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デュルケーム、マルクス、ウェーバーの共通点と相違点はどういうところでしょうか?できれば、文化概念や女性問題(女性の労働など)に焦点をあてて考えてみたいのですが。それともどの人か一人に絞って、考えてみてもいいですが。。。レポートを書くのですが、ポイントがわかりません。。。どなたか社会学に強い方、いらっしゃいませんか?

A 回答 (5件)

お礼の文章読みました。

なるほど。じゃあ、ちょっとだけ、アドバイスを。
一人に絞ってもよいのならば、マルクスの『経済学・哲学草稿』を中心に書くのは
どうでしょうか?
マルクスの理論は「民族」(文化とアイデンティティ)や「ジェンダー」(文化的社会的性差)の問題に対応できないかった、という解釈が一般的ですが、私の考えるところ、これを解くカギが『経済学・哲学草稿』のなかにあるような気がするのです。「類的存在」として「人間」を見る、というマルクスの視点を読みなおすことによって、あらたなマルクスの解釈が出きるのではないか、と考えています。
一読して、考えてみてください。参考文献を挙げておきます。

上野千鶴子1986『女という快楽』剄草書房。
 この中の「6、個の解放と種の解放」を参考にしてみてください。
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この回答へのお礼

早速ありがとうございます。
上野氏は、私も大好きなので、その線で迫ってみたいですね。
ただなぜか、私はその本を購入していなかったようです。
早速、読んでみます。ありがとうございます。
(実は私は今、海外に留学中で、購入に少し時間がかかります)
それでなんですが。
マルクスの言う「類的存在」が今ひとつ、理解できないんですが、教えていただけませんか?

お礼日時:2001/12/05 23:14

こんにちは!mamuku-でございます。

デュルケムとウェーバーの共通点と相違点について、もう一度、おさらいをしておきませう。
この二人をマスターすれば、社会学の8割を終えたと言っても過言ではないので、自分自身をも含め、おさらいをば。「個人と社会」という観点から。
デュルケムは「社会が個人をつくる」という視点から様々な現象を分析しました。
M・ウェーバーは「個人が社会をつくる」という視点から、人間の様々な現象を個人の行為を分析の単位として考察しました。
ついでに、ジンメルを。ジンメルは「社会が個人をつくる」でもなく、「個人が社会をつくる」という視点からでもなく、「はじめに相互作用ありき」との視点から現象を分析していきました。これは、個人も社会も実体のある絶対的に統一的な統一体ではなく、諸部分の相互作用の結果として相対的に統一的なだけであり、諸部分間の相互作用のみが実在的であるとする立場です。これを方法論的相対主義といいます。
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この回答へのお礼

いろいろありがとうございます。
mamuku-さんのおかげで、こういう古典理論に関心をもちました。
ありがとうございます。
今までいただいたアドバイスを意識しながら、冬休みは少しその分野の本を読んで見ます。
ありがとうございます。

お礼日時:2002/01/06 11:55

いや~、お見逸れいたしました。

基本文献は読んでいるのですね。それも現地語で。それも韓国とな。いや~binbouさんの関心事は私の関心事とかなり近いです。それも私は韓国朝鮮にも興味がありまして。ところで、文献を読んでいるということと、その本質を理解しているかということは、違うことだと思いますので、何かのアドバイスができるかもしれません。
私は上野先生の授業を一年受けたことがありますし(もぐりで)、文献もほとんど読んでおりますので、そちらの方の話も理解できます。
さて、本題ですが、課題文献のみを使って、オリジナリティのある論文を作るという作業ですが、やはり基本文献を読みこんでおく必要があります。そこから、自分の反論、違和感、疑問を提出するということがオリジナリティです。それに必要なことは、書こうとするテーマについてのベースとなるものに対する違う意見のものを読むという作業が必要です。だから、授業でもデュルケムとウェーバーを読ませているのでしょう。なんか私の言っていることは、釈迦に説法のような気もするのですが…。
別のテーマということですが、私ならば、ウェーバーならば民族論の再読というテーマで、デュルケムならば認識論(『宗教生活の原書形態』の序論)の再読、といったところでしょうか。しかし、正直こちらは難しいかもしれません。二次資料が使えない、引用できないということなので。
『家父長制と資本制』をヒントにしようと考えているならば、「再生産」という概念についてマルクスの言っていることを検討してみるというのはいかがでしょうか?
また、具体的な考えがまとまったならば、詳しくレスをお願いいたします。私も勉強になります。
補足ですが。私は学部で社会学をやっていただけで、大学院も出ていません。今は社会学や社会人類学を趣味でやっている程度ですので、あしからず。

状況などを具体的に書いてくださり、ありがとうございます。
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マルクスの「類的存在」の意味するところは、是非とも原典にあたった上で、自分なり(自分の関心事に沿って考え、解釈するなどして)に捉えていただきたいと思います。


 ところで、研究計画はどのようにしたのでしょうか?
差し障りがなければ、教えていただけるとありがたいです。教えていただけるならば、詳しく教えていただけると幸いです。
その上で、binbouさんの研究計画が私の関心事とあうならば、力になれるかはわかりませんが、また何かアドバイスなりができるのではないかと考えます。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございます。
mamukuさんのアドバイスにすがるようですが、前回、ヒントをいただいた線で考えています。
現在、かなり追いつめられた状況(!)にいますので、具体的に書いて、その上で、具体的なアドバイスをお願いしたいと思います。よろしくお願いしますね。

私が現在とっている授業は、「社会学理論セミナー」という授業で、これまでに、読んだもの(課題)は、以下のとおりです。
マルクス『経済学・哲学草稿』、『ドイツイデオロギー』、『資本論(2巻または3巻の自分の関心のある部分)』
ウェーバー『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』、「国家、民族、帝国主義」、「階級、身分、正当」、『支配の諸類型』、『職業としての政治』、『プロテスタント倫理と資本主義の精神』、「インド:ブラマンとカースト」、「読書人身分」、「世界宗教の経済倫理」
デュルケーム『自殺論』、『社会分業論』、『宗教生活の原始的形態』

期末論文として、現在要求されていることは、これまで読んできた、以上の文献のみを使って、論文を書くことです。データや資料などの一次資料は使ってもいいのですが、二次資料は禁止されており、概念などの引用などもできません。
この範囲で、A4用紙15枚以上で要求されています。
担当教官は、クリスチャンで、道徳性やソリダリティ(連帯)に関心がある人で、マルクスにはやや批判的で、ウェーバーやデュルケームが好きそうです。
ちなみに他の友達たちの研究計画書を見ると、デュルケームをベースにしたものが多いようでした。
そんな中で、私は、もともと文化、民族、国家、フェミニズムに興味がありましたので、その方面から書けないものかと、悩んでいたのでした。できれば「女性の労働」に関連できればいいなぁと思っていますが、問題は上記の文献から「女性の労働」というテーマが可能かどうかということでした。一つの可能性としては、「マルクスの女性観、女性の労働と家事労働」ということを取り上げることができないか、思案中です。外国に留学にきていて、翻訳を取り寄せて日本語を読める場合もありましたが、こちらの言語で読まなくてはならないこともあり、必ずしも上記の文献を理解できているわけではありません。
あるいは、別のテーマでの可能性がありますでしょうか?
ここは韓国で、マルクスはかなり読み込まれており、私のような初心者には、マルクスは少し負担が大きい気もします。しかし上のテーマでの可能性があれば、ぜひ挑戦してみたいとも思っています。
参考文献を使ってはいけないという制約がありますが、密かにヒントにしようと思っている本は、上野千鶴子『家父長制と資本制』です(これは持ってきているので手元にあります)。
締め切りは、12月20日で、かなり迫っています。これまでの怠惰を悔いていますが、何とかラストスパートをかけたいと思っていますので、お力を貸していただけますと嬉しいです。
補足ですが。
私は現在、大学院修士課程に在学中で、学部の専攻は社会学ではなかったので、現在、格闘中です。レベルの低い院生だと呆れられるかも知れませんが、何とぞ、よろしくお願いします。

お礼日時:2001/12/07 22:03

質問者の方は社会学を学ぶ学生さんなのでしょうか?なぜジンメルが出てこないのかと、ちょっと疑問なのですが…おいておきます。



自分で本を読んで考えてもらいたいの、基本的なところを、
一応大まかに、答えます。デュルケム、ウェーバー、マルクスの共通点としては、一人の努力や怠慢では動くことの無い「社会」というものを認識した、あるいは「発見」した、ということではないかと思います。相違点は方法論(その「社会」に対するアプローチの仕方、つまりどのように「社会」を捉えるかということ)が違います。デュルケムは、「社会」を個人に還元できない独特なものとして捉えました(方法論的社会主義といいます)。ウェーバーは、対照的に「社会」を個人の「行為」に還元できると考えました(方法論的個人主義といいます)。
マルクスについては、「社会」の捉え方としては、デュルケムの方に近いですが、
マルクスは、問題意識が違っているのです。前の二人が「社会」を「学問的」に捉えようという意識があったのに対して、マルクスは「社会」を「実践的」に捉えます。つまり、「社会を変えよう」という問題意識に支えられています。マルクスは当時の疎外された人間社会を変えようとした革命家であると言えます。

以上をアタマにおいて、以下の参考文献を読んで見てください。
デュルケム『自殺論』中公文庫。
     『宗教生活の原初形態』岩波文庫。(現在売ってます、買いです。)
M・ウェーバー『プロレスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波文庫。
マルクス『経済学・哲学草稿』岩波文庫。
    
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この回答へのお礼

ありがとうございます。ジンメルがないのは、授業で扱わなかったからです。この3人を授業で扱ったのですが、この3人だけの文献を使って、オリジナリティのある論文を書くことが課されています。私は文化や女性問題に興味があったので、そちらからせまってみようかと思ってみたのでした。mamukuさんに参考に挙げていただいた文献はまさに課題文献で、つまりそれらを読んで、自分なりに書けということになっています。やっぱり基本なんですね。
実は明日までに研究計画書を書かなければならないのですが、まだお手上げ状態です。お答えを参考に一晩考えてみます。ありがとうございました。

お礼日時:2001/12/05 20:20

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