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カテゴリーが医療とは逸脱するかもしれませんが、一応医療に関する疑問なのでここに書きます。
現在ネット上ではワクチンに関する議論がなされています。
とりわけ乳児に公費を用いて接種するのを「人権侵害」「意味がない」などと盛んに言う方がおられます。特にその中で私が疑問に感じたのは、
「現在日本にほとんど存在しない疾患にも関わらず、機械的に全員に接種するのは良くない」「ワクチンは「社会防衛」といって集団を病気の蔓延から守るのが主眼なので、個人を守るものではない」
という意見が結構幅を利かせているような気がします。けどそれがそんなに悪いことなのでしょうか?

確かに現在出回っているワクチンが100%効果のあるものではないという事実は認めますし、不幸にして副反応により最悪の場合死に至る方がおられるのも事実です。情報を個々人が認識していくことに関しては私も賛成します。
だからといって、即座にワクチンを否定的に考えてしまうのはどうかと思うのですが…今後自分がワクチンに関し、どのようなスタンスで考えていけばよいのか教えて下さい。
自分一人で考えても埒があかないので、皆さんからご意見を賜りたく思い質問させていただきました。

A 回答 (7件)

既に公衆衛生の専門家から回答が得られているので、蛇足でしかありませんが、ワクチン一般を否定するということは大げさに言えば予防医学や公衆衛生医学そのものを否定しているようにしか思えません。

なぜなら、感染症というのは抵抗力の低いものほどかかりやすく、抵抗力の低いものほど重症化しやすいからです。それを未然に防ぐ学問な訳ですからね。

>乳児に公費を用いて接種するのを「人権侵害」「意味がない」
…答える言葉はありません。あまりに無知だからです。乳児は間違いなく自然免疫を持っておらず、不幸にして病原ウイルスに暴露すれば罹患の可能性が高いからこそなのですから。強制が人権侵害とする…これについては、いち医療者ですから何もいえませんが、危険をわかっていて放置する方がよほど罪深いと一般人として感じます。

>「現在日本にほとんど存在しない疾患にも関わらず、機械的に全員に接種するのは良くない」「ワクチンは「社会防衛」といって集団を病気の蔓延から守るのが主眼なので、個人を守るものではない」

ほとんど存在しないからこそ、自然免疫を獲得する機会が失われており、暴露の際の危険性、一人が罹患した際に回りに及ぼす危険性が増すのです。今回の『天然痘』騒ぎと根底は同じです。
ワクチンは社会防衛…その通りです。しかし何のために社会を守るのですか?個人が安心して暮らせるようにでしょ?それって個人を守ることと同じでないのかなあ…私は学問的に考えられませんが(法律は専門外)一般人として何も矛盾しないと思っています。

強制そのものは、『拒否する権利はそのまま残すべき』とも感じますが、希望者に公費を使うこと、公的機関がワクチンの意義について啓蒙することや、学問としてのワクチンの意義に関しては反対論者の意見に大きな反発を覚えます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
思うのですが、「人権侵害」云々と言う方々は、「強制=悪」「社会正義=個人弾圧」みたいな一種のステレオタイプな考え方に毒されているのではないかと勘ぐってしまいます。
ある方が「保育園で他の子にうつす可能性があるから、ワクチンを接種するようにと言われましたが、なんで他の子のためにうちの子が犠牲にならなければならないの?」みたいな意見を述べていましたが、これって単なるわがままではないのかと思います。けれどもそういう「わがまま」に同調する人が多いことにもっとビックリしました。

お礼日時:2001/12/01 23:36

「バイアスのかかっていない情報公開を徹底させることで、あとは個人の判断に任せるのがベスト」


「ある方が「保育園で他の子にうつす可能性があるから、ワクチンを接種するようにと言われましたが、なんで他の子のためにうちの子が犠牲にならなければならないの?」みたいな意見を述べていましたが、これって単なるわがままではないのかと思います。」
ともに理屈として成り立ちうるお話でしょう。しかし、歴史は極論が幸福をもたらさないことを教えているのかもしれません。判断のポイントとしては、
・その介入にEfficacyはあるか?
・EfficacyがあったとしてEffectivenessもあるのか?
・Effectivenessの程度は納税者を納得させるものであるか?
を考慮すべきかもしれません。
これらの知識は臨床疫学の教科書からも得られます。
また、副作用被害救済の手続きに携わっている人は、理屈だけでは納得できない思いをされていることがあるので、私たちが決めたルールに基づく介入により、有害事象などが発生した場合には、被害を受けたかもしれない方の感情に私たちは正面から向き合う必要があるのかもしれません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
私、疫学が非常に苦手でして(笑)うろ覚えなのですが、ワクチンの効果判定は介入研究によってなされていますよね?
けれども、ワクチンに反対されている方の意見は総じてあるパーセントで起こりうる「不幸な結果」が確実に存在するが故に、接種は行うべきでないという意見に集約されているように思われます。その考えに従った場合、介入研究を始める際の仮説が立てられなくなる(接種群が存在できなくなる)ように思えるのですが…用語の使い方、間違っていますか?
ただ受ける側の気持ち(を自分に置き換えて)考えると、自分や身内が万が一の事故に出くわしたらどうしようかというのも理解できるような感じもします。
しかしそこで停滞する限り、永遠に医学の進歩もありえなくなってしまうのではないかと危惧してしまいます。ま、反対論の方々は、そもそも「医学の進歩」という言葉に問題があると言ってますが…何せ中にはEBM自体を疑問視している方もおられるようですので。

お礼日時:2001/12/02 12:09

ご存知かとはおもいますが、MMRワクチン、はしか、風疹、おたふく風邪の予防に効果のあるワクチンとして一時期一般に接種されていました。

MMRワクチン(新三種混合ワクチン)は、三種類の病気を予防するのにひとつのワクチンを接種することで効果をあげれると期待されていたのですが、ワクチン接種後の副作用の報告がその後になって寄せられるようになりました。この詳細については、下記参考URLをご参照ください。

http://www.cat-net.ne.jp/~health/9/342.htm


おたふく風邪の予防に効果があるもののある者には、接種することで無菌性髄膜炎を引き起こす場合がある。副作用のリスクを考慮し、公費負担のこの予防接種が廃止になりました。任意(自己負担)の接種になっているのが現状です。

当時、ワクチン接種に一時期考えたことがあります。公的集団接種MMRワクチンを接種する場合と任意でおたふく風邪のワクチンを単独で接種するのとリスク的にはなんら違いがなてようにおもいます。ワクチンを接種しなくても、もし、日常生活において、おたふく風邪をひいてしまったら....無菌性髄膜炎にならない保証はどこにもない。おたふく風邪をひいて無菌性髄膜炎等の生命の危ぶまれる病状もしくは、重度の後遺症を負った場合、どこにもこころのやり場をもってはいけません。ワクチン接種は、公費負担か自己負担かそれによって、副作用が起きた場合の責任の所在をどこにもっていくかが問題になっているように思えます。公的であっても拒否は、できます。接種するかしないかは、接種を受ける側に決定権があります。家庭等の事情で、予防接種を受けさせたくても予防接種の種類によっては、高額な場合もあります、お年の近いお子さんが二人、三人といらっしゃるご家庭では金銭的負担もこれまたおおきいです。公的集団ワクチン接種=よくないこととは一概には言えません。

リスク、責任の所在がどこにあるのかと責任のなすりあいのようなことを続けてるうちに助かったであろう生命までもまたひとつまたひとつと消えていく。なすりあいに時間を費やすこと愚かです。起った事実は、事実と受け止め、次に何をなすべきかにを考慮し、自己に問うことのようにおもいます。

参考URL:http://www.cat-net.ne.jp/~health/9/342.htm
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話の内容としては初めから脱線してしますのですが、こういった問題はどちらが正しい正しくないの論議が、不必要に多くなぜ要るのか要らないのかといった本来の要因・見解から逸脱した論議に展開してしまっているケースがよくみられますね。



例えば、簡単には自動車による公害問題も公害を無くすには自動車に乗らなければいい訳ですが、そうはいかない問題も同時に含んでおり、意見が相反する立場の人はとりわけ、自分中心的な意見が多くなりがちです。コレは否定する側も肯定する側も同じだと言えます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
難しいんですよね、こうした議論でどの程度自分の立場を貫けばよいのか、私はどっちかというと日和見的なので混乱に陥ってしまいます。
まぁ、そうなるのは自分が持つ知識不足に原因があるのかもしれませんが…

お礼日時:2001/12/01 23:41

ワクチン論議でよく槍玉に上がるのがインフルエンザでしょうか。


この場合、乳幼児や老人の場合はワクチンを接種しない場合のリスクの方がワクチン接種によるリスクを上回っていると確信しています。欧米では、この考えが徹底していますネ(別に欧米至上主義ではありませんが、この件については合理的な考えだと思っています)。健康体の成人の場合は、感染したときに軽症で済むといったメリット位でしょうから、自由意志で受けるものであろうと思いますけどネ。

もっと広い意味でワクチンを含む予防接種一般で考えましょう

ポリオによる悲劇の激減
日本脳炎の減少
種痘による天然痘の撲滅
破傷風による死者の激減
こういった事実は目に見える成果といえるでしょう。

私は基本的にはワクチンを含む予防接種に賛成です。
そこに公費を使ったとしても、予防接種を行なわないことによって発生する疾病の医療費の公的負担よりも、国庫に対しての負担は少ないのではないかと思います。
実際に計算してみたことはないですが、患者の家族の負担も含め、予防接種によって大きく軽減されているものと考えます。

勿論、個々の選択の自由もあります。
また、接種によるリスク説明もきちんと行い、納得の上で行なうべきであることは言うまでもありませんネ。
以上kawakawaでした
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。インフルエンザワクチンですが、私は毎年受けています。
さて、ポリオ・日本脳炎等のワクチンに関して、私も目に見える成果が現れていると考えます。しかし、ネット上のフォーラムにおいて、これらのワクチンの副作用がやり玉に挙げられ、不必要であるとの意見が占めているようです。中には医師もしくはコメディカルの人と思しき人からも同じような意見がでることに違和感というか、なにか別の思惑があるのではないかと疑ってしまいます(考えすぎかも?)。
やはりインフォームドコンセントという概念を医療側・患者側両者が持ち、最終的には個人の選択に任せるのがベストなのでしょうかね?

お礼日時:2001/12/01 23:27

「情報の徹底化」と、「個人の選択の自由」の問題だと思います。


副作用は統計的には数万人に一人とか殆ど無いとかですが、それでも副作用が出た当人と家族にとっては100%ですから、それを社会防衛の一言で強制する時代に日本はないと考えます。

強制隔離等ともつながってきますから、強制はする時期でも、日本人の高教育状態から見て、選択は十分に出来るので、情報公開と徹底化により必要ないと考えます。

フォーラムなどでこの手の話は真面目に話せることも有りますが、感情的に成ったり、荒らしが入ってきたりでまとめ役の人は大変ですね。

お年寄りのインフルエンザワクチン投与は有効ですが、のんびりしている仕事で外出もしないような人で凄く健康な人なら必要ないでしょうし。

私の場合は、子供も含めて、その時の蔓延状態やそういう環境に行くかどうかで決めていますが、基本的に薬剤もワクチンも使わない事にしています。 患者さんは希望にもよりますし、薬を好きな?人も多いですし(早く症状を抑えたいとか、家族歴から必要などの個々の事情)皆事情が違います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
う~ん、確かに副作用が出た当人にとっては社会防衛云々と言われたところで、知ったことではないですよねぇ。
バイアスのかかっていない情報公開を徹底させることで、あとは個人の判断に任せるのがベストなのでしょうか。

お礼日時:2001/12/01 23:17

難しい問題だと思います。


例えば炭疽菌について。
日本にはほとんど存在しない病気で、すでにワクチン接種なくなりました。
けれどアメリカのテロのような例もあります。
現在26歳以下(自信なし)は免疫がありません。
27歳以上の人は無意味なワクチン接種受けたかもしれません。
けれど今受けててよかったとは思いませんか?
世界的に絶滅した細菌やウイルスに対しては必要ないけど、
世界のどこかにあるものに対しては、将来的に必要になるように思います。
うる覚えで調べずに書いてるので、年齢など間違いがあれば訂正して下さい。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
炭疽菌?もしかして仰っているのは天然痘に対するワクチン即ち種痘のことでしょうか?(ですよね?)

お礼日時:2001/12/01 23:12

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