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どうして広島と長崎に原爆投下したんですか?
他にも候補地がいくつかあったみたいですが・・。
東京、川崎、横浜とかも入っていたんですよね。
広島に落とすより、東京に落とすほうが意味があるような気もしますが・・・。
気象の関係と言うことも聞いたことがありますが、わかりません。

A 回答 (12件中1~10件)

下記リンクの中の「原爆投下都市の選定理由」に書いてあることが、私の知るところと概ね一致しています。



その中にあるように、長崎に原爆を落とした時は、小倉が第一目標であったが、小倉に落とせずに長崎に落としたとされています。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%88%86# …

日本に対する都市無差別空襲について、下記の本が参考になりますので推薦します。「京都が空襲されなかったのは、文化遺産を惜しむアメリカの配慮」というのが根拠のない俗説であることが論証されていますが、「空襲の優先順位」などについても分かります。

日本の古都はなぜ空襲を免れたか
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31002714

「東京、川崎、横浜とかも入っていたんですよね。
広島に落とすより、東京に落とすほうが意味があるような気もしますが・・・」

日本の主要都市は、昭和20年8月にはほとんどが焼け跡になっていました。東京も川崎も横浜も徹底的に空襲されて、燃えるものが既にない状態でした。

原爆の投下候補都市は、「ある程度大きく、かつ大規模な空襲を受けていない都市」として選ばれたようです。
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「京都に原爆を投下せよ」(吉田守男 著、角川書店)


http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4048210 …
によると、京都に落とすかどうかは長い論争があって、削られたり復活したりをくりかえし、結局「最初の二発」については除外、かわりに長崎をいれ、広島、小倉、新潟、長崎が最初の二発の目標となった、とあります。これをはずしたのは#11さんの仰る通りスチムソンですが、原爆を落とすことそのものの決定もスチムソンたちのしたことです。
結局最も重要なのは「戦後の対ソ連関係」であり、それを軸に考えて、例えば「核兵器の実使用実験」「戦後統治の有利さ」「終戦の早さ」を考えたわけですね。その結果皆さんの仰るあれこれがあって、この2ヶ所に落とされることになったようです。
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原爆の投下候補地は、被害を確認するためにそれまで一切の爆撃をしていない都市が選ばれました。

というより、原爆のために残してあったというのが正解のようです。
8月9日の爆撃目標は「小倉」でしたが、その数日前に八幡の製鉄所に爆撃をした影響で、火災の煙が小倉の町を覆い、爆撃を諦めました。
爆撃は目標を目視して爆撃する命令だったからです。
そのため、第二目標の「長崎」に移動しました。
しかし、長崎は雲に覆われていて、命令どおりなら爆撃を中止して、海に原爆を投棄して帰還しなければならないはずでした。
しかし、爆撃機は原爆を投棄する事を躊躇し、命令に反してレーダー照準で原爆を投下しました。
長崎の原爆が長崎の中心地ではなく町の外れに爆心地があるのはこのためです。

京都が候補から外れたのは、陸軍長官スチムソンが日本人の心の故郷である京都を破壊する事で、戦争終了後に日本人の心がアメリカを憎むあまりソビエト側にいってしまう事を懸念したためです。

東京が候補地ではないのは、原爆完成までに爆撃を繰り返しすぎて、原爆の威力を実験する事に適していなかっただけの事です。
アメリカは戦後、戦略爆撃調査団という調査チームを送り込み、爆撃の効果を事細かく調査しています。この報告書は国立国会図書館に納められています。
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長崎は判りかねますが、


広島は、出勤時間や通学の時間帯を狙ったと考えても
おかしくはないです。

人々が移動する時間帯であり、爆心地からの距離に応じて、
被害の程度も把握が出来ますね。

この原爆投下時の被害データはアメリカ軍が集めたはずですね。
(未知の破壊力ですから。)

たしか、広島には軍需工場があったのでは。
(理由付けがしやすい)

長崎は日本のキリスト教の場所ですね。
不思議な、因縁めいて・・・。
長崎は本当に不思議ですね。
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No.7です。

ちょっと訂正。

× 基本的に軍事的に異議のある場所が目標です。
○ 基本的に軍事的に意義のある場所が目標です。
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基本的に軍事的に異議のある場所が目標です。


長崎は、小倉が天候不良のため目標変更され爆撃されました。

新潟は航続距離の関係から外されました。
京都は古都であるため、スチムソンの反対で外されました。
(その代わりに長崎が爆撃目標になった)

広島は、兵站基地として最初から目標になっていました。
小倉は小倉造兵廠があったためです。
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諸説ありますが、


○人口密集地
○直径3マイル(4.8km)の円が描ける程度の市街地の広さがある
○日本人に心理的ショックを与え、戦闘意欲を消失させられるような重要性をもつ都市
○爆風によって最大の効果を発揮しうる地形をもつ
○原爆の威力を正確に測定するため、まだ空襲の被害を受けていない
○二重の目標(軍事施設と住宅密集地)をもつ
の条件を満たしている場所で選別されたとの事です。

小倉に落とす予定が天候不順で長崎に変更されたという説もあります。
「経験者」で投稿したのは、私が被爆二世だから。幼少時は学校で原爆教育を受けています。
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まずはじめに、ここで申し上げることは、あくまでひとつの説なので、確かなものかどうかはわかりません。

真実を知っているのは当時のアメリカ政府の関係者だけです。ただ、一般的に有力視されている説ですので、参考にはなるかと思います。

1945年7月、アメリカの軍司令部は、原子爆弾の投下候補地として、広島・小倉・京都・新潟を一次候補地として選定しました。が、京都については、盆地で人口が密集しており、破壊力のデータ採りには恰好の場所だった反面、歴史的文化財が多数存在し、不利な外交を行わなければならなくなる点や、軍事的にはたいして価値がない、などの理由ではずされました。変わりに加えれらた第二目標が長崎でした。

そして、広島は1.軍事的に重要な施設が密集していながら、大きな空襲を免れていたこと 2.平面的な地形であったことの2点から、最終投下目標とされました。
長崎については、当初の最終投下目標の小倉付近の天候が曇りで、目標を確認しにくい点から突然変更されました。が、ギリギリまで小倉へ投下するつもりだったらしいです。なお、長崎が第二投下目標とされたのはもうひとつの最終投下目標地である広島と対照的な、お椀上の地形だったためです。
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 空襲の被害をあまり受けていない大都市で、軍事的(重工業・経済)な価値が高いことでしょう。

当初の予定地は「広島、小倉、京都、新潟」でしたが、京都は軍事的価値がないので除外されました(文化財保護という説もありますが、根拠は薄いようです。逆に盆地だから候補に挙がったともいわれます)
 広島・小倉・新潟のいずれかの都市で、1度目の気象条件が揃っていたのが広島。2度目の小倉は気象条件が整わず、長崎に変更されました。平野部の広い広島に対して、デルタ状の長崎を投下することでより詳しい被害データが得られるとの考えでしょう。
 なおアメリカ軍は戦後のことを考えて、東京への爆撃する際も、政府中枢や情報機関などは攻撃目標から外していたようです。無政府状態になるのは統治上困難になるからですね。
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幼い頃、私はとある候補地は曇り空だったので、原爆を落としてもその効果が記録できないとのことで、その時広島は晴れていてので落とす位置を広島に変えたときいたことがあります。

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