を殺してそれを食しても許されるし、ヒト
の命は地球よりも重たいのでしょう。

その発展、伝承させるための手段が「生きる」ことなんでしょう。そしてその
生きる方法の初歩が「自給自足」だったと思います。
時は過ぎ、自給自足から役割に応じた負担となり、その負担の度合いを「お金」
というもので図るようになったのでしょう。

お金をどう稼ぎ分配するかの方法の一つが「資本主義」なんでしょうね。
日本の学校では「資本主義」を徹底的に教えます。だから資本主義しか知らない
のでしょうね。

資本主義はやはり「お金」が基本です。皆、そのお金を稼ぐために働くのでしょう。

そして富を得たものが得られないものへ施す、ボランティアはこうやって産声
をあげたものと私は理解しています。
ですから見方によってはボランティアは傲慢にも見えます。が、インドでは
施しを受けるのも立派な権利と思っている宗教もあるようです。だから
「バクシーシ」は正当な労働であり、主張なんでしょう。

日本はこういう経緯よりも「お互い様」という互助の発想からボランティア
(むしろ助け合いかな?)がはじまったと思います。だから無償だしお互い
だし、全員参加なんでしょうね。

こういった質問が出るというのは「わかってきた人が多くなってきた」という
ことなんでしょうね。
長文でスイマセン

この回答への補足

ありがとうございます。
(愚問にお付き合いありがとうございます)

(自由・社会など)資本主義が世の中のほとんどなんでしょうね。(社会は10年前に潰れちゃいましたけど)
もし 本当に学校で「資本主義を徹底的に教えるなら」学校で『お金』の勉強を教えならないと思うのです。でも 『経済学』はあっても 「お金の使い方」は無い。(ゲームで株式を運営したりするのはありますが、まだまだ少ないし。ましてや小学校などの初等教育には導入されていないと思います。)
でも 1番目のかたが言われるように「全部のことを自分ではできない」し「物々交換でもない」わけで 『お金』は必要だと思います。(日常生活のお金)
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私はPTAしかやってないんで そこに戻っちゃうんですが(ごめんなさい)、これからの初等教育は、「学校・家庭・地域」だとよく言われています。やはり 資本主義のお金 は、教育現場にはなじまないと思うんですよ。(元々 教育は NPOだから)そうなると、資本主義のお金ではない 『地域通貨』をPTA活動などに導入すれば良いとおもうんですよ。(ホントにそうなか??)
でも 「学校・家庭・地域」に共通する 人間以外の項目は「お金」があると思うんです。それなのに 「お金」を組み込まないのは とても無理があると思うんですよ。(無理(表裏)があると こどもたちはすぐに見抜き、バカにします)
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資本主義を否定するわけではありません。経済学を学んで 資本主義を運営している方々を非難するつもりもありません。
ただ 教育現場と社会(資本主義)の乖離 が 大きすぎ、ゆとりの教育・生きる力などと旗を掲げながら、「お金」という 現実に対面しないあり方に疑問を感じています。
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ごめんなさい。(謝ってばかりですね)教育問題になってしまいました。

補足日時:2001/12/03 08:04
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この回答へのお礼

みなさん ありがとうございました。
そろそろ〆ます。

散々 いろいろな団体や学校などに質問して いろいろとアドバイスを戴きました。
地域通貨にもいろいろな種類(やや商業的、やや非営利的など)があることもわかりました。目指しているものは同じでも いろいろとあるのですね。
「形から入るのもおかしいかなぁ」「いきなり大きな集団に対応できるかなぁ」「考えてばかりいても仕方ないなぁ」と思い、現在 家庭内でやってます。
完全非営利状態です。(爆)

また いろいろと気づくと思います。そのときは アドバイスをお願いします。
とんとん拍子なら 質問しないと思います。

お礼日時:2001/12/11 17:55

再度登場のpfmです。

「エンデの遺言」は見ていませんが、『質問:「ボランティア」の意味合いについて教えてください』は拝見させてもらいました。

ワタクシが思うに日本人は奉仕活動は無償という事にとらわれ過ぎています。例えばオ●ムの人は資金作りのためにほぼ無償で働いていましたよね。これを奉仕活動とは言えません。徴兵制度のある国では軍に入らない人は奉仕活動をやります。そういった意味では義務感があります。

さっぱりまとまりませんね。奉仕活動を円滑に進めるためには有償でもいいという考え方に反対の人は、天下りの役人などが頭に浮かぶのかもしれません。とにかくワタクシは奉仕活動はあくまでも崇高なる目的があるので、その手段には拘りたくないという立場をとらせてもらいます。sinjiroさんの考えの参考になればいいのですが、これではダメですね。

この回答への補足

ありがとうございます。

「奉仕」は あまりに 『崇高』ですよね。
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PTA活動したら、その代償が欲しい。それが、PTAのお祭りで 100円のうどんを半額で食べられる程度のものでもいい。と思っています。
でも こんな風に言うと「あいつは 代償が欲しいからPTA活動している」って思われてしまいがちです。極端には「道で転んだこどもを抱き起こすのにもお金が欲しいのか??」って 感じです。(お笑いではないんですよ)
そんな 数秒で終わってしまうことなら、お金なんて要りません。でも、時間を割いて企画して、準備して、会計して、報告して と それなりに頭を使いやってます。なら、その代償が欲しい。
「好きでやってるんでしょう??」とも言われますが、じゃあ 「芸術家」ってどうして お金儲けできるんでしょうね??政治家だって、理由がどうあれ「好き」だからやってるんだろうし。
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なんか こんな話ができる フォーラムとか 集まりをどなたか 教えてください。
(教員とかで こんなことを考えてる集まりでも構いません。私は 民間のメーカー勤めだから 参加できないかな・・)

しばらくして この話題を〆て、「経済」のほうで 地域通貨としての質問してみようと思います。(地域通貨と教育 ってとこですね)

補足日時:2001/12/03 08:34
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