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親だけではなく他人まで殺す、少年の犯罪が続発しています。
役人や識者は、学校・地域社会が取り組み対処しなくてはと言います。
町田市の高校生の事件では校長先生が謝罪していました。学童に問題が
生じると直ぐに全校集会と父兄への説明会です。

仕掛けた方の人権・プライバシー尊重の世の中とはいえ、親の育て方に
関する報道が一切ないのは異常ではありませんか。
この問題を抑制しようとしたら「親が如何にそだてたか」が大きな
課題だと思いますが偏見でしょうか。

原因は諸事複合しているとはいえウェイトには差があるのではありませんか。
学校ですか? 地域社会ですか? 教育行政ですか?
教えて下さい。

A 回答 (10件)

 私も同感です。


 私には子供が二人ありますが、”どうやったら人を刺せるような子に育つのだろう”と思います。息子は買い物に行けばカゴを持ってくれますし、娘は家では自分の部屋より私のそばでテレビを見てる事が多いです。最も娘の部屋にテレビがあれば、部屋にこもるのかもしれませんが…。16歳少女の薬物実験の事件の時、そんな娘を見て「あほでいいわ!」って思いました(苦笑)
 ある時 車の窓からタバコのフィルム部分を窓から捨てるのを見て息子は「なんであんな事するんやろう?」と言いました。私は「親もするんやろ」と一言。道路の脇などに捨てられたゴミを見ても腹立たしそうに同じような事を言います。シンガポールなどのようにゴミを捨てると罰金の国もありますが、罰金制にしなくてもクリーンな町にすべきだと思うのですが…。こういう感覚も育った環境などで変わるのでしょうね。「車のポイ捨て禁止」なんて張り紙もありますが、子供の方がそういう事はできるから大人の方がマナーが悪いって事ですよね。子供は悪い事を真似したがる所があるので、結局は大人が悪いって事なのだと思います。
 かつて息子のクラスでは、給食から薬物が出て、ニュースにもなった事があります。その時保護された少女の親は、”切れたらびっくりする程人が変わる”と事件前に聞いてました。その少女、家や近所では良い子だったそうです。
 やはり、子供の行動は家庭環境から生まれてくる事が多いのだと思います。
 あの時も校長先生がぺこぺこ頭を下げて、大変気の毒に思いました。基本的に校長が生徒を育ててるわけではありませんし、学校内では、校長より担任がその生徒の事を把握しているはず。校長は代表にすぎない。
 博多で6年生が同級生の首を切った事件の時も、加害者の親はどうしてるんだろう?って思ったのを覚えてますが、加害者を守りすぎですよね。
 この件を語りだすと熱くなってきましたので、この辺で…。
 
 
 
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この回答へのお礼

ご丁寧な回答、有難うございました。
近所にもお子さんは大勢居ます。小さい時から社会人になるまで見ています。
まともに何人もの子供を育てられた家庭を見ると、何がポイントなのかなぁと、
思います。
横にふらついても、ひったくり・いじめ・万引き・喫煙ぐらいですよね。
人を殺すとなったら入校以前から蓄積されたものを検討せざるを得ないと思うのですが…。

お礼日時:2005/11/15 08:25

教育には家庭での教育.学校での教育.社会での教育の3つがあります。


家庭での教育は.人と人との一対一の対応の仕方の教育
学校での教育は.人と同年代の人との一対多の対応の仕方の教育
最後に社会での教育は.人と異年代の人とのI対他の対応の仕方を学ぶ
だから.文部省の所轄で「公民館」とか「聖人学級」とかの生涯教育が設けられている。

というのが.学芸学部の何の教科書か忘れましたが.その一説です。

「少年」がどの年齢化わかりません(忙しくてラジオを細菌聞いていないので)が.学校でまともな内容を教えていないからでしょう。
親は.学校に通わせることで教育の義務を果たしています。残るのは.子供の行為によって発生した民事負債の支払い責任です。

ひとつ注意点として.
「少年の犯罪が続発しています。」とありますが.対した件数ではないでしょう。昭和30年代.ある中学校で.ほとんど全員の生徒がドスを持ち歩く状態でした。もちろん県下になれば使います。週1-2件傷害事件があった(学校内で処理したために警察は関与せず)のです。
中学校で.就職生徒と進学生徒を分け隔てなく教育した教員がいたからその中がっこうでの事件が減ったのです。
近年のゆとり教育では.「優秀な生徒は学習指導要綱どおりの教育を行う」。待遇を取って.「優秀ではない生徒は教育しない」という方針から.優秀でない生徒が非行化するのは当然です。
つまり.ゆとり教育の成果として.非行化が現れてきています。当然の結果です。
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この回答へのお礼

真摯に回答を頂き、このようなことを記するのは失礼だと思いますが、
学の無いただの一般人だ者ですからお許しください。
野球で言えば親が先発投手だと思います。学校は後発投手で、先発が
滅茶苦茶に打ち込まれたらカバーのし様がありません。カバーできる
のは少々の失点か、恵まれた友人による打撃力ぐらいでしょう。
親がしっかりしたコミュニケーションを育めば、行政も法律も介入する
余地はあまり無いと思いますが…。
江戸時代は教育論も心理学も無かったけれども、子供が人を殺すケースは
それほど無かったのではありませんか。
お世話になりました。

お礼日時:2005/11/15 09:38

私は、加害少年がどういう環境で育ったか、どういう教育を受けてきたか、を報道することに意味があるとは思えません。



確かに、親の教育が悪かったことが、加害少年の犯罪に繋がっている可能性はあるでしょう。高いとも思います。
しかし、その教育が「加害少年にとって」悪かったとしても、他の少年にとっては良い教育かも知れません。人間、それぞれに性格、個性、環境は違います。
「ちゃんと叱られていない」という意見がありましたが、確かに、叱られていないために犯罪に手を染める子どもはいるでしょう。しかし、逆に、過度の躾によって鬱憤が蓄積し…というのもあります。例えば、昨年6月の佐世保の事件などは、そのような報道もされています。
これをマスコミで報道した場合、視聴する我々としては「この教育方法は、全ての子どもに悪い」と感じてしまいがちです。それは、教育方針、教育方法の選択肢を狭めてしまうだけで、却って悪影響があるのではないか、と感じます。また、一方で、同じような教育を受けた子どもは「犯罪予備軍だ」などという偏見すらも植え付けます(これは、すでに「ひきこもり」などに対して行われ、却って「ひきこもり」を追い詰める結果になりつつあります)。

勿論、これは親の教育に限りません。何か犯罪が起きるたびに、犯人の行動の一部を見つけて「あれが原因だ」という安易な原因究明が行われます。しかし、それに意味があるとは到底思えません。却って、差別を助長し、社会敷衍を煽っているだけといえます。

ちなみに、犯罪の凶悪化、というものが質問の前提になっているようですが、実際のところ、そのようなものを裏付けるデータはありません。「少年犯罪の報道が続いている」わけですが、「報道が」続いているだけ、とも取れます。
河合幹雄著『安全神話崩壊のパラドックス』、小笠原喜康著『議論のウソ』なども一度、目を通されることをお勧めいたします。
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この回答へのお礼

理論的にいろいろな角度から物事を視るべきとの
ご意見、有難うございました。

お礼日時:2005/11/15 09:25

社会そのものだと思います。



でも親でしょうね。
親が居なければ子どもは成長できませんから。

親の育て方に触れないのは儒教精神ではないかと思います。親を敬え。親の責任は追及されないものです。
しかし、国外になると何故か親どころか、一族郎党責任を追及されます。
その例がイラク入国して昇天した九州男児です。
公的機関でさえプライバシーを平然と無視しましたから。

日本は親がわめきすぎです。
そのおかげで父兄会をいちいち開き時間の無駄を喰う。
会社でも部下より上司の言動や行為が多い。

こんな人間が巷に溢れているのですくすく育つ子どもの方が少ないと思います。
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この回答へのお礼

回答、有難うございました。
私の質問の意図は、発生者の親の育て方の中から原因となるものを
探り出せないか…でして、責任追求は二の次、三の次なのです。
事故の生じた学校で集会を開いていますが、私に言わせれば、集会を
開いて対策を立てるのは他の学校だと思っています。事故は同一校で
繰り返されることより、思いもかけず初めて発生するものではありませんか。
多数の事例から、加害者を育てた過程を洗い出してみる試みぐらいは
あってもよいと思うのですがね。

お礼日時:2005/11/15 09:22

 最近読んだ「誇大自己症候群」という本が興味深かったです。



 ごく簡単にかいつまんでいうと、乳幼児に見られる「自分が世界の中心である」という認識から脱しきれないまま成長してしまった人間が増えているのではないかということです。

 それにはいろいろと要因が考えられ、一言でこれが原因だといえるようなものではないでしょう。

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480062 …
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この回答へのお礼

物事は多角的に見ることが大切ですよね。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/11/15 09:05

私の主観ではありますが、今日の少年犯罪の助長の根源は、ネット環境、親の教育、マスコミだと思います。



ネット環境下では様々な事が閲覧でき、会話(コミュニケーション)を取らないで自分の意見を文字だけで伝え、親が親としての躾けを放棄した状態(野放し)に、学校側で教育の一環でちょっとでも手を上げようものならばマスコミに取り上げられる。

この3つの要素が連鎖して現代の少年犯罪の増加を助長していると思います。
私が学生の頃は携帯電話も無く、友達に電話するにも
親御さんを通して。不在であれば用件等を伝え親御さんともコミュニケーションを取っていたものです。

今では携帯で本人に直接、話すのが面倒であればメールで伝える。これではコミュニケーションなんて取れないです。

勿論インターネットなんて物はありませんから、解らない事があれば親や教師に質問し、聞きづらい事なんかは本で調べたり等々したものです。今では検索を掛ければ人の手を介さず何の苦労もしないで色々な事が調べられます(インターネットで何でも調べられるのは最大の利点ではありますが、諸刃の剣でもあります。)

今の中学、高校生のお子さんがいらっしゃる親御さんの世代は私が学生だった頃にいわゆる「新人類」と言われた世代です。物事に対する価値観や考え方が
従来の大人達(当時の大人です)と違った考え方をもった若者達です。
昔でも確かに少年犯罪は有りましたが、今よりは少なく、残虐性のあるものでは無かったと思います。

親として最低限の躾けや道徳を教えられない、もしくは親御さん自身が道徳を知らない、子供を持つには知識や教養、道徳が不十分なまま子供を生んでしまったというのは否めないと思います。
そして何よりも過保護過ぎると思います。
学校で悪さをして、教員に平手打ちをされれば体罰と体罰と騒がれ。

昔(昔の例えばかりで申し訳ないですが)は親が家庭で教育しきれない事を先生にお願いしていたものです。言う事を聞かなければ引っぱたいてでもお願いします等々(体罰を肯定する訳ではないです)。

これではまともな教育が出来る訳がないです。
そしてその親の甘さに付け込んでくるのが最近の少年です。メディアに出てくる少年少女の口調や考え方を聞いて可愛げが無くないですか?口だけ達者になっている気がしてなりません。

以上の事は私の主観であります、勿論全ての親御さんや少年少女に当てはまるものではないですが、相当数が当てはまると思います。
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この回答へのお礼

回答、有難うございました。
純個人的には私もawabiさんと同じで道徳の復活が必須だと思っています。
周囲に配慮しない・係わらない、物を粗末にし捨てる、価値あるものを
敬わない、など言い出せば切がありません。
指摘される諸点もご尤もです。ただ、子供にとって何が最初に齎され、
何がウェイトが高いかを考えると親の存在が際立ってしまうように
思えるのです。

お礼日時:2005/11/15 09:02

未成年者の犯罪について保護者が一定の責を負うべきということには同意しますが,


親の育て方に関する報道が少ないのは異常だとか,
親の育て方が犯罪の主たる原因であるかのような見方には賛同できません。

近年の発達心理学や行動遺伝学の研究によれば,
親による意図的な教育が子どものパーソナリティ形成に及ぼす影響は
遺伝や偶発的学習の影響に比べれば小さいことがわかってきています。
また精神疾患や発達障害が犯罪の背景となっていることもありますが,
これも親の育て方だけで起きるものではありません。

犯罪事実に対する生育歴や家庭環境の影響は
警察,少年鑑別所,家庭裁判所などの専門家が
時間と労力をかけて調査することでようやく見えてくるものであって,
事件直後に報道機関が周辺取材をしたぐらいで解明できるものではありません。
予断に満ちた安易な報道を垂れ流すことは
世の偏見を増幅するばかりで百害あって一利なしです。
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この回答へのお礼

見解の多様性を示唆していただき有難うございました。

お礼日時:2005/11/15 08:51

今回の事件を含めて少年・少女が関わる事件については、いつも不自然に感じます。

しかし、現行の法律に基づくと加害者は人権を擁護され、被害者側が擁護されていない現実はどうしようもないように思います。

刑事事件の場合、加害者・被害者の間の問題としてとらえればいいのですが、加害者が未成年の場合、教育がどうの、学校がどうのという事態になります。しかし結果は、全ての対応が責任逃れの印象を受けます。

現在の家庭の多くは、3世代家族ではありません。その場合、両親(あるいは片親)だけでは、子供の教育は難しいという事実の現れとも言えます。学校や住宅近隣の手助けによる教育は望めないので、家庭内教育しかありません。他人との調和、我慢する、分相応の生き方、異性との交際などに関する教育ができていない、また教育する場所がないということではないでしょうか。しかし、これが我が国の現実なのです。

話が重複しますが、いったん事件が起こると加害者に対する非難がまず第一です。加害者が未成年者の場合、その次に親です。しかし、当事者が未成年の場合、親に対する非難は公になりません。学校・学校長に対する非難がいつも公になります。これも不自然です。結果として、生徒のことなど何も知らない校長が、管理職という立場で「言い訳」ばかりの会見をして、世間のひんしゅくをかいます。このような馬鹿な会見は止めるべきでしょう。

加害者の責任を追及することは可能でしょう亜。しかしその動機を追求しても、明確な答えはでないでしょう。凶悪な犯罪が未成年者によっても起こされうる社会になったということだと思います。従来の我が国の法律では無理だということではないでしょうか。未成年者の人権を重んじ過ぎると、逆に犯罪を生む結果になると思います。凶悪犯罪に対しては、厳罰で臨まないと犯罪は減少しないように思います。未成年者は、未成年者の分相応の言動をするようなルールを設定し、犯罪を防ぐ・再発しないようにすべきかと思います。
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この回答へのお礼

回答、有難うございました。ご意見はよく分かります。
原因を求める方向がずれているとしか思えませんよね。

ただ、私は非難するとか責任を問うのは後の問題で、この様な
事件を減らす大きな対策として「親の育て方」に注視すべきでは…
と思っているのです。

お礼日時:2005/11/15 08:49

この世は因果の法則で成り立っています。


「原因」があって「結果」が出てくる。

偶然に殺されたり、偶然に事故にあったりは
致しません。
すべてのものには、そのような事態になる理由があるのです。

今回殺された町田市の女子高校生は、
男子生徒に追い回され50回以上も刺されたようです。

女子生徒の母親には中絶児がいるのではないでしょうか?
中絶って「掻爬(そうは)」といって
器具を子宮口から体内に入れ、赤ん坊の頭、手、足等
バラバラにして殺してしまうそうです。
母親がお腹の中の我が子をバラバラにして殺したので
その報いを受け、生まれ出た我が子が刃物でバラバラにされたのでしょう。

ここの掲示板は、それぞれの人が自分の考えを、意見を表す処です。
自分の意見と違う、気に入らないからといって
すぐに削除を願う人が多くなってきました。
意見の統制?でしょうか?
恐い世の中になりつつありますね。
私の書き込みも
気に入らないからと削除願いがでるかもしれませんね。


原因は

>学校ですか? 地域社会ですか? 教育行政ですか?

も多少はあるかもしれませんが、
同じ環境の中にいながらも、何の災害にも
遭わない人もいますし、災害に遭わない人のほうが
多いと思います。
災害現場から無意識のうちにスルスル~と逃げだし、難を逃れる人もいます。

以上 私の考えです。
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この回答へのお礼

何事も運命だとのご意見なのでしようね。
有難うございました。

お礼日時:2005/11/15 08:41

そうなんですよね、被害者ばかり報道されて。


元々は親が育てた環境(親も既に病んでいるかも)なんだと私は思います。
叱るときは叱る。我慢もさせる。そこもきちっとしていない。
信念がないから、揺らいではっきりと叱ってやれない。

子供が手におえない年代になると「自分もそうだった」と逃げる。
ましてや、自分の子は。。と考えている。
そのあたりと、自分の子供がだいたい学校でどんな感じの事をしているのかとか、友達はどんな子かとか、そういうことを親切に(近所づきあいで信頼関係がある人が)言ってくれたりしない。
そういう関係の人がいない。
これは余計なお世話と取られ、逆切れされるからということが多いですよね。

学校では先生がまず子供を信じてない。子供の可能性を信じてやらない。
先生自信が子供であったり、自分の事で精一杯で、何が大切なのか、忘れている。
こういうこと全部、そして、社会が景気もよくならない、楽しいこと、心が温まるようなことがない。「殺伐とした」空気で明るい展望がない。

すべてが絡まって起こっていると思います。

でも、基本は「親子」関係と思いますよ。
なんで、片思いしていて、急に相手にしてもらえなくなって、刺すか。
そりゃ、自分だけのものにならないから、いっそのこと、見てるのも辛いし、殺してしまえ。なんじゃないかなあ。
極端から極端へ。中庸というものがない。

親子関係でも、何十種類のパターン(母と長男、母と次男、父親と長男などなどの組み合わせ)があって、そこにひずみが入った場合、気が付くのが遅いときもありますよね。
家族の誰か、特に父母の関係がうまくいっていない、会話がなかったりすると、いよいよ気が付かない。

結局は親が子供のちょっとした変化にたいして、鈍感なんでしょう。
見て見ぬふりかもしれませんね。

自分の思うとおりにならなくても、人は人。自分は自分。個性があって、いろんな人がいて。。というのがわかっていないんでしょうね。

生きていること自体辛くて、「夢、まぼろし」というぼんやりした世界に逃げ込むほど、繊細な人が増えてきているのでしょうか。

実はうちの息子(小学2年)も「別になりたいもんはないの、ママと父ちゃんと一緒にいられればいい」ですもの。。
ちょっと心配です。時々、「中学校に入るころには、自分で何が得意か、好きなものはなにか、やってみたいものはなにか、見つけておかないと、生きていくのが辛くなるかもしれないよ」、と言ってます(いいのかしらと思いながら・・。)

親も迷い、迷い、で生きていますから、漠然とした不安、混沌としたものが子供の心を暗くしているのでしょうか。
厳しいです。親としても悩むところです。
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この回答へのお礼

評論家や識者で親に触れたがぬ方が多いですね。でも心理学関係の
方は人間形成の基幹は幼児で出来上がってしまうと言います。
周囲とのコミュニケーションでしょうね。家族の方の性格や、近所付き合いが
開放的で、誰とでも話しをするのが肝心のような気がしますが。
具体的な回答を有難うございました。

お礼日時:2005/11/15 08:33

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